8

 いつまでもわたしは、二十一歳のまま、止まっているつもりだったけど、ジンくんの年を越え、ひとりの娘の母親になった。時間が経つのはあっという間だった。ほんとうに時間は残酷で、感傷をいつまでも大事にしている場合ではない。


 わたしは植田と付き合い始めてじぶんの過去をすべて箱に入れてしまってしまった。忘れようとしたのでも隠そうとしたのでもない。その代わりに、ときどき、思い出してはその記憶を飴玉のように舌でゆっくり溶かす。やっぱり忘れたくなかった。



 ジンくん。いくつになってもこころの中で呼んでしまう。ジンくん。わたしはことし三十八歳で、専業主婦をしています。優しい旦那がいて、娘も可愛いのに物足りないのはあなたがいないからです。でもいまもまだあなたがここにいたら、わたしは結婚もせず、娘もいなかったでしょう。


 わたしはいい大学にもいい会社に就職もできなかったけれど世間にうまく溶け込んで、それなりに幸せな人生を送れています。このままちゃんと生きていたらいつかまたあなたに会えるのかな。


 十二歳になった娘はこの頃好奇心旺盛で、それはがわたしがジンくんを好きになったときと比べてインターネット恐ろしい勢いで発達したからかもしれない。わたしが知らないようなことをよく口にしてくる。


 娘はわたしと違って、アニメや漫画が好きみたいだった。好きな漫画の絵を真似して描くのが好きみたいで勉強はそこそこしかやらない。こういうところは旦那譲りなのかもしれない。だけど好きなことがあるのなら、それでいい気がした。


 学校から帰ってきて、ランドセルを背負ったまま、キッチンのわたしの顔を覗き込んだ。


「お母さん」


「何」


「god-deathって知ってる?」


 そのバンド名をジンくんが死んでからひとの口からきくことは滅多になかった。まさかじぶんの娘からその名が出ると思わなかった。


「最近のバンド?」


「違う。お母さんの世代だと思うんだけど知らない?」


 涙が頬を伝い、次々と眼球を濡らす。


「ヴォーカルの名前は?」


「ジン。友だちが教えてくれたんだよ。昔のバンドだけどいいバンドだって」


 つまらない人生でもよかった。だってわたしはあなたと同じ時代に生きられたんだから。


 触っていたけれど、絶対に触れることのない、終わりのない片想い。


 ひとに話せばばかばかしいと言われてしまうことだけどあのとき、確かにジンくんがわたしのすべてだった。


「なんで泣いてるの?」


「ごめん」


 あなたの残した粒子は残ってくんだから。


 涙が渇いたら久しぶりに仕舞いこんだ箱を開ける。


「god-deathは最高のバンドだよ」


 箱の中の宝物を見ると娘は頬を輝かせて笑った。


「すごいね」


 聞き古したCD、未開封のCD、行ったライヴのチケットの半券。これがあなたとわたしを繋いでくれた絆。


 わたしは、生きていてよかった。あなたのことをひとに伝えられた。生きることを諦めなくてよかったよ。あなたは死なない。一生、わたしの神は、死なない。

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神は死なない 霜月ミツカ @room1103

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