Scenario.16


 日が落ち、侯爵と男爵は、先程の立派な部屋で食事を始めた。

 俺たちは先に夕飯を済ませて、部屋に続く回廊で死神の星々を待ち構えている。

 敵を外で待ち伏せする作戦だ。

 部屋へ入るにはこの回廊を通るしかないが、もちろん万が一に備えて、中ではハミルトン侯爵の連れてきた護衛の騎士が控えている。

 エリスは魔法石を配置して、反魔法の術式の準備する。

「エリス、ちょっといいか」

「なんだ?」

「俺やクロエが倒れても、そのまま術式を維持してくれ」

「……どういうことだ?」

「作戦があるんだ」

「作戦……?」

「内容は秘密だが、とにかく俺が死ぬか、意識を失うまでは、術式を維持してくれ」

「……つまり、やられたフリをして罠にかけるから心配するなと?」

「まぁそんなところだ」

「……わかった」

 術式の準備が終わり、俺たちは回廊の入り口を監視する。

「しかし、ノーリッシュは本当に現れるかな」

「現れないなら、それに越したことはないですからね」

 とクロエ。確かに、それは本来もっとも望ましいことだ。

 だが、エリスは首を横に振る。

「必ず現れる。ハミルトン侯爵の手腕はよく知られている。侯爵が動いたとなれば、スコットランドとイングランドの反労働党派の共闘は間違いない。それは労働党としては絶対に許せないはずだ」

