第三章 決めかたの決めかた

第14話 混乱

「ひ、ひどい目にあった……」


 街灯の立ち並ぶ通りを、グリエはふらふら歩いていた。

 体からは、ほくほくと湯気が上がっている。カギ尻尾もふわふわだった。湯から上がったあと、ラビオリが何度も何度も丹念に櫛を通したおかげだ。


『さあ、夜通し語り明かして今まで埋められなかった溝を埋めましょう!』


 ……と、そう言って、入浴ののち、ラビオリはグリエを自宅に連れて帰ろうとした。三十分以上にもわたる粘り強い押し問答ののち、なんとか彼女の追及を逃れてきたのである。


「指輪さえ手に入れば、ラビオリは後でどうにでもできるってセージは言ってたけど……」

 なぜか、ラビオリはグリエに強い執着を抱いているらしい。それがどういった類いの好意なのか、グリエ自身にはよくわかっていなかった。よくわからないということは、つまり怖いということだ。


 ひとまず、別れるまで指輪のすり替えに彼女が気づいていなかったことだけは幸いだ。


「疲れた……はやく休みたい」

 午前中にシュウウの試験を受け、同じ日にラビオリからリングを盗み出し……とにかく今日は忙しい一日だった。はやく宿に戻って寝袋にくるまりたいところだが、そういうわけにもいかない。セージを迎えに行かなければ。


「ちゃんとギルドにいるといいけど」

 勝手に飛び出していったセージは、おそらくブルギニョンに会うためだろう。眠気でくらくらしながらたどり着くと、扉のない入り口のすぐわきに青年の姿が見えた。


「や、ムニエル」

「やあ、グリエ。お連れさんが今ギルド長と話してるよ」

「やっぱり。すぐにあたしのことおいていくんだから、勝手なやつ」


(ふたりだけで話してるんだったら、邪魔しないほうがいいかな。ギルド長に失礼がないと良いけど……)

 幸いムニエルがいるから、ひとりで待つ必要はなさそうだ。


 二階にあるギルド長の部屋には小さな窓が開けられている。そこから緑の明かりがこぼれていたから、ふたりはそこにいるのだろう。

 その小さな明かりを除けば、ギルドのなかは薄暗かった。窓が締め切られているのみならず、昼間は騒がしい冒険者たちがいなくなっているからだろう。


 そのせいか、よく見知っているはずの建物の中に、何か得体のしれないものがいるような不安があった。尻尾の毛が逆立つイヤな感じをおぼえながらも、グリエは気のせいだと首を振って、建物の中に入っていった。


「疲れてるみたいだね」

 グリエの足下がふらついているのを見て、ムニエルは気遣うように言った。


「たいへんだったんだから。ラビオリに家まで連れて行かれそうになって、なんとか逃げ切ったけど……」

 がっくり肩を落としながら、ふらつく足取りで壁際へ向かっていく。そこには来客用の椅子があり、ここを訪れた冒険者たちはそのイスに座ってムニエルの気分しだいで決まる待ち時間を過ごすのだ。


