05:俺と彼女と肉じゃが




 目覚ましの音が聞こえる。ゆっくりと俺の意識は浮上していき、枕元の携帯に触れ、目覚ましを止めた。


 閉じたカーテンの隙間からは光が漏れてきており、既に朝を迎えていることを告げている。


 身を起こし伸びをする。流石にマットレスの有無では寝起きが段違いだ。


「ん……んう……」


 目覚ましの音に反応したのか、響花も目を覚ました。


「今何時……って、まだ6時前じゃない」


「まだ寝てていいぞ。俺はもう出るが」


「ふぁ……そ──えっ、もう!?」


 洗面所に向かう背後で飛び起きるような気配がした。


 顔を洗い、歯を磨いて部屋に戻る。


「月曜っていつもこんなに早いの?」


「いや、金曜日休んだからな。その穴埋めはしないと」


「……はぇ~」


 感心したように響花はベッドの上から俺を見つめている。


「朝御飯は?」


 手早く着替えを終えた俺に向けられた質問に、俺はカ○リーメイトを掲げる。


「またそれぇー?」


 いいだろ別に。


 カ○リーメイトを頬張りながら、そういえばと思い出し、タンスの上の小箱を漁る。目的のものはすぐに見つかった。


 財布から三千円を取りだし机の上に、見つけたものと一緒に置く。


「とりあえず、飯代と合鍵」


 これでとりあえず今日一日は過ごせるし買い出しにも行けるだろう。


「あ、ありがと」


「んじゃ……」


 鞄を持って俺は玄関に向かう。その後ろをパタパタと小さな足音が追ってきた。


「あ、あの光太郎さん!」


「ん?」


 靴を履いて玄関のドアに手をかけたところで呼び止められ振り返る。


「──いってらっしゃい」


「……あ、ああ、いってきます」


 ドアを開け、外に出て、後ろ手でドアを閉める。


 少し湿気を含んだ暖かい風が頬を撫でた。もうすぐ初夏だ。


 …………行ってきますなんて言ったの何年ぶりだろうか。



※  ※  ※



 ドアが閉まると電気もついてないキッチンは薄暗かった。それを払拭したくて私は部屋に戻りカーテンを開ける。


 軽やかな音と共に朝の光が室内灯の灯りすらかき消し部屋を明るく浮かび上がらせる。光を浴びた埃がキラキラと舞い散り、私は改めて部屋を見渡す。


 私が寝ているシングルベッドとその下に敷かれた光太郎さんが寝ているマットレス。二人でご飯を食べるのがやっとな四角い小さいこたつテーブル。下着とかTシャツが入っている衣装棚の上にはボールペンや綿棒、爪切り、体温計といった小物が入った小箱がある。ベッドの対面には独り暮らしではちょっと大きいと思えるテレビとテレビテーブルが置いてあるが大分埃を被ってしまっていた。床にはペットボトルのごみや髪の毛なんかが目立ちあんまり清潔とは言えない。


 今日はこの部屋の掃除からだ。掃除機はクローゼットの中だと言ってたし、他には漁れば何か出てくるだろう。


 部屋の掃除が終われば便所掃除にお風呂掃除、最後にキッチンを掃除して何かを作ろう。


 今日の私のタスクは掃除と晩御飯!


 さあやるぞ! と思いグッと拳を握ったところで──力が抜けるようなお腹の音がした。


 ……………まず朝御飯かなと私はキッチンの戸棚から食パンを取り出した。

 

 

※  ※  ※



 出社後、溜まりに溜まりまくったメールに辟易しながら一つずつ確認し、返信を急ぐものを返信していく。


「おはよう。具合は大丈夫?」


「おはようございます。大丈夫です」


 メール対応に追われてる間に先輩や後輩が出社してきて挨拶を返していく。


 メールの返信を一通り終えると、次は午後に使う資料の作成に取りかかる。先週の時点で中途半端な完成度になっていて改めて見ると分かり辛い。


 修正と追加の作業に追われながら昼休みを告げる予鈴に気がつく。だがまだ資料が完成しきっていない。だいたい予想ができていたことだ。俺はコンビニで買ってきたおにぎりを頬張りながらキーボードを叩く指を止めずに打ち込まれるテキストと資料のレイアウトを目で追っていく。


