06:俺と彼女とベッドの下





「それじゃ、いただきます」


「…………いただきます」


 いつも目覚めるより少しだけ早い時間。見慣れたテーブルの上に並ぶ朝食に、感動のようなこそばゆいような不思議な感覚を持って眺める。


 きつね色に焼けたトーストは湯気が立ち、マグカップにはコーヒーではなく紅茶が入れられている。ベーコンを下に敷いた目玉焼きは久々に見たし、プチトマトなんてこの部屋で見かけるのは初めてな気がした。


「? 食べないの?」


 マーガリンを塗った上にイチゴジャムを塗りながら響花が小首をかしげて聞いてくる。


「いや……こんなまともそうな朝食なんて出張でホテル泊まったときぐらいしか食わないから……」


「光太郎さん…………朝御飯ぐらいちゃんと食べた方がいいよ?」


 哀れみを込められた目で見られた。


「朝はギリギリまで寝ていたいんだ」


「あ、前も言ってたよねそれ」


 ジャムを塗ってトーストをかじる。サクっとした音と共にパンとジャムの甘味が口に広がる。


 なんだか新鮮だ……。


 トーストを食べきり、目玉焼きを食べようと醤油に手を伸ばす。


「あっ」


 トーストをちまちま食べていた響花が俺の動きに声をあげる。


「なんだよ」


「光太郎さん、目玉焼きは醤油派?」


「……そうだけど」


 そう言うと響花はぱぁと顔を輝かせた。


「じゃ、一緒だ! 私も醤油派!」


「……いや目玉焼きは醤油以外ないだろ」


 そう言うと響花は笑顔のまま小首をかしげる。


「ソースとか胡椒とかケチャップとかあるらしいよ?」


「信じられん」


 目玉焼きは断然醤油だろう。卵かけご飯に醤油以外かけるだろうか。否だ。


 醤油をかけた目玉焼きを箸で切り分け口に運ぶ。


「うん。美味い」


「ふふ、目玉焼きなんて誰が作っても一緒だよ?」


 それでも彼女は嬉しそうにニコニコとしていた。





 朝食の皿を片付け、スーツに着替えて玄関に向かう。


「光太郎さん、いってらっしゃい」


 台所で皿を洗い始めた響花がスポンジを持った手を振る。泡立ったスポンジを持ったものだから、泡が飛んで頬に付いていた。


「……いって、きます」


 まだ言い慣れなく言葉をつまらせながら絞り出すように返事をする。


「あ──」


 玄関のドアに手を伸ばしたところで思い出した。


「そうだ、長島」


「うぇ! な、なに?」


 なんて声出しているんだ。


「L○NE教えろ。遅くなるようだったら連絡するから」


「えっ、L○NE!? ちょ、ちょっと待ってよ! 今言わないでぇ!」


 皿を洗っていた響花が慌てて泡を洗い流しタオルで水気を拭き取って部屋に戻っていく。すぐにスマホを持ってパタパタと駆け寄ってきた。


「すまん」


 タイミング的に申し訳なかったなと頭を下げる。


「えっと……友達追加はここでよかったんだっけ……?」


「えぇ? 誘っておいて聞く?」


「あんまり追加することがないから、いざやろうとすると戸惑うんだよ」


「光太郎さん、友達いないの……?」


「やかましい」


「んー、じゃあスマホ貸してね」


 響花が俺の手からスマホを取り上げ、何回かの操作でQRコードを出す。響花はそれを読み取り、スマホの画面に視線を向けてニヤリと笑った。


「んー、光太郎さん本名登録かー」


「お前のは…………これか? どれだ?」


「そこそこ、きょーか! お試しトークした方が早いね」


 響花が指をさした先のアイコンは、黒髪ロングで幽霊みたいに袖で手を隠した二次元少女だ。自撮りじゃないんだなと意外に思う。


 ポンと会社と数少ない友人とスパムトークしか来なかったタイムラインにきょーかという名前でトークが飛んでくる。


『きょーか:醤油派の光太郎さんは天使』


 そのトークの後に天使のスタンプ。


 ……このスタンプに即座に切り返せる器量はないぞ俺。


「と、とりあえずサンキュ……帰り遅れるような時はこれで連絡するから」


「ああ、うん」


「それじゃ今度こそ、いってきます」


「いってらっしゃーい」


 響花の声を背中に受け、ドアを閉める。


 そう言えば女の子の連絡先を聞くなんて学生の頃以来だったか。


 顔をあげた視線の先には澄んだ青空が広がっていた。

 

