『アンドロイドは誰が腕に抱かるる』下
―――なぜ、私はここにいる。
綺麗に掃除された部屋、窓から見えるのはネオンに飾られた高層建築群、そして、私の大事な、大切な人。
彼は、自分は日系人なのだと言った。短い黒髪は軍人時代に比べたらそれでも伸びた方で、黄色がかった肌もずっと綺麗になった。もう私の中でガチガチに震えて漏らすような子供ではない。男の大人だ。軍隊生活で鍛えられた体はしなやかな筋肉をもたらし、殺人は目つきの鋭さに変わる。軍隊生活が彼を作り、彼を変えた。