 資料が出来上がる頃には昼休みはあと5分で終わろうとしていた。


 取り合えず資料ができたことにホッとしつつ、自販機にコーヒーを買いにいく。


 自販機のおいてある休憩室はビルの窓側で、窓から見える景色は壁のような東京のビル郡と、眼下には街並みを行く人々の姿だ。


 その中に平日の昼間だというのにブラついている女子高生達を見つけ、俺はなんとなしに響花の事を思い浮かべる。


 あいつちゃんと家事出来てるんだろうか。家事スキルなんて見てないから少し不安だ。


 何か色々壊されるかもしれない。


 けど、そうなったとしても怒るのも面倒くさかった。




※  ※  ※




「けほっ……! けほっ。うー、埃っぽい」


 マスクも買ってくるんだったと思いながら棚やテレビの埃をハンドワイパーで落としていく。いったい何時から掃除もしてないのかどこもかしこも埃だらけだ。


 ある程度埃を落とし終わったところでクローゼットを開け掃除機を取り出す。クローゼットの中はテレビの段ボールやら靴の空き箱やら明らかに要らなさそうな段ボールが積み上がっていてなんだか物置みたいだった。その傍らに鎮座している掃除機を手に取ると、その奥にあるものに目がいく。


「あ、swit○h!」


 思わず掃除機より先にそのゲーム機の箱に手が伸びてしまった。手に取った箱は少し重く、空箱ではない。中身を空けてみると新品同様のゲーム機が出てきた。


 そういえば昨日学校よりゲーム優先見たいな事言ってたっけ。


 ということはゲーム趣味なのかなと思うが、それにしては全然プレイしているようには見えない。起動してみようとしたが、バッテリー切れで動かなかった。


 うーん、ちょっと遊びたい……けど勝手に弄ったら怒られるかな。光太郎さんが帰ってきたら聞いてみよう。


 遊びたい欲を振りほどくように私は掃除機を手に取った。

 

 

 

※  ※  ※

 

 

 

「北条ーこのプロジェクトの進捗なんだけど──」

「はい! これは……今のところ計画通りですね」

「あいよ、サンキュ」


「北条さんこの請求書なんですけど」

「はい! えっと……どこか不備が?」

「消費税が間違ってます。貰い直してください」

「ええ……。わかりました。取引先から出し直して貰います」

「お願いします」


「光太郎! あのメール出した!?」

「えっと……ああ、すいませんまだです」

「早く出して!」

「はい! 只今」


「北条さん18時からの打ち合わせですが──」「北条北条。ここわからないんだけど教えて」「先輩人気っスね」「北条さん。さっき送ったメールなんですけどちょっと資料見てもらって良いですか?」


「はい! ちょっと待って!」「古見さんすいません、打ち合わせ後でいいですか?」「うっせ」「後でメール見ておくからちょっと待って」


 あっという間に時間が過ぎていく。定時を回っても俺はバタバタとしっぱなしだった。休んだ間に溜まった仕事も片付かないまま次の対応が迫られる。風邪とかで休んだ後は毎回こんな感じだ。


 当然だ。各々それぞれの仕事を抱えていて人の仕事まで肩代わりする余裕なんて無い。


 俺は常々自分は仕事ができない側の人間だと思っている──が、入社して十数年もたてばそんなできない人間だろうがそれなりの役割を与えられそれなりの成果を求められる。


 俺は必死になりながら与えられた役割をこなし、プロジェクトをなんとか回していく。


 ──なぜそんなに頑張らなければ行けないのか。そんな思考すら多忙さにかき消され無理矢理にでも仕事に集中する。


「──っ、はぁ~~……」


 打ち合わせが終わりメールを一通り返し一息をつく。


 ふと気がつけば騒がしかった周りは静かになり、フロアには俺以外の数人しか社員が残っていない。時計を見れば十時を回りそうな時間になっており、とっくにみんな帰ったのだとようやく気づく。