 

 

※  ※  ※




 光太郎さんが仕事に行き、Tシャツだけのラフな格好で部屋を掃除している最中だった。昨日掃除し損ねていた場所を掃除しようとソコを覗き込んだときそれを見つけた。


「ここここ、これ…………っ!」


 ベッドの下から数冊の本とDVD。こう言うところにあるということは恐らく──


「エッチな奴だ!」


 ベッドの下からそれを取り出す。


 綺麗なお姉さんが温泉に入っているパッケージは若妻不倫温泉旅行とタイトルが入ったDVDと、おっきなおっぱいの二次元美少女が表紙を飾る漫画が数冊。


 見た瞬間、うわっと軽い嫌悪感が沸いてしまう。が、直ぐにいやまぁ男の人だしね? と妙に納得してしまった。


 でもこう、アダルトビデオはどうにも受け入れがたい。私よりおっぱい大きいし、お尻も大きいし、綺麗だし……あ、でもおっぱいの張りは勝ってると思う。


 やっぱり大人な女の人が好きなんだろうか。なんて思いながら、漫画の方をぺらぺらとめくるとそこはR-18の世界だった。当たり前だけど少女漫画の性描写より過激で濃い。


「え、うそ。そんなところ舐めるの!?」


「いやいやいや、そうはならんでしょ」


「お、男の人ってこういうことされるの……好きなのかなぁ?」


 なんだかいけないものを見ているみたいで、私はドキドキしながらページをめくる。女の子と男がキスをし、愛撫をし、セックスする様は同じなのに、様々な絵柄と展開で不思議とどれも新鮮に思えた。


「────」


 ふと、ページをめくる手が止まる。『ブラック企業の底辺サラリーマンですが家出娘を拾いました』と名打たれたタイトルにそれとなくシンパシーを感じたせいだ。中身はタイトル通りにブラック企業で働くサラリーマンが、家出をした不良少女に声をかけられ家に泊めてあげ、そのお礼に不良少女が男性を奉仕するという内容だ。


 うん。普通こういう流れになるよね。いや漫画と現実一緒にしちゃいけないんだけどさ。


 現実は世知辛く「疲れてるから嫌だ」という一言でにべもなく断られてしまった。


 最初のページから戻って読み直す。不良少女が男性を童貞なの? とからかったり、遊びなれてる風で男性器を手慣れた感じで扱っている。終始リードしながら自分も気持ちよさそうにしている姿に少し感心してしまう。


 こういう感じの女の子が好きなのかなぁと思ってしまう。


 自分の髪を触る。肩まで伸びた黒髪は自前のもので一回も染めたことがない。自分のお気に入りでもある色を染めるのは抵抗がある。


 そこでハッと気が付く。


 これじゃなんだか私がおじさんとエッチしたいだけじゃない。


 違う違う、違いますと念仏のように唱えて私は部屋の掃除の事を思い出す。そうだ。今は掃除中だ。


 掃除をしようと立ち上がったところで僅かな水音がし、硬直する。


 え? 嘘? とゆっくりと足元に視線を向ければ僅かな染みが出来ていて、それがなんなのか一瞬で気づき、私の顔は火が付いたように真っ赤になった。


「わああああ!」


 私はテーブルの上のティッシュをひったくる様に取り出し、その染みの上に体重を乗せて被せた。

 

 

 

 

