第26話 エルフの王

(いつだ?)

 カルダモンは急速に今までのことを思い出していた。


 『強火のグリエ』が放った炎は、すべて霧散させた。壁や天井に焦げ目をつけたが、湿気を含んだ樹皮を燃え上がらせるほどの熱量は残っていなかったはずだ。


(気絶させる前だ。それまでのどこかで……)

 それまでに起きたことをすべて思い出す。頭の中に急速に映像を浮かび上がらせて、グリエの動作のひとつひとつを検証する。カルダモンにはそれを一呼吸の間に行うことができた。軍の前線指揮官としての経験のなせる技だ。


 だが、わからなかった。


(炎で湿気を失わせたあと、壁に火をつけたのか? 私に気づかせずに? そんなことが、グリエにできるはずがない)


 強火のグリエ。カルダモンにとっても、知らない相手ではない。ブルギニョンとして、学院から落ちこぼれた彼女を冒険者ギルドに取り込んだのだから。まさか、彼女が『王の指輪』を見つけるとは思わなかったが。

 しっぽ族らしく魔力を制御できず、発火する時は必ず強火。低級な発火術しか使えないはずだった。


(グリエが炎を扱うには、発声が必要なずだ。それも、かなりの)

 発火術はとりわけ扱いの難しい魔法だ。術者には力加減が求められる……そして、グリエのような大雑把な炎の扱いしか知らない術者なら、大声を上げて魔法を唱える必要がある。重いものを持ち上げるために力を込める必要があるのと同じだ。

 発火術を声量なしで使うには、相当の集中力が必要だ。


(セージェリオンが扱いを教えたのか? それとも、まさか……私がグリエの力を見くびっていた?)

 カルダモンはたった一瞬の間に判断を下すつもりだった。だが、気づけば、その思考は数秒に及んでいた。それだけ、予想を超えたことが起きていたのだ。


 轟々と熱気がひろがっている。


(落ち着け、セージェリオンが何か手を打ったに違いない)

 はたとして、考えるのを打ちきった。原因を確かめるよりも、今から起きようとしていることに対処するほうがいい。そう考えたのだ。


(驚かされただけだ。大したことではない)

 いま、カルダモンの体には魔力が満ちている。これぐらいの炎を消すくらいは造作もないことだ。いつでも、呪文ひとつで消し去れる。


「急いで消火しないと、宮殿全体に燃え広がるぞ。『強火のグリエ』を甘く見るなよ」

 フェアリーが笑っていた。小さな満面に愉快さをにじませていた。


「嘘をついたな、セージェリオン」

 カルダモンの顔は炎に照らされ、赤く染まっている。怒りが内側から噴きだしているかのようにも見えた。


「グリエに『玉座から立たせろ』と命じたのは嘘だな。その逆が狙いだった……私がここから立ち上がらないように仕向けていたのだろう」

 けっきょく、グリエが何をしたのかはエルフにはわからなかった。代わりに、セージェリオンが仕掛けた罠については思い至ったのだ。


「どうせ聞こえてるだろうと思ってな。後ろで何が起きてても気づかなかっただろ」

 カルダモンの感覚は、今や森中に広がっていた。だから、自分のすぐそばで起きていることに意識を向けることができなかったのだ。

 生身の感覚だけを持っていたなら、背後の炎が発する熱にすぐに気づいていたに違いないのに、この空間に広がる熱気を見過ごしていたのだ。


「だが、なぜグリエは火を……」

 こともなげに、セージは肩をすくめた。

「俺の宮殿だから火をつけるなってグリエには言ってあった。でも……お前にやった」


『そんなにほしいならお前にくれてやる。玉座も、宮殿も、指輪もな』


 カルダモンの気を引くために言った言葉……ではなかった。

 カルダモンに向けて言っているように見せて、本当のメッセージは、グリエに送っていた。宮殿はもういらない、火をつけても構わない……そしてグリエは、気を失う直前、カルダモンから見えない背後に発火術を放ったのだ。


(ロウソクに火をつけたのと同じだ)

 にやついた笑みを浮かべたまま、セージは思い返していた。

(ごく小さな火でよかった。年月が立って、この謁見の間の樫にもいくつも小枝が生えてきている。そのうち一つに火がつけば、徐々に燃え広がるんだからな)


