第13話 王の指輪

 夜の街を見おろして、セージは高く飛んでいた。


 頭に戴いたリングから芳醇な魔力が流れ込み、全身にみなぎっていた。体から風を巻き起こし、フェアリーの弱弱しい翅では届かないほどの高度に、悠々と到達することができる。

 星々のきらめきがよく見えた。夜風は少し冷たい。だから、自分の周囲に魔力の泡を作って、風が体に当たらないようにした。


 簡単なことだった。

 指輪から得られる魔力は最強の魔法使いとして君臨していた頃には遠く及ばない。だが、知識と経験は妖精の体にも残っていた。

 冠のように頭にかぶった『王の指輪』はまるでセージの体の一部であったかのようになじんでいた。いや、事実、それはセージ自身が使うために作ったものだ。体の一部だったと言っても過言ではない。


(ここは俺の宮殿の近くらしい)

 ぐるりを見回せば、東に黒々とした森が見えた。五百年以上の時が立っているが、エルフの王国があった場所だ。エルフたちによって形を整えられていた木々は、今やある部分は野放図に育ち、ある部分は伐採されている。おそらく、この街のために使われているのだろう。


 セージは高く高く飛び上がった。自分がどれぐらいの力を取り戻したかを試すにはちょうどいい。

 学院の四階建ての塔よりもずっと高く飛べた。地上よりも星々のほうが近いと感じられるような気がした。


 その高さから見下ろすと、しっぽ族の街はちっぽけに思えた。平屋が無秩序に並んで、低い壁に覆われている。蜘蛛の巣の形に似ているが、それよりはずっといびつで偏った形をしている。

 セージにとって、パステシュの街はあまりに非文明的に思えた。彼の名のもとに、エルフの王国が繁栄を極めていたころのほうが、奴隷だったしっぽ族も文明的に暮らしていたはずだ。


「俺の偉大さを知れば、あのころに戻りたいと思うはずだ」

 セージは知っていた。ほとんどの者は、自分より強い存在を前にすれば自ら頭を下げて隷属したがるのだ。

 心の底では、だれかに自分の運命を決めてほしいと思っている。そうすれば、自分で考えなくてもいいから。


 なにもしっぽ族にかぎったことではない。彼にとっては国民だったエルフたちも、セージェリオンという王に仕え、従うことで幸福を得ていたはずだ。

 自分で決断することは苦しい。その決断の結果を受け入れるのはもっとだ。


(だから、王が必要になる)

