04:俺と彼女とひざまくら



 次第に零時に近づく時計をみながら俺はため息をつく。


 既に俺も響花も風呂に入り、寝巻きに着替えて、寝る準備を整えていた。


 あぐらをかいている俺の尻の下には藍色のシーツに包まれた新品の薄手のマットレスが敷かれており、これで寝起きに体が痛くなるのも改善されるだろう。響花は一緒に買ってあげたピンクを基調とした薄いピンクと濃いピンクのチェックのパジャマを着てベッドの縁に腰かけテレビを見ている。


 日曜終わりのテレビ番組を見る度、休みの終わりが強調されているようだ。


 もうすぐ日曜が終わる。日曜が終われば月曜を迎えて、また仕事の日々が始まる。金曜日休んだ分のリカバリをどうしていくべきか頭の中でぐるぐると浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。


 自分で選んだ道とはいえ、憂鬱なものは憂鬱だ。


「元気ないねぇ」


 ベッドに腰掛けながら響花が俺の顔を覗き込む。


「日曜のこの時間は憂鬱だ」


「そうなの?」


「寝て起きたらまた仕事漬けの一週間が始まると思うと、なぁ……」


 再びため息が漏れる。


「そうかなぁ。私は学校行けば友達に会えるから全然そんなことないよ?」


 学生は良いよなと言いかけて嫌味にしか聞こえないことに気づき言葉を選ぶ。


「……俺は学生の頃から日曜が終わるのが嫌だった」


「え? なんで?」


「そりゃ、授業退屈だったし。家で延々とゲームしたいだけの学生時代だった」


「インドアだなぁ」


「インドアだとも」


 全くその通りだから否定はしない。


「別に学校が嫌いだった訳じゃないが……また次の一週間が始まるというのが嫌だったのかもしれない」


「ふーん……」


 響花には共感されなかったのか分からないような表情で眉を潜めていた。陽キャの固まり見たいな今時の女子高生には伝わりづらい感情だったかもしれない。


「うーん……それじゃあ光太郎さん。元気にしてあげよっか?」


「…………はぁ?」


 元気にってナニをどのように?


「お前なに考えて──」


「男の人は膝枕してもらうと元気になるっ……らしいよ?」


 一瞬よぎったピンク色の想像を一瞬でかき消す。


 いや半分ぐらいはピンク色なのか。薄桃色ぐらいか。


「どこ情報なんだそれ」


「えっと、なんかのサイトの広告?」


 それ風俗の広告バナーじゃ。


「あほくさ。そんなので元気になるわけ──」


 ないだろうと言おうとして響花の足を見た。


 ピンク色のパジャマに包まれた足は素肌をさらしていないものの、制服のスカートから覗く足が記憶から呼び覚まされ、いい足をしていたなぁと思い出す。


 そんな俺に気がついたのか、俺の視線を遮るように響花が再度顔を覗き込んでくる。その目は少しニヤついていた。


「おじさん、興味あるんだ?」


「無い訳じゃないが……いやしかしな?」


 女子高生に膝枕されるおっさんって相当無様なのでは、などと要らないプライドが邪魔をする。


「じゃあやってみよ?」


 響花がベッドから降り、 


「ほら、光太郎さん」


 正座をして膝をポンポンと叩いて誘導してくる。


 女子高生の膝枕という誘惑は魅力的過ぎて、まあ……膝枕ぐらいいいかとあっけなく俺の自制心は誘惑の悪魔に負けた。


「む……」


 いやでもこれ相当恥ずかしい。


 パジャマを着ているとはいえ薄い生地越しにふともものほどよい肉つきが見るからに伝わってきて、ここに頭をのせるおっさんという図は果たして許されるものなんだろうかと変な思考が入ってきてしまう。


「もう……あー、耳掻きもセットの方がよかった? しょうがないなぁ」


 響花は戸棚から綿棒を持ってくると、俺の頭を抱えて引き込むようにマットレスの方に引っ張ってくる。とっさの事にバランスが崩れた俺はそのままマットレスに倒れるように身を崩し……張りのある肉感的な弾力を頭に受ける。


「うふふ」


 上から上機嫌な響花の声が聞こえる。


 とっさの事に目を白黒とさせたが、俺の頭は今響花の膝の上に収まっている。張りがありながらも女の子らしく柔らかいふとももは正座をしていることもあって肉厚な感触を伝えてくる。手で触れると男の筋肉質で固い肉質とは真逆で、弾力があるなかに柔らかさが混在している。


「おじさん、こういう事されるの初めて?」


「膝枕は……されたことないな」


「んっふふー。そっかぁ。じゃあ今日は私が癒してあげるからねぇ」


 調子に乗った声が上から降ってくる。


「……あ、光太郎さん緊張してる?」


「はぁ? そ、そんなわけな──」


「でも光太郎さん。冷凍された魚みたいだよ」


 首から下を見ればガチガチになって一直線に揃った手足が見え、俺はわざとらしく足を崩し、猫背になって腕を組んだ。


 上からクスクスという上機嫌な笑い声が聞こえる。


「はい。リラックスしてくださいねー」


 響花が手櫛で俺の頭をやさしく撫で付ける。肩に置いた手は一定のリズムを刻みまるであやしつけるかのようだ。


「光太郎さん、動かないでねー」


 リズムが止み、綿棒が俺の耳に触れる。外側の垢からなぞるように耳を掻かれ、くすぐったさに思わずぶるりと肩が震える。


「あれ? 痛かった?」


「いや、大丈夫だ」


 少女が俺の頭を抱えながら、前屈みになる。少女の前髪が俺のところまで落ちてきて、彼女が使ったシャンプーのいい匂いがする。


 その匂いに気をとられているうちに綿棒が耳穴の入り口からゆっくりと奥に挿入され、少し掻き回された後、ゆっくりと引き抜かれていく。


 なんだか、怖いような気持ちいい用な複雑な感覚に俺は少し長い息を吐く。


「あれ? 光太郎さんまだ緊張してたの?」


「人に耳の生命線預けてりゃ緊張するだろ」


「大丈夫、大丈夫。大丈夫だったでしょ? じゃあ次反対側ね」


「おう…………」


 成すがままに反対側に向き直って、気がついた。


 こっちの方が響花に近くて、風呂から上がったからか少女から舞う匂いに気がつく。ボディソープなのか、シャンプーなのか、リンスなのか、スキンケアなのか、それとも全部なのか……とにかく濃厚な甘い匂いが漂ってきた。嗅いでいると理性が吹き飛んでしまいそうな、そんな危険な匂いだ。


 だが煩悩に負けるわけにはいかない。


 再び耳がこそばゆくなる。


 横目で見た響花の顔は真剣で、やましいことなど一切考えていない表情だった。気にしているのは自分だけかと思い少し気が抜ける。


「あ、おっきいのが取れた」


「言わんでいい。っていうか捨てて」


「はーい」


 綿棒を近くのゴミ箱に捨てた響花が俺の視線に気づき、目を細めた。


「んー? どうしたのー?」


「いや……別に……」


「んー、そっかー」


 何となく恥ずかしくなって視線を逸らすと、響花はご機嫌な声色で俺の髪をなでさすり始めた。


「光太郎さん、白髪多いねぇ」


「そらおっさんだからな」


「目元にも皺があるねぇ」


「おっさんだからな」


「無精髭は似合わないねぇ」


「……ダメなおっさんだからな」


 響花の細い指で髭を触られ、俺は軽くその手を叩く。猫か、俺は。


「…………少しは楽になった?」


 そう言われ、ハッとして俺は響花を見た。


 先程と変わらぬ笑顔がそこにある。


「──ああ。ありがとう」


 仰向けになり、全身から力を抜いた。少しの時間だけれど仕事の事を忘れられていた。


 同時に気を使わせてしまったなと、内心申し訳なくなる。


「光太郎さん──」


 シーリングライトの灯りが響花の顔で塞がれ、逆光に照らされた響花が眉尻を落とした表情を見せている。


「お仕事大変?」


 少女なりに心配してくれているのだろうか。


 お前が気にすることじゃない、と言おうとして止める。ここまでしてくれて突き放す言葉は適切ではないと思った。


「まあ……大変だな」


「辞めちゃえばいいのに」


 その言葉に俺は眉根を潜める。


「…………そういうわけにもいかん。仕事しないと生活できないし、生きていけないからな。それに、転職先がマシなんて保証もない」


「そっか……ごめん。私無責任なコト言ったよね」


「気にするな。みんな同じ様なこと言うもんだ」


 仕事を辞めてしまったらきっと俺は元通り働けない。こんなことだけ妙な確信が持てる。そうなれば俺はいつか見たホームレスのように成り果てるか、それともどこかで野垂れ死ぬか──。いずれにしろ録な未来にはならないだろう。


「あのね、光太郎さん」


「ん?」


「明日、晩御飯作って待ってるから──」


「…………」


「だから、ちゃんと帰ってきてね?」


「──────」


 泣きそうな表情が、そこにはあった。


 だから俺は、あえておどけて見せる。


「お前、それ死亡フラグだぞ」


「えっ、嘘!?」


 焦る少女を俺は鼻で笑う。


「まあ、せいぜい頑張ってくるさ」


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