 ……この資料作り終えたら俺も帰るか。


 そういえば──響花はもうご飯を食べただろうかと、資料を眺めながら、そこでようやく気になった。

 

 

 

※  ※  ※




 わずかな金属音と共にアパートの階段を上る。スマホで時計を見れば既に十二時前で今日は一段と遅い時間になってしまったなと思う。


 疲労感の濃い長いため息をつきながら、鍵を開け自宅のドアを開ける。


「……」


 ドアを開け部屋が光に満ちてることに少しだけ驚く。十年以上出迎えるのは暗闇だけだったから煌々と電気がついているのはなんだか新鮮な気分だ。


「あ、光太郎さんおかえりなさい!」


 響花がパタパタと駆け寄ってくる。


「あ、ああ……ただ、いま」


 ただいまと言ったのも何年ぶりだろうか。


「お腹すいたでしょ? 今、晩御飯温めるから待ってて」


「飯、マジで作ってくれたのか?」


「もっちろん! 部屋もちゃんと掃除しといたよ」


 部屋に入ると確かに綺麗になっていた。ごみは不燃ごみと可燃ごみで一ヶ所に纏められ、棚やテレビに積もっていた埃は微塵もない。カーペットはまるで新品のような踏み心地で感動すら覚えた。まるで部屋が内側から輝いているかのようだ。