※  ※  ※




 八時過ぎに帰るとL○NEで宣言した通り、なんとか予定通り帰ってこれた。玄関のドアを開け部屋が明るいことにやっぱり驚く。


 音に気がついたのか響花が部屋からひょっこりと顔を覗かせた。


「あー…………」


 簡単な言葉なはずなのにとっさにその言葉が出なくて、何を言うべきだったか思巡する。


「──ただいま」


「おかえりなさい!」


 弾けるような心地よい声が返ってきて、胸の辺りに違和感を覚える。


 ──それが安心感なのだと気がつくのに少しかかった。


 飼い主が帰ってきた子犬のようにTシャツ姿の響花が駆け寄ってくる。


「お風呂にします? ご飯にします? そ・れ・と・も──」


「風呂」


「わ──最後まで言ってないじゃん!」


「やかまし。実際に言う奴始めて見たわ」


 さっきの安心感が何かの間違いだったかのように吹き飛んでしまった。若干呆れながら少女の傍らを通りすぎて部屋の中にバッグを置く。


「お風呂。湯船にお湯張っておいたから」


「おお。サンキュ──ちゃんと掃除しててくれたんだな」


「もちろん!」


 えっへんという擬音が聞こえてきそうなぐらいどこか自慢げに響花は胸を反らす。それなりにある胸が強調されTシャツが引っ張られるのを認め、俺は慌てて目を逸らした。


 そそくさと着替えを持って脱衣所に向かう。


 さっと服を脱いで浴室に入り、風呂蓋を開けるとふわりと湯気が広がった。こうして湯船にお湯を張る姿を見るのは随分と久々だ。


 頭と体を洗い、湯船に浸かる。


「あぁ~…………」


 思わず声が出た。


 疲れた体に染み渡る…………。


 たいして広くもない湯船だが一日の疲れが溶け出していくようだ。肩を揉みほぐすと思った以上に凝っていることに気がつく。


「光太郎さん、お湯加減どう?」


「ズェア!」


 思わずとんでもなく変な声が出た。驚きに体が跳ね、反動で揺れたお湯が浴槽から溢れて水音を立てる。


「ど、どうしたの!?」


「な、なんでもないビックリしただけ──あ、開けるなよ!?」


「わ、ごめん!」


 磨りガラス越しに映る響花のシルエットが近づき、かちゃりという音に身構えて慌てて俺は釘を指す。ほんの少し開いたドアはすぐにぴったりと閉じた。


 ほっと胸を撫で下ろす。


「で……どう? お湯加減」


「ああ、すまん。凄くかなりちょうど良いぞ?」


 なんだこの日本語。


「そ、そう?」


 だが磨りガラス越しの声は満足そうだ。


「ああ。風呂場も綺麗になってるし、湯加減も良いし。極楽だ」


「そー? そうかー。えへへ」


 嬉しそうだ。


「ゆっくりしていってねー。のぼせないようにね」


 普通こういうの逆じゃないのかと思いながら脈打つ心臓を隠すように湯に顎まで沈めた。






「おじさんってさー」


 晩御飯を食べたあとだった。満腹感に心地よさを覚えながらベッドを背にしてだらけていると、響花が目の前にお茶を置いてくれた。冷蔵庫で冷やしていた麦茶だろう。


 礼を言って有りがたく頂く。


「人妻が趣味なの?」


 吹き出した。


 噎せる俺から響花が半歩距離を離す。


「げほっ……は……はぁ?! なに言ってんのお前!?」


「いや、だってさ……その……」


 頬を赤らめながらチラリとベッドの方──その下に視線を向ける。


 それでだいたい察した。たしかその視線の先にはエロ本とかアダルトなDVDとか置いていたはずだ。


「……見たのか?」


「掃除中に……ちょ、ちょっとだけだよ!?」


「そうか…………」


 何故だろう。物凄く失敗した感じがする。もっとうまく隠しておくべきだったか。いや、隠す暇なんてなかったか。


 それでもなんというか居たたまれなさを感じた。家に帰ってきてみたら親に見つけられたエロ本を机の上に置かれたような感覚だろうか。


 いや──、とどこか俺は開き直る。そもそも居候に見られた所でなんだというのか。男なんだからAVの一つや二つ持っているのが普通だろう。


