第12話 苛烈な愛情



 妖気切れで襲ってきた昨日の疲れは、今日の昼食になっても持ち越されるのだった。


 体が妙に重苦しい。手足は全身筋肉通で節々が悲鳴を上げている。頭はモヤがかかったように思考が固まらない。

 幸彦はそんな絶不調な中、亀の歩みのようにジャムパンをかじるのであった。


「幸彦さん? 大丈夫ですか? 先程から手が止まってますわよ?」


 幸彦のあまりにも遅い食事ペースを心配したのだろうか。対面で昼食を取っているお人形のような少女が、申し訳なさそうに声をかけるのだった。

 今日の昼食は幸彦、保奈美、梓の三人で食べていた。本当は祐樹もお礼を兼ねて一緒に食べたがっていたが、彼氏が別のクラスだったので彼女は断念していた。


「あぁ。なかなか回復しなくてな。梓さんもかなり辛いんじゃないか? 顔色悪いし箸、震えっぱなしだし……」


 そう、梓もかなり体調が悪いようだった。彼女は椅子に深くもたれ、弁当にも殆ど手をつけていない。つまり幸彦と同じ状態と言えよう。


「はい。正直かなり辛いですわ。……頭はガンガンするし、節々は痛いし、体は熱っぽいし。妖気を使い切るなんて、もぉこりごりですわ」


 梓は、大きなため息をつくと頬をさすった。幸彦も同感である。今も視界が渦のように回っているのだ。こんなことは二度とごめんだった。


「ふぅん? 二人とも体調悪そうね……遠距離タイプって肉体が貧弱だから大変そう。あら? 高級品もたまに食べるとなかなか美味しいわね。これは新発見だわ。ふふふ」


 隣の保奈美は、昨日あれだけ暴れまわったのに、幸せそうにオカズを頬張る。幸彦と同程度の戦闘を行っているにも関わらずだ。しかし、彼女は今日にはけろっとしていた。恐ろしい回復力である。


 彼女は黒い漆塗りの重箱に入った弁当を次々と食べ進めていく。中身は高級食品のオンパレードであり牡蠣や、伊勢海老など、実にお金持ちらしい弁当であった。

 

 幸彦はそれを見ると、嫌そうに首を左右に振る。そして胸を気持ち悪そうに押さえるのだった。


「なぁ、梓さん。保奈美って昔っから毎日こんなもの食ってるんだろ。なら舌超えてるんじゃないのか?」


 そう、不思議なことに保奈美は普通の料理にも感激していた。出来れば毎日食べていたいとも評価してくれている。

 疑問が顔に出ていたのか、梓は意気揚々と説明する。


「えぇ、食べてましたね。朝昼晩。そのおかげか私たちってこういうものを食べ慣れてしまって……そのあまり新鮮さがないというか……一般家庭の食事の方が舌が楽しいんです。ぶっちゃけ美味しいんですの」


 照れながら答える梓さん。普通は逆であろう。さすがブルジョワ。


 それに同調するかのように保奈美は首を熱心に縦に振る。どうやらお金持ちでも悩みが色々あるらしい。世の中世知辛い。


 そうして何気ない会話をだらだらと喋っていたからだろうか。甲高いチャイムが鳴り、クラスメイトが、徐々に教室に帰ってくる。


「ごちそうさまでした。楽しい食事だったわね。二人はお腹いっぱいになった?」


「あっ……」


「えーっと……」


 二人の手元を見ると昼食は全く減っておらずネズミがかじったような有様なのであった。




「助かったよ。お前が栄養補助食品持ってて」


 幸彦は、掴んでいるアルミの袋を押す。するとゼリー状の中身が押し出され、幸彦はそれを喉に流し込むのだった。


「これぐらいは私にも簡単に想像できるわぁ。念のため持ってきておいて良かったわ。梓もちゃんと飲めてるみたいだし」


 授業が自習なのがありがたい。そうでなければこんなもの授業中には飲めなかった。


 保奈美は、それを一生懸命飲む幸彦をにこにこと見つめる。満面の笑みを浮かべていた彼女で合ったが、ふと何かを思い出したかのように顎に手を当てる。


「そうそう、幸彦君って私と組む前にいっつも一人でケガレ討伐してたでしょう? 鏡面世界で一人で行動するのはとても危ないわ。それなのになんであんなことしてたの?」


 保奈美はさも見てきたかのように言う。


「なぜ、それを知ってるんだ……誰にも見られてないのに……」


「私、目がいいから。とっても」


 そうだった。保奈美は昨日難なく、十キロも離れた所からケガレの数と種類を識別していたのだ。


「そうだな……端的に言うと組むやつがいない。というか組めない。お前も噂なら知ってると思うけどな……」


「噂ならね。でもここに本人がいるんだもの。なら直接聞いた方が手っ取り早いじゃない」


「あぁ、それは――」


「それはそいつが、事件を起こしたからだよ。鈴木」


 そこで話を続けようとすると、唐突にダミ声が聞こえる。

 後ろを振り返ると、井沢が唐突に幸彦になれなれしく肩を組み、保奈美に話しかける。


「あら……? 貴方は確か……長谷川君だったかしら? 今は自習よ。うろちょろするのはあまり感心しないわね」


 保奈美は明らかに不愉快な顔をして井沢に視線を向ける。口から下は笑顔であったが、表情は全く笑わっていない。その琥珀色の瞳は、井沢を見ているようで、全く見ていなかった。


「井沢だよ。井沢。なぁ、こんな奴ほっといて俺と仲良くしないか? こいつネクラで貧弱で弱いし。俺と遊んだ方が絶対楽しいぜ」

 