「しかし、ハミルトン侯爵を狙うという話を盗み聞きされていることは、副校長もわかっているのに、それでも来るか?」

「今までも、死神の星々はかなり大胆な暗殺をして来たからな。滞在場所がこんな王都から離れた場所で、守っているのが少数の護衛となれば、絶好の機会と思うはず」

 ――と、そのとき。

「その通りですよ、王女様」

 廊下に響いた声。

 その声は、学園で、そして官邸で聞いたそれだった。

「ノーリッシュ!?」

 俺たちはノーリッシュが現れる前提で待ち伏せをしていた。

 だが、こんな風に堂々と現れるとは思っても見なかった。

 クロエと俺は一斉に剣を抜く。

「それにアトラス君も」

 ノーリッシュは杖を抜くことさえせずに、俺たちを見る。まるでこれから授業でも始めようかという、そんな余裕を感じさせた。

「ノーリッシュ。顔も隠さず、よく堂々と現れたな」

 エリスは、ノーリッシュを睨みつけながら言った。

「そんなめの意味ないではありませんか? だって、あなた方には、もう正体がバレているんですからね」

 やはりノーリッシュは官邸に忍び込んだのが俺たちだとわかっていたらしい。

「待ち伏せされているとわかっていて現れるとは、なかなかいい度胸じゃないか。だが、今回は蛮勇だったな」

 そう言ってエリスは魔法陣を展開する。反魔法の聖域が、廊下に広がっていく。

「観念しろ、ノーリッシュ。いくらお前でも、魔法が使えなければどうしようもあるまい」

 エリスの威勢のいい言葉に、けれどノーリッシュはまったく動じていなかった。

「私はそうは思わないが」

 ノーリッシュがそう言った次の瞬間――

 廊下のガラスが割れる音。輝く破片が宙に舞うなか現れたのは――双頭の獣だった。

「ケルベロス!?」

 双頭の獅子。戦闘で使われる数多の魔法獣の中でも、最も強力なものの一つだ。

 それが二体も。これは厄介だ。

「クロエ、ノーリッシュは任せた」

 俺は剣を抜くと同時にクロエに指示を出す。

「承知です」

 魔法獣は、その2つの大きな口を開けて咆哮し、その牙を顕示する。

 僅かなにらみ合いののち、先攻したのはケルベロスだった。一地面をしなやかに蹴り上げて、放物線を描き、俺の方へと向かってくる。

 怯んだら死ぬ。

 直感がそう言っていた。だから俺は一直線にケルベロスに飛び込んで、真正面から斬り込む。

 その心臓めがけて刃を放った。だが、俺の刀は弾かれ、渾身の力がすべて自分に返ってくる。

「――⁉」

 見た目にはわからないが、魔法が皮膚を守っていた。この弾き方は、反射魔法だ。剣や体術などによる打撃を跳ね返す。

 ただの斬撃では、この魔力の壁は貫けない。

 俺は跳ね返された力を、そのまま反転する力に変え後退する。

 ――反魔法が裏目に出たか。

 反魔法は遠隔の魔法作用を無効化するが、自分に対する魔法は反魔法の影響を受けにくい。物理攻撃に頼らなければならないこの状況では、反射は最大の防御だ。

 ――しかし、魔法による戦闘が一般化した現代では、反射魔法はあまり使われない技術。おそらくノーリッシュは、俺たちが反魔法を使うことを見抜いて準備してきたのだろう。

 ――獣は両頭で唸り声をあげ、すかさず飛び込んできた。鋭い牙が俺の喉元を狙う。

 咄嗟に重さを受けきれないと判断、ステップで交わす――その直後、もう一体のケルベロスが襲いかかってくる。

 間をつかれた、避けるのは無理だ。代わりに、打ち込みで迎え撃つ。

 鉄の刃と、魔力壁とがぶつかり合う。

 反射の力は、守りになるだけではなく、攻撃にもなる。ケルベロスの体格からくる重さと、反射魔法による反発が、とてもさばききれない圧力になる。

 なんとか柔術の要領で相手の攻撃を利用して後退する。

 ――攻めてもダメ。だが体力勝負になれば、魔法獣に勝ち目はない。

 打開策を考える暇を与えまいとばかりに、ケルベロスは猛攻を仕掛けてくる。俺はジリジリと後退しながら、刃を躱すのに精一杯だった。

 ――いや、待てよ。

 俺はそこでようやく気がつく。

 反射の魔法は、物理攻撃には強いが、魔法攻撃には弱い。なら、こっちだけ魔法が使える場所にいけばいい!

 襲ってくる敵の攻撃を、後ろへのステップに変える。反射の力を利用して、意図的に後退した。

 逃げる俺にケルベロスはさらに猛攻を仕掛けてくる。

 さあ、五十メートルほど後ろに下がったか――

 俺はトドメとばかりに、迫りくる敵の刃を真っ向から受け止める――と見せかけて、反射の力をバネに――全力で後方に跳躍した。

 ケルベロスはここぞとばかりに、宙を舞う俺に二匹が同時に飛びかかってきた。

 空中では攻撃を避けれない。

 このままでは刃の餌食――否!

 俺は、空中で肺の空気をかき集めて発した。

「青い稲妻(Fulmen)!」

 次の瞬間、俺の刃の先から、炎の斬撃が顕現し迫りくる魔法獣に放たれる。

 ――俺は、後退して、反魔法の術式の外側に来たのだ。

 決して魔法での広範囲攻撃は得意ではなかったが、ケルベロスの反射魔法を打ち破るには十分だった。物理攻撃には強くても撹拌する魔法攻撃には弱い。

 魔法の結界を破られ、怯んだ二頭――その身体を、渾身の一刀で切り裂く。

 わずかなうめき声とともに、魔法獣は絶命した。

 刀を下ろし、一息つく。

 なんとかなった。

 ――だが、まだ勝負は終わっていない。

 鉄と鉄がぶつかる音は激しさをましていた。

 俺は踵を返して、クロエの元へと駈けもどる。

 クロエとノーリッシュが派手に剣戟を繰り広げていた。遠距離の広範囲魔法こそないが、次々繰り出される斬撃は鬼気迫る。

 少しクロエが押されている――いや、それどこかクロエの加護の結界は既に剥ぎ取られていた。それが意味するのは、次にもう一撃をくらえば死ぬというギリギリの状態で戦っているということだ。

 迂闊に間に入ることはできず、タイミングを伺う。

 だが、次の瞬間、クロエにわずかな隙が生まれる。それをノーリッシュは見逃さなかった。剣を握っているのとは反対の掌底がまっすぐ突き出され、クロエのみぞおちを直撃する。そのままクロエは後ろに吹き飛ばされた。