「またラビオリさんに絡まれていたのかい?」

「ううん、今回はあたしから」

「それはまた、めずらしい」

 いつもはラビオリがグリエを追いかけているのに、その逆になった……という状況は、たしかに客観的に考えれば少々おかしい。グリエは自分のことながら小さく笑った。


「ふふ、セージの大事なものを、ラビオリが持っててね。それを取り返すためにあたしが体を張ったわけ」

「それはすごい。がんばったんですね」

「まあね!」

 グリエは褒められると疑いなく喜ぶ。いまも得意満面に胸を張っていた。


「でも、どうしてラビオリさんがそんなものを持っていたんです?」

「え、えーっと、それは、えへへ……」

 そして、都合が悪くなると露骨にごまかしにかかる。

 自分が何も考えずにセージの指輪を売り払ったのがそもそもの原因だなどとは言えるわけがない。さいわい、ムニエルはそれ以上追及するつもりはないようだ。


 グリエが別の話題を探して、お尻をイスに乗せた時、小さな物音が聞こえた。

 軽いものが床にたたきつけられるような、そんな音だ。

 二階にあるギルド長の部屋からだ。


「いまのは?」

「何が?」

 ムニエルはまったく気づいていないようだった。気のせいかもしれない。でも、グリエはますますイヤな予感が大きく膨らむのを感じていた。


 下ろしかけた腰を上げる。カギ尻尾をぴんと上に立てて、グリエは足早に階段を駆け上った。

「グリエ、待っ……」

 背中から聞こえる声を無視して、グリエは扉を開けた。ノックはしなかった。


 ブルギニョンがこちらに背を向けて立っていた。よく見知った背中だ。年配とは思えないくらい、大きくてがっしりしている。

 その足元に、ちらりと明るいものが見えた。


「セージ!」

 声を上げて、グリエは部屋に飛び込んだ。明るく見えたのは、床に広がった金色の髪だ。

 セージの小さな体が床の上に伸びて、ぐったりしている。糸の切れた操り人形みたいだった。


「セージ、しっかりして」

 抱き上げて、両手に乗せた。息があるのかどうか、グリエにはよくわからなかった。


「グリエ……」

 ブルギニョンがつぶやいた。深いしわと逆光のせいで、表情は見えなかった。

「彼が指輪を持って現れた。私に対して、街と市民をすべて従属させろと要求してきたんだ。私がそれを断ったら、魔法を使って暴れ始めたんだ」


 彼の言葉はほとんど耳に入ってこなかった。呆然とするグリエに、ブルギニョンは詰問するように声をかけた。


「彼が指輪を手に入れるために協力したのか?」

 グリエとセージの関係はブルギニョンも知っているはずだ。だから、なぜそんなことを聞くのかグリエは疑問を抱くべきだった。


 罪悪感を覚えさせて、不安をあおり立てているのだ。

 だが、グリエにはそれを考える余裕がなかった。そして、その狙い通りに、急に不安な気持ちを抱いていた。


「二人で一緒に。でも……」

「君は悪くない。彼を助けようとしたのだろう。だが、彼は最初から私たちを支配するつもりだったんだ」

「そうかも。でも……」

 グリエが言葉を続けようとするたびに、老いたしっぽ族はその言葉に割り込んだ。


「彼は指輪を取り戻すために君を利用していた。君が責任を感じることはない」

「わかってる」

「なら、彼をこちらに」

「セージがあたしを利用してたことくらいわかってる」


 妖精の体を胸に抱きながら、グリエは震える声とともに老人を見上げた。セージの体は、本当にそこにあるのか不安なほどに軽い。

 その小さな命を守る使命に古い立てられて、濡れた黒い瞳で恩人をにらみ付けた。


「でも、変だよ。あたしと初めて会った時にも、セージが魔法を使おうとしたのはあたしが手を出してからだった。ラビオリの時も。ラビオリが魔法を使った後にあたしに命令した。セージはギルド長のことをよく知らないはずなのに、自分から魔法を使うなんて。そんなのセージらしくない」


「私の言葉が信じられないのか?」

 老人は厳しい眉間のシワをさらに深くする。

「あたしも、ギルド長のことをよく知らない」

 グリエは自分でも気づかないうちに、急速に記憶を探っていた。


「そんなはずはない。私は多くのことを君に伝えた」

「でも、あなたのことを教えてもらってない。あたしはあなたがどうやってギルドを作ったのかも知らない。どうしてだろ。ギルド長には何度も助けてもらったのに、セージの方をよく知ってるって感じてる」

 なぜか無性に悲しくなって、グリエの目から涙があふれた。呼吸が落ち着かない。


「グリエ、君は混乱している。落ち着いて、私の言うことを聞くんだ」

 胸の中に、セージのわずかな呼吸と魔力を感じた。まだ消えてはいない。でも消えかかっている。


「セージはあたしが守るって決めたんです。このままじゃ命に関わるかも。指輪を返してあげてください」

「それはできない。彼が何をたくらんでいるか、君はわかっていないんだ」

「セージは自分の王国を取り戻したいんです」

「その王国では君たちは奴隷にされるんだ!」

 ブルギニョンの声は落雷のように大きく響き、グリエは驚きと恐怖で後ずさった。


「すまない、大声を出して。だが、彼の思うとおりにさせるわけには……」

 ブルギニョンが手を差し伸べる。

 古木のように節くれだった手を、グリエは避けるように背を向けた。


「あたし、セージを守るって決めたんです」

 カギ尻尾の少女はそれだけ告げて、部屋の外へ駆けだした。


「……ふん」

 差し出したままの拳を握り、ブルギニョンは傍らのテーブルに強くたたきつけた。


「ギルド長、何かあったんですか? いま、グリエが泣きながら……」

 受付の青年、ムニエルが開きっぱなしのドアから声をかけてくる。ひどく困惑している様子だ。ここで何が起きたのかを知らないのだから仕方ない。


「少し、行き違いがあった。すまないが、一人にしてくれないか」

 ムニエルは戸惑いながらもうなずき、戸を閉めた。

 ブルギニョンは長く大きな息をつき、広いソファに座りなおした。


 じっと手を見つめる。指を開くと、銀の指輪があった。その内側に彫り込まれた文字が、うっすらと緑色に輝いていた。

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