『アンドロイドは月にて跳ぶ 上』


 君主は民衆を味方にすることが必要であり、さもなければ逆境にあって施す術がない。


 ニッコロ・マキャベリ 『君主論』




 衛星Satellite--Class-汎用-Artificial-人工-General-知能-Intelligence構想の発祥は古く、第三次世界大戦前にとある国際コングロマリットの宇宙開発部門子会社が生体金属によるAI開発を成功させたことに端を発する。

 生体金属による量子AIの自己複製によって衛星そのものを資源として大型化、それらを統合することで超巨大演算装置を生み出そうという夢のある話だ。だが、夢のある話と言うのはいつだって夢みたいなものだ。この事業はそもそもが冒険的で、そんなことをするくらいなら外惑星系開拓の最前線となっている火星の開発を急ぎべきだという至極真っ当なプランによって頓挫した。かくして、SCAGIスカージ計画は始まることなく終わった。

 ―――はずだった。

 


「それが企業戦争のナノマシン技術でアップグレードされ、ひっそりと実現したどころか、今じゃ月の女王ハインライン・クイーンってわけか」



 機内の禁煙表示を殺してやりたい気持で眺めながら私が皮肉っぽく言うと、対面の座席でタブレットを操作しながらヴィヴィアンがにやついた。 



「結局、第三次世界大戦で地球政府の疲弊と大規模な難民危機が発生したせいで、今じゃ地球はゴミ溜めさ。まともな奴らはみんな地球を捨てていくのさ」


「持続可能なはずの社会を持続できなかったから見捨てた、の間違いだ。ガニメデのヤツを見ただろ? 今もクソったれで高尚なクソ袋の人間は輪廻よろしく堂々巡りすれば資源が減らないと思っていやがる」


「さすが空挺エアボーン、ホワイトカラーには厳しいお言葉だ」


海兵隊レザーネックスほどじゃないがな」


「心持としちゃ上等なんだ。エネルギー保存側や熱力学だって閉塞サイクルはできるって考え方もできる。ただ、世界っていうのは一と言ったら百まで点呼が続くような軍隊と違って、少しばかり複雑で、ちょろまかしが多いのさ」



 対面のファーストクラス席でタブレットから目を逸らさずに言うヴィヴィアンに、私は肩をすくめながら鼻で笑ってやった。

 私たちは今、戦争で降下したこともないところに行く途中だった。安定した酸性雨の辛気臭い天候の北米、西海岸から東海岸へ飛び、そして今は月面首都の《コペルニクス》への宇宙飛行中だ。

 地球人類が地球と言うものに愛着を失くしてから、観光目的の宇宙航空便はアフリカやオーストラリアなどの南半球に限られている。赤道上の軌道エレベータもあるにはあるが、ナイロビ・エレベータ崩落事件以降、その警備と防衛は最重要軍事施設扱いになっているため、使う気にはなれない。あそこの警備・防衛システムは冗談も通じない生真面目さで銃砲をぶっぱなす。まあそもそも、そこまで行くのも面倒だった。

 故に、馴染みのクソったれな故郷の北米から飛ぶことになった。北米の宇宙航空便には窓はない。つるっとした白いブレンデッドウィングボディの機体にはそんな面白味のあるものはない。安く作り長く使うために不要なものは排除されたのだ。私たちが今座っているファーストクラス席でさえ、取り換え可能なモジュール式で、なにもかもがそう設計されている。大昔の軌道船オービターは一回ごとに、それはもう国挙げてのイベントのようなものだったが、今では日常に埋もれた、ただのよくある往還船でしかない。

 かつて人類が初めて動力飛行を成し遂げた時、それは世界各地で世界初を発掘し合うほどの熱狂ぶりだった。まず誰がどれくらい飛んだのかではなく、誰がいつ飛んだのかを競い合った。距離と速度の競争はその後に始まった。

 そのファクターが移り変わっていっただけだ。技術の進歩によって空の旅は普遍化し、誰も旅客機が離発着するだけで大歓声をあげるなんてことはしなくなった。ただ、飛んで行って、降りるだけだ。それだけのことに興奮して熱狂した時代のことなど、もはや過去のこと。軌道エレベータだって同じだ。上に行って降りてくる。最初はそのスケールの大きさに驚愕し興奮するが、なんてことはない。ただ上下しているだけだ。スケールが違うだけ。

 初めてはいつだって興奮して、熱狂して、事が終わると安堵と余韻に包まれる。それはもう、セックスと同じだ。同じことを繰り返していくと、感性は刺激を刺激と思わなくなる。ただ、空を飛ぶことと言うのは思っている以上に無理を押し通している事象であるから、振れ幅がない。変に振れ幅を大きくとって奇抜さに走れば、というか、そんなことしなくても、広大な空と空力と大気の粘性というものはフラッターでなにもかもを破壊する。輸送機から飛び降りるのが仕事の第一段階だった私などは、まったくもって笑えない話だ。制御された降下と、放り出される降下には計り知れないほどの差異があるというのに。

 窓もない上にまともな話し相手にも欠く、そしてなにより哀愁を癒し私の縁の残り香を感じさせる煙草を吸えないために、私はひたすらに地獄のループにはまって気分が落ちていく。そんなダウナーな私は、ふとあることに気づいてヴィヴィアンに言った。酷い顔をしていたのか、ヴィヴィアンが「うげっ」と呻いていたが知ったことではない。



「ヴィヴィアン、月はもしかして、……禁煙なのか?」

 

「ハッココアシガレットでも握りしめてろ、バーカ」



 満面の笑みを浮かべてからかってきたヴィヴィアンの顔面に、私はポケットの中でいじくっていたオイルライターを取り出し、投げた。

 判定はストライクだ。

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アンドロイドは七色の涙に濡れる 狛犬えるす @Komainu1911

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