 壁に叩きつけられたクロエはそのまま動かない。

 死んだわけではない。おそらく気を失ったのだろう。

 そして、それはノーリッシュもわかっていた。

 ノーリッシュはクロエに歩み寄る――刃でトドメをささんと――

 ――俺はその瞬間全力で地を蹴って、ノーリッシュに斬りかかる。

 当然とばかりに、優雅に受けきるノーリッシュ。

 ギリギリぶつかる鉄の音。

 拮抗した剣を挟んで、視線が交錯する。

「アトラス君。勇気は買うがね。そういうのは蛮勇と言うんだよ」

「随分自信家なんだな」

「それは君こそ。剣ならば私に勝てるとでも?」

「当たり前だろ」

「若いというのはそれだけで価値があるものだな」

 ノーリッシュはニヤリと笑ってから、その刃を俺へと向けた。

 速いッ!

 それでいて全く動きが読めない。

 これまで剣を交わしてきた誰よりも強い。

 見ているだけでも十分伝わってきたが――やはり剣を交えればわかる。ノーリッシュは間違いなく超一流の剣士だ。

 しかも、明らかにノーリッシュは本気を出していない。それなのに、攻撃を受けきるのが精一杯だった。

 剣でなら勝てると思ったが、とんでもない勘違いだったらしい。

「どうした、この程度か?」

 赤子をあやすように軽く、しかし確かに必殺の意思を込めた刃。やつの斬撃を歯ぎしりしながら受け止める。

 露骨な焦り。これまで剣を交えてきたどの相手よりも強い――ッ‼

 ノーリッシュの無駄がなく洗練された連撃の中、わずかにできた暇に、俺は渾身の一撃を放った。

 これまでの人生をすべてを乗せた踏み込み。

 だが――

「たわいない」

 本当に軽々と、蚊でも払うように弾かれる。

 そして、必殺の一撃をあしらわれた今、待っていたのはノーリッシュのさらなる刃だった。

 最低限、最速の動きで、彼の刃を受け流す。だが、流れるように次の斬撃が放たれる。

 ギリギリで攻撃を弾くたび、少しづつ、わずかにではあるが、やつの攻撃は速さを増していく。

 このままでは追いつけない。

 その自覚は、やがて現実のものとなる。

 ――思考が加速する。

 ノーリッシュの刃は、今まさに俺の胴体を斬り裂かんとしていた。もうノーリッシュでさえそれを止めることはできないだろう。

 だから――俺は防ぐのを諦めて、俺は全速力で一刀を放つ。

 ノーリッシュの剣が、俺の結界を斬り裂く。そのわずかに遅れて、俺の刃はすれ違いざまにノーリッシュ胴体に叩き込まれ、加護の結界が破られる。

 俺の放った道連れの一撃に、それまで余裕の表情を浮かべていたノーリッシュの顔が一瞬歪んだのが見えた。

 だが、奴はあくまで冷静だった。次の瞬間、踵を返し、俺が体勢を整えるより早く、その勢いで回し蹴りを放つ。

 まともに腹にくらい、後方に吹き飛ばされた。

 次の瞬間地面に叩きつけられ、痛みさえ忘れ、思考が途切れかける。

 慌てて立ち上がろうとするが、呼吸が戻らない。

 それでもなんとかと剣を握りしめて、そして手元にそれがないことに気がつく。

「学生で、それだけの力があれば、将来有望だ」

 やつは、教育者らしく、圧倒的な貫禄とともに、息も絶え絶えの俺に称賛の言葉をくれる。

 だが、

「君たちの負けだよ」

 ノーリッシュが結界を維持するエリスの方を見た。

 エリスが結界を解けば、ノーリッシュの暴力的な魔法攻撃に飲み込まれるだろう。

 だが、結界を維持しようにも剣士二人が倒れた今、エリスを守るものはない。

「王女様がガラ空きだ!」

 ノーリッシュは、右手に持っていた剣を逆手にもちかえ、そのまま王女めがけて投擲する。

 全ての感覚が消え去った。

 吸い寄せられるように。

 あっという間の交錯。

 次の瞬間、ノーリッシュのレイピアが、俺の肩に突き刺さっていた。

「―――ッ!!!」

 鋭い痛みが、全身に駆け巡る。

 感じたことのない、もはや痛みなどという言葉では到底表現できない。

「キバ――ッ!!」

 エリスの叫びが、俺の背中にぶつかって、うめきと重なった。