 上に立つものが決断を下してやることが人々の幸せなのだ。セージはそう信じていた。


 『王の指輪』を身につけたからには、もうしっぽ族の力を借りる必要はない。

 力を借りるのではなく、命じればいいのだ。自分は王で、彼らを従える力を持っているのだから。


「まずはこの街の議会に協力させて、樫の宮殿を取り返す」

 夜間飛行を充分に味わい、セージは笑っていた。なにもかも、ことがうまく運ぶ気がしていた。


「ブルギニョンに証拠を突きつけてやろう」


 🌳


 日没後は冒険者ギルドの明かりは落とされている。セージが扉のない入り口を通り抜けると、二階にはまだ明かりが点いていた。緑色の、魔力の明かりだ。


「ブルギニョン!」

 ためらいなく、セージは二階の執務室へ向かった。魔法で扉を開け放ち、中へ飛び込む。


 部屋のなかでは、ブルギニョンと、受付にいた青年……ムニエルが机を挟んで何やら話し込んでいるところだった。

「なんと……」

 突然飛び込んできた妖精の姿に目を丸くするブルギニョンの眼前へまっすぐに飛び込んでいく。


「いきなりなんです……」

「お前に用はない」

 ムニエルとブルギニョンの視線の間に割り込んで、セージは肩をすくめた。

 物理的に他人の会話を遮るのは、自分が一方的に話したいときには有効だ。


「見ろ、昨日言った通りだ。『王の指輪』を持ってきた」

 セージはリングを外して、指にひっかけてくるくる回してみせた。内側に刻まれたエルフ文字が薄緑に発光するのが、彼の魔力に反応している証だ。


 ブルギニョンはしわの深い目もとを一層険しくして瞠目し、喉の奥をうならせた。

「ムニエル、二人だけで話をさせてくれ」

「ええ……」

 青年はうなずいて、部屋の出口へ向かった。しかし、セージが開け放った扉を閉める前に、ふと問いかける。


「グリエはどうしたんですか?」

「あったまってるよ」

 説明になってるんだかわからない返事。ムニエルは何かを言おうとしたが、ギルド長の顔を立てるためにそれ以上のことは聞かなかった。


「まさか、こんなに早く見つけるとは」

 ムニエルが扉を閉めたのを確かめて、ブルギニョンが呟く。まさかという驚きがはっきりと見て取れた。


「もともと俺のものだからな。手間はかかったが、これで間違いなく、俺がエルフの王であるとわかっただろ?」

 妖精が細い腕で指輪を高く掲げてみせる。その後ろでフェアリーのサイズに合わせた花火が飛び散った。セージが幻影術で演出したものだ。

 指輪の魔力を借りずに同じことをすればへとへとになって床に這いつくばっていただろうが、今では小指を曲げる程度の労力だ。それぐらい、指輪の魔力が有り余っていた。


「確かに。本物のようですね」

「ああ。すぐにギルドと議会に説明して、俺を支援させてくれ。そうすれば、この街は俺が庇護することを約束してやろう」

 エルフの王だったフェアリーは尊大に告げた。

 老いたしっぽ族は静かに考えを巡らせるように目を閉じ、眉間を節くれだった指で揉みこんだ。


「確かめても?」

 ブルギニョンが妖精に向けて手を差し出した。年輪を重ねた枝のような掌から、しかしセージは距離を取った。


「一瞬でも手放すわけにはいかない。見せるだけだ」

 セージはいまでもブルギニョンを信用していなかった。ブルギニョンの顔よりも高く飛び上がった。

 しかし。


「いや、渡してもらう」

 ブルギニョンの声音が大きく変わった。セージが不審に思うよりも早く、その手が老人とは思えない機敏さで妖精へとつかみかかる。


「渡すか!」

 すぐにかわせるように高く飛び上がっていたのだ。セージは指輪を頭上に掲げ、ひらりと手をかわす。天井に近い位置まで飛び上がって、安全を確保する。


「どういうつもりだ?」

 セージがエルフの王本人であることを証明せよと言うから王の指輪を持ってきたのだ。それを奪おうとするとは、正気とは思えない。

 詰問するセージに、しかしブルギニョンは答えない。代わりに、その瞳が魔力を帯びた。


「《アトラクト》」

 静かに、ブルギニョンが腕を突き出す。セージの手の中の指輪に、ぐっと力がかかった。目に見えない糸で引っ張られているように。


(こいつの魔法は牽曳術けんいんじゅつか)

 指輪をつかんだまま、逆方向へと力を発生させる。ブルギニョンの魔法を相殺し、セージは勝ち誇った笑みを浮かべた。


「バカめ。ひとつしか魔法を使えないしっぽ族に俺が負けるか。おれはあらゆる魔法を修めている」

 相手がどんな魔法を使うかをわかっていれば、対処するのは簡単だ。牽引術を無力化する方法を、少なくとも五通りは考えついている。

 もっとも簡単なのは、魔力の壁を作ってブルギニョンの牽引術を遮ることだ。そうすれば、奪われることはない。


 指輪の魔力を身につけたセージにとってはあくびが出るような簡単な対処だ。

 力の差を見せつけて、それから真意を問いただせばいい。

 そのつもりだった。


「エルフの王、セージェリオン」

 天井近くのセージへ向けて、ブルギニョンが古木の枝のような指を突きだす。

「力の一部を取り戻しただけの俺になら勝てると思ったか? 言い訳があるなら聞いて……」


「《バインド》」


 瞬間、セージの全身が凍りついたようにひきつった。


(バカな……!)

 魔力の糸に絡め取られてはばたくこともできない。準備していれば、これぐらいは防げたはずだ。だが、ありうるはずがない。


 しっぽ族がふたつの魔法を使うなんて。


「長かった。この時を待ち続けたぞ」

 ゆっくりと落下してくるセージの体を、今度こそブルギニョンの手がつかんだ。

 妖精の握力は、あまりにも弱々しい。あっさりと指輪が奪われる。


 老人の顔に、深い笑みが浮かんだ。


「お前にもう用はない」

 ブルギニョンは腕を振りかぶり……ボールを投げ捨てるように、セージの体を床へ叩きつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る