 名前を覚えられていないのに井沢は食い下がらない。どうしても幸彦を陥れたいのか、彼女にしつこく構うのであった。


「だとしても貴方の口からそれを聞く意味はないんじゃないの? 無関係の人にはねぇ」


「いいや、関係あるのさ。そいつは、俺も巻き添えに攻撃したんだからな」


「へっ⁉︎ お前あそこにいたの⁉︎」


 幸彦は目を丸くする。一応巻き込んだ全員に謝罪した彼であったが、それは初耳である。


「あぁ、しっかりいたぜ。あれは痛かったなぁ。まさか攻撃が来るなんてな。思いもよらなかったぜ」


 井沢はネチネチと幸彦を攻めてくる。彼は自分が悪いという自覚は全くなかったようだ。そうとなれば話は簡単である。


 幸彦はあえて殊勝な態度で彼に謝る。


「あれは……悪かったよ。まさか、侵入禁止区域に術士がいるなんて思わなかったんでな。ろくに確認もせず、初級結界で弾いた俺のミスだ。痛かったろう? ごめんなぁ?」


 彼は盛大に煽る。協会員からは、別に話すことを止められはしなかったのだ。わざわざ喋るなというだけで。


「お前⁉︎ それは他言無用って言われてただろうが! お前何様のつもりなんだよ!!」

 

 井沢は組んでいた腕を幸彦の首に回してくる。顔は今にも火を吹きそうに真っ赤であり、変化も徐々に揺らいでくるのだった。


「ぐっ……お前がしつこく話したがるから俺が簡略的に説明してやっただけだろーが。それに協会は無闇に情報を垂れ流すなって言ったんだよ。お前らの名誉のためにな! バァーカ!!」


「こんの……! さっさと落ちろ!! 貧弱野郎!」


 井沢はさらに腕の締め付けを強くする。すると幸彦の脳への血流の流れが少なくなり、頭がさらにフラフラする。しかし、彼は落ちる一歩手前で大きく肘を振り抜く。


「そう言うセリフはなぁ。一度でも俺に勝ってからほざきやがれ。弱い時に限って喧嘩売ってんじゃねぇーー!!」


 地面に足をついた幸彦は、続け様に強烈なロケット頭突きを井沢に食らわせた。


「がぁぁぁぁぁ⁉︎」


 彼は顎の痛みに思わず気を取られ、チョークスリーパーを外す。この隙に幸彦は距離を取り、息を整えるのだった。 


 狭い教室内での戦闘は彼の得意分野ではない。おまけに体力も妖気もすっからかんだ。悔しいながら、今の状況はかなり厳しいのであった。


(くっそ……普段ならなんてことないんだけどなさすがにこれでじゃれあいはキツい。せめて獲物さえあればな……)


 しかし、これは幸彦に向けて、売られた喧嘩だ。逃げるのは非常によろしくない。なので彼は保奈美に手を出させないように後ろを振り向くのだったのだが……


「おい、保奈美。手出しは無用だからなって……保奈美⁉︎ お前何してんの⁉︎」


 どうやら手遅れだったらしい。教室に大音量で破砕音が響く。それは生沢を黒板に叩き付ける音であった。


「お前……そこまでしなくても……」


 幸彦は彼女の、所業に恐れ慄く。


「ダセーな! 勝てなくなったら女に頼るのか? 卑怯なお前らしい――がぁぁぁぁぁ⁉︎」


 井沢はまだ、悪口を続けるようであったが、それは黒板に押しつけられることによって阻止される。


「ベタベタベタベタベタベタ……芹沢君は誰の許可を得て、幸彦君に密着しているのかしら? うん? 全く……これだから発情したオスは」


 そうして保奈美は、もう一度井沢を黒板にめり込ませる。


「おいぢょっどまで! おではアマダじゃなぐてお前のことが――」


「悪いのはこの口かしら? これはお仕置きが必要ね 熊沢君! いーち! にーい! さーん! しーい!」


 彼女は掛け声と共に何度も井沢をプレスする。彼女は自分のためにやっているのだろう。


 しかし、限度というものがある。明らかにやり過ぎであった。幸彦は急いで保奈美の体を井沢から引き剥がす。


 おしとやかな委員長の変貌にクラスが一気にお通夜になる。そんな無音は、一匹の妖怪の絶叫で破られた。


「のぉぉぉおぉぉぉぉ⁉︎ 貴方何やってますのぉぉぉおぉぉぉぉ⁉︎ せっかく隠してたのにぃぃぃぃ!!」


「あぁ、あずっち落ち着いて! これは愛の暴走だよ! 多分。クラスの皆もわかってくれるから!」


 梓さんは、ふらつきながら頭を抱えて不思議な踊りをする。彼女はしばらく踊り続けた後、隣の祐樹の腕の中で、バタッと気絶をするのだった。


 幸彦は目をつぶりながら、副委員長らしく指示を出す。


「保健委員ーー⁉︎ 誰か、白百合さんと井沢を運べぇ⁉︎ 自習で、気絶なんかシャレになんねぇぞーーーー!!」


「今後二度と幸彦君に発情しないでね。赤沢君。出ないと……次は殺すから」


 クラスの皆に死を意識するほど、彼女は冷たい声で井沢に忠告する。自分の恋人ながら本当に恐ろしい。


 一人は物理的に、もう一人は精神的に気絶させる。そんなバイオレンスな恋人保奈美さんは、鬱憤を晴らしてスッキリしたのだろう。

 保奈美は嬉しそうにこちらにやって来る。そして、彼女は幸彦の方が身長が低いにも関わらず、遠慮なく飛びつくのだった。
















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