「忠誠心に溢れた、素晴らしい僕(しもべ)だな」

 ノーリッシュが、少しずつこちらに歩む寄ってくる。

 奥歯を噛み締めて、膝に力を入れる。震える手で肩に刺さった剣を抜き去る。傷口から血が流れ出した。

「剣で刺された痛みに耐えながら、倒れないとは、見上げたものだ。歴戦の戦士でもなかなかこうはいかないだろう」

 ノーリッシュは、そう褒め称える。

 俺は痛みをこらえる力み、なんとか両の足を踏ん張る。

「だが、武器なしで何ができる?」

 まさに、その通りだ。剣だけが俺の唯一の得物だ。それが手にない今、俺にはあいつに立ち向かう術がない。

 だが、

「それはお前も同じだろ?」

 ノーリッシュも、状況は同じだ。自らの得物を、王女に向かって投げ捨てた結果、今は丸腰だった。

「ふむ、確かに」

 だが、やつは優雅に歩き、そして――

 ――耐え難い痛みの中で、意識が覚醒する。

 俺にできるのはただ祈ることだけだった。

 俺の力では奴には勝てなかった。

 でも――神の力ならッ!!

「……おっと、ここにお前の剣が落ちてるぞ?」

 俺が落とした剣を指出す。

「どうやらこれでおしまいだな」

 ノーリッシュが、その指先を俺の剣に伸ばす。柄を握りしめ、そのまま俺の方へと、処刑人のように静かに歩み寄ってきた。

 ――次の瞬間。

「――ッ!?」

 突然、ノーリッシュが膝から崩れ落ちた。剣が地面に落ち、カランと音をたてる。

 こわばる身体。やがて、力さえ入らなくなって、ノーリッシュは前のめりに倒れた。

「……バカな……」

 その顔は、先程までとは別人かと見間違うほどに驚きで歪んでいた。

 それを見て、俺は全身の力が抜けた。片膝をついて、なんとか倒れ込むことだけは防ぐ。

「俺の魂に触れた代償だ」

 俺はそう言い放った。

 ノーリッシュは、必死に顔を動かして俺を見上げた。

 ――答え合わせをしてやろう。

「その剣、柄に毒が塗ってある」

 俺が言うと、ノーリッシュの顔がさらに歪んだ。 

 今日のために、俺が用意した罠。

 もちろん、やつが俺の剣を拾ったのは偶然ではない。

 俺が――神の力が、やつにそうさせたのだ。

 反魔法でノーリッシュの魔法を封じ込める作戦には、懸念があった。

 ノーリッシュが格闘戦にも秀でている可能性だ。

 もちろん、ノーリッシュに剣技で勝てると踏んだからこそ、この作戦が立案されたのだが、しかし手合わせしたことがあるわけでもないし、確信はなかった。

 だから、俺は神の杖を使った。

 普通に剣技で勝てれば問題なし。

 だかもし俺とクロエが倒れた場合、ノーリッシュは結界を張っていて身動きがとれないエリスを狙い撃ちする。

 そうなったら、俺の剣をやつが拾うように仕向けた。

 俺たちが剣技で勝てれば、そもそもこのシナリオは発生しない。

 一方、もし負ければ、シナリオは十二分に「ありえる」実現可能なものだった。

 つまり、どちらに転んでも、勝利は確実だったのだ。

 ――その代償は、このとんでもない痛みなわけだが。

「バカ…な……」

 ノーリッシュは驚きを顔に張り付けたまま、気を失った。

 ――ようやく戦いが終わった。

 そしてそれが分かった瞬間。

 ――痛みが押し寄せてきた。命をかけた剣戟による興奮の麻薬が切れて、体を刺された事実を思い出したのだ。

 見ると、体の半身が真っ赤に染まっていた。

 膝から崩れ落ちる。

「キバ!」

 反魔法の結界が解除され、次の瞬間エリスが駆け寄ってきた。彼女の小さな手に体を支えられる。

「あ……あ……」

 振り絞るようにして、声を出す。

 だが、次の瞬間、世界が暗転した。

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世界は俺のシナリオどおり進んでいく アメカワ・リーチ@ラノベ作家 @tmnorwork

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