「だが、こんなものはしょせん小細工だ。消火してしまえば終わり……」

 カルダモンが片手を差し向け、炎を魔法で抑え込もうとした時。


「いまだ、マリネ!」

「えいっ!」

 青髪のしっぽ族が、思い切り、妖精の体を放り投げた。手足を丸めたセージが、一直線に顔めがけて飛んでくる。


「くだらん」

 カルダモンはそちらを見もせずに、フェアリーの体を片手で受け止めた。歴戦の戦士でもある彼にとって、非力なしっぽ族の投擲など恐れるに足りない。


「火を消してから、首をねじってやる」

 狼を思わせる顔に酷薄な笑みを浮かべ、妖精を片手で押さえ込む。

「最後に何を仕掛けようとしたのかわからんが、どうせ俺には通じない。悪あがきは終わ……」


 妙だ。

 カルダモンがつかんでいるのは、セージのはずだ。なのに、手に伝わってくるのはざらついた堅い感触だ。


 見えているものと、触っているものが違う。


「ティーゼローファが起動して、呪文の大部分は終わっている……」

 声が聞こえた。つかんでいるはずのセージよりも高い位置……カルダモンを見おろす位置に、不意にフェアリーの姿が現れた。


「……幻影術か!」

 自分の姿を消して、別のものに姿を投影して投げさせたのだ。カルダモンの手にあるのは……


 彫像。


 ひびの入った胸像だ。頭上に王冠をいただいたエルフの姿……

 五百年以上前、他でもないカルダモン自身が作り上げた像。


「最後の一言だけで起動する。カルダモン、お前が作った術だ」

 彫像のなかに籠った力は、ティーゼローファと王の指輪、二つを強引に結びつけるようになっている。


 ひとつの命を完全に封じ込めるには莫大な魔力が必要だ。彫像はその魔力を、ティーゼローファから確保する……そのため、ティーゼローファの真上にある、この玉座の間でしか使うことはできない。カルダモンの気が変わって、玉座から動いていたら、この手は使えなかった。


 そして、この彫像の魔法は、エルフの王を封じるものだ。エルフの王とは、『王の指輪』をもつものに他ならない。


 すべて、カルダモン自身が五百年前に仕組んだ筋書きをなぞっていた。


 ティーゼローファが起動している今、必要なものは、最後の呪文だけだった。


「セージェリオン、貴様!」

 目を見開いて叫ぶ。その手に着けられた『王の指輪』に反応して、彫像は燐光を放った。


 たったひとつの呪文を唱える時間があればよかった。すべてはそのためだった。


「エルフの王を封じよ!」

 セージが叫ぶと、広間にまばゆい輝きがひろがった。


 『王の指輪』をつけたエルフの王は、その光の中に吸い込まれ……その場に残された彫像は、からん、と床に落ちた。


 🌳


「んん……」

 焦げ臭いにおいを感じて、グリエは身をよじった。


「おきて! グリエ、はやく!」

 途端、急かすような声が聞こえた。親友の声。


 ゆっくり目を開くと、必死そうなマリネの顔が見えた。


「あいたた……」

 全身がずきずきと痛む。そうだった。カルダモンに吹っ飛ばされて、思いっきり壁にぶつけられた。


「カルダモンは……」

「この中だ」

 マリネが胸に抱えた彫像を指さして、セージが言った。


 セージが封印されていた像だ。マリネの店にずっと置いてあったものをもってきたのだ。


「じゃあ、やったんだ……」

「立てるか?」


「ちょっとヒタらせて」

 両目を閉じて、グリエは大きく深呼吸……しようとして、ますます焦げ臭いにおいをつよく感じて顔をしかめた。


「ヒタってる場合じゃないよぉ!」

 切羽詰ったマリネの声に急かされて、よろよろと体を起こす……周囲に満ちていた魔力の光はすっかり失われていた。だが、代わりにグリエ自身が放った炎が壁一面を覆い、逆巻く火柱となって天井に広がりつつあった。


「火が!」

「お前がぶっ倒れてる間に燃え広がったんだよ!」


「マリネ、凝固術で消火してよ!」

「あんなに火の勢いが強くなったら無理だよ、急がないと!」


「逃げよう!」

 ダメージもどこへやら、グリエははじかれたように立ち上がった。鉤尻尾をぴんと立てて、やおらに走り出す。


「そっちじゃないよ、こっち!」

 やみくもな方向に走り出すグリエの肩をマリネが捕まえる。


「そういえばさっきは上から入ってきたんだった……!」

 道を知らなかったことをようやく思い出し、グリエは頭を掻いた。すっかり痛みを忘れている。


「急げ! 宮殿が崩れるぞ!」

 その頭の上につかまって、命令を飛ばすセージ。グリエは一瞬、(置いていこうかな)と思ったが、なんとか堪えた。

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