 スーツから普段着に着替え、台所を覗く。


 二口のコンロではフライパンと小鍋で何かを火にかけながら響花がフライパンを見ていた。


「肉じゃが作ってみたんだ。お口に合うと良いんだけど」


「肉じゃがか……」


「あれ!? もしかして嫌いだった?」


「いや、そういう訳じゃない。ただ……肉じゃがなんて食べるの久々だなと」


「そうなんだ……自分で作ったりしないの?」


「今は全然……面倒くさくてな」


「あー、やっぱりー。調味料も全部賞味期限切れだったし、冷凍庫にはアイスしか入ってないし」


 呆れたように彼女は笑う。


「…………なにか手伝うことはあるか?」


「んー? じゃあ炊飯器とお茶碗持っていって」


「りょーかい」


 六時間保温されている炊飯器と茶碗を持ってテーブルに持っていく。


「はい。お待たせしましたぁ」


 少し待っていると響花が二人分の肉じゃがと味噌汁をテーブルに並べ、炊飯器の蓋を開ける。


「もう、お腹ペコペコだよ。おじさん遅いんだもん」


「あ、ああ……すま──」


 そこでようやく気がついた。


「長島。お前もしかして食わずに待ってたのか?」


 もう時計の針は日付を跨ごうとしている。夕食には遅すぎる時間だ。


「へ? うん。そうだけど?」


 差し出されるご飯が盛られた茶碗を俺は口を開いて呆れながら受けとる。


「待つ必要なんて無いぞ。先に食べてればよかったのに」


 思い当たって言葉を続ける。


「そういえば帰る時間言ってなかったな。悪い。明日からは先に食べてて──」


「やだ」


 炊飯器の蓋が閉じる音と共に響花が短く否定した。


「ご飯は独りで食べたって美味しくないよ。せっかくなんだから一緒に食べようよ」


 少しムッとしたように響花が不満気に口をへの字に曲げる。


「かといってこんな時間まで待っていなくたって……」


 響花の反応に少し驚く。そう拒絶されるとは思っていなかった。


「腹減っちまうだろ?」


「それは……そうだけど」


「こんな時間に食ったら太っちまうぞ」


「それも……そうだけど。ってそれおじさんもじゃん」


「俺は良いんだよ……俺は……」


 言って味噌汁をすする。


「…………美味い」


「え? ホント!?」


 響花が先ほどの不満顔から一転して花開いたかのように笑顔になる。


「よかったぁー。人に作るなんてはじめてだから緊張しちゃった」


 ニコニコとしながら響花は肉じゃがのジャガイモに箸を伸ばし口に運ぶ。なんだかやたらそのジャガイモ大きい気がするのだが大丈夫だろ──


「──う」


 小さくだがシャリという音が聞こえた気がした。


 笑顔が凍りつき、少し目に涙を浮かべながら俺を見る。そのままなんとか飲み下し、響花はため息をこぼす。


「うえぇ……芯まで火の通り甘かったぁ」


 俺は自分の皿のジャガイモに箸を突き立てると、ちょっと真ん中が硬い。だが躊躇いなく俺はそのジャガイモを頬張る。


「ちょ……!」


 響花が目を丸くするが、気にせず口を動かし嚥下する。


「ま、ちょっと大きく切りすぎだな。味付けは悪くないし、食えなくないだろ」


 そのまま玉ねぎと人参を口に入れるがこちらは薄く切ってあるのもあって柔らかかった。ご飯と共に肉じゃがに箸を伸ばす。


「だ、大丈夫?」


「何がだ? さっさと食べないと冷めるぞ」


「う、うん」


 チラチラと俺の方を伺いながら食べ進めていた響花も次第に食事に専念していく。


 少しの間食器を動かす音だけが二人の間に響く。


「ごちそうさま!」


 肉じゃがも、味噌汁も、ご飯もすべて平らげ俺は箸を置く。


「あ、えと、お、お粗末様でした」


 程無くして響花も食べ終わり「ご馳走さまでした」と手を合わせた。


「えっと、光太郎さんありがとね」


「ん?」


 食器を重ねて片付けながら、響花は言葉を紡ぐ。


「食べてくれてありがとう。たいして美味しくなかったでしょ? 自分で食べててわかったもん。お母さんのごはんと比べて全然だなぁって」


「そんなん当たり前だろ。何年年季の差があると思ってんだよ。いきなりうまく行く奴なんてそう居ないだろ」


 響花が重ねた食器を持って立ち上がる。


「ちょっとずつチャレンジしていって、ちょっとずつ上手くなれば良いのさ。だから──」


 食器をシンクに置き、軽く水で洗い流す。


「その、失敗したものも上手くいったものも全部食べてやるよ」


「光太郎さん……」


「……食材がもったいないからな。出してる金は俺のだし」


 照れ臭さを悟られないようにしながら部屋に戻ると、響花が俺を見上げていた。


「じゃあシュールストレミングとか昆虫食とかパクチー山盛りとかでもいける……?」


「そのセレクションは悪意ありすぎだろっ」


「ふふ、冗談だよ。私だって食べられないもん。んーでも、一回は光太郎さんに美味しいって笑ってほしいかな」


「そんなの……簡単だろ」


「えー? そっかなぁ」


 響花が俺の顔を覗き込むように小首をかしげる。


「光太郎さんあんまり笑わないから」


「……そうか?」


「そうだよ?」


 響花が呆れたようにクスリと笑う。


 思い返してみればこの少女の前で笑ったことあっただろうか。


 いや、そもそも笑ったことなんてここ暫くあっただろうか……? 記憶を漁ってみるが思い出せるのは遥か昔の自分の姿で最近笑った記憶がない。


 笑える出来事なんてなかったから当然だが、それでも笑うことすらなかった自分の生活に愕然とする。


「ほら。今も難しい顔してる。笑顔笑顔!」


 響花が自分の口の端を指で広げ笑顔を形作る。


「アホか。笑うなんて誰にでもできるだろうが」


 そう言って俺は笑顔を作って見せる。


「うわ……きつ」


 真顔になってドン引きされた。


「それ、なんか邪悪だから人前ではやめたほうがいいよ?」


「………………」


 そこまで酷い……?


「……風呂入って寝る」


 ほんのちょっと心に傷が出来たことを自覚しながら俺はタオルと着替えを持って風呂場に向かった。


 暫くショックから立ち直れそうになかった。

 

 

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