第2話

 二

 とどろき彩夏あやかという存在を初めて知ったのは高校二年生の春だった。その年はやけに桜の開花時期がおそくなる寒い春だったことを覚えている。


「ラ ラーラ ラランララ」


 その日、ぼくは下校途中とちゅうに何の気なしにメロディーを口ずさんでいた。


 それは、昨日きのう見た映画のラストシーンで流れていた曲だった。もう日も暮れかけていたし、廊下ろうかにはだれもいないとおもんでいた。


 口ずさむ曲も佳境かきょうに進み、ぼくの気持ちも高揚こうようしていた。もはや登場人物の心そのものだった。だから彼女かのじょが近くにいることにも気づかずに大声で歌ってしまったのだ。


 彼女かのじょの存在に気が付いたのは、サビも歌い終えようとした時だった。


 彼女かのじょ大分だいぶ前からぼくの存在に気が付いていたみたいだった。そりゃあれだけ大声で歌っていたら当たり前か。とにかく、彼女かのじょはあの例の人を見下げたようなみをかべてぼくを見ていた。


「......」


 ぼく彼女かのじょはしばらく見つめ合った。


 ぼくは頭が真っ白になっていて話せなかったし、彼女かのじょは楽しみのため声を出さなかったんだと思う。


 沈黙ちんもくが痛々しくなったころ彼女かのじょが口を開いた。


「出だしは良かったと思います。しかし、サビに向かうにつれ少し力んでしまう傾向けいこうがありますね。次はもっとリラックスして、声の奥行おくゆきを意識して歌うといいと思いますよ。次はわたしがハモりますから、練習しましょう」


「…………」


 歌声を聞かれただけでもずかしいのに、その上総評され、さらにハモりで練習してくれると提案された。


 そんな女の子に出会ったことがなかったぼくは、全速力でげた。そして二日間学校をサボった。


 その時の彼女かのじょというのがとどろき彩夏さいかだった。


 その日以来、彼女かのじょはなにかとぼくっかかってきた。廊下ろうかで出会えば、ぼく鼻唄はなうたをネタに脅迫きょうはくしてきては、カラカラとうれしそうに笑うのだ。


先輩せんぱい、知ってますか?」


 彼女かのじょはとても情報通だった。それこそだれだれが今付き合っているだのというソフトうわさから、山田先生は今借金でとても苦しんでいるというハードなうわさまで。どうしてそんなことをお前が知っているんだよといううわさまで、なんでも知っていた。


 そしておそろしいことに、そのどれもが本当の話であるらしかった。


「山田先生。ついに学校やめちゃいましたね」


 面白おもしろそうに彼女かのじょがそういったとき、今後一切いっさい彼女かのじょに弱味を見せてはいけないと決意したものだ。

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