「ああそうさ。AVぐらい持っていて何が悪い。普通独身野郎の部屋には少なからずあるだろ」


「うわ、開き直ったよ」


「お前の同級生も、ちょっと気になる先輩も、大人しそうな後輩も、みんなエロアイテムは持っている。だから──」


 一呼吸置き、響花の反論がないことを確認する。


 俺の事を半目で見ているのは、決して呆れているわけではないだろう。そう、決して。


「俺が持っているのも普通なことだ。むしろ健全な事といえる」


「ア、ハイ、ソウデスカ」


 酷く冷めた声と目が俺に突き刺さった。


「それで──」


 言葉が続く。


「人妻が好きなの?」


 その質問は続けるのかと頭を抱えた。


「いや……とりたてては…………」


「じゃあなんで……?」


「パッケージの子が、こう、良くてな?」


「胸が大きかったからじゃなくて?」


「…………それも、ある」


「ほとんどそれでしょ?」


 だんだんとキツさを増していく響花の視線に耐えられず、代わりに俺の視線がずれていく。


「ホント、なんで男ってそんなに胸好きなのかな」


 なんて言いながら自分の胸を確認するように寄せるんじゃあない。


「健全な男はだいたい、それに逆らえないようにできてるんだよ」


 ついつい横目でその動きを追ってしまう。手を伸ばせば届く距離にいて、それを見るなと言うのが無理だ。DかEか……最近の女子高生は発育がよすぎるんじゃないか。


 そんな俺の視線に気がついたのか、響花は胸を腕で隠すと、真っ赤になって睨み付けてきた。


「今、胸見てたでしょ!」


「いや、今の話の流れじゃ見るだろ」


「むー……」


「すまん」


 謝ったら負けだと思ったが、そんな可愛い膨れっ面で唸られては謝らざるをえなかった。


 こうして男は女の子に逆らえないようになっていくのだろうか。ずるくないだろうか。


 少しばかり理不尽さを感じていると、響花の表情が呆れから別な表情に変わっていくのを見る。


 頬を染め、覗き込むように俺の目を見上げるその表情は探るような、しかしどこか期待をするような目だと、彼女の倍くらい生きた人生の経験が告げている。


「──やっぱりおじさんもエッチなこと好きなの……?」


「ん? そりゃあた──」


 頷こうとして思い止まる。


 マズイ。


 この話の流れはマズイ。


 耳まで真っ赤にして上目使いにチラチラこちらを見る視線は危険だ。それは越えてはいけない一線を考えてしまっている目だ。


「じゃあ……触っ──」


「あー! でもエッチなことは恋人同士じゃないとなー! イマイチ燃え上がらないんだよなー」


 そう言うと、ピクリと響花の動きが止まった。


 少しわざとらしすぎただろうか。


「ごめん……」


 響花はどこか不満げに視線を逸らすと、うつ伏せにベッドにダイブし顔を背けた。


「長島」


「……んー?」


 不貞腐れたと思っていたが返事はしてくれるようだ。


 振り返り背を向けている響花に話しかける。


「もう少し自分の体は大事にしな」


「……なによ。お父さんみたいな事言っちゃって」


 くるりと寝返りを打って響花がこっちを見る。しかし、不満げに眉を潜めていた表情は俺の顔を見ると、ちょっと驚いたかのような顔をした。


「誰彼構わず体売るような真似するとろくな事にならねぇぞ」


「光太郎さん……心配してくれてるの?」


「──はぁ? そんなの当たり前だろ」


 何を当然の事をとばかりに言って、不思議さに自分でも驚く。


 考えてもみれば俺と響花は先週会ったばかりだ。その未来を案じるほど入れ込んでいるのかと自分でも驚く。


「ふぅーん……」


 だが、まあ──


「そっか」


 なんだか安心したように微笑む彼女の顔をみていれば、不思議でもなんでもないことなのだろう。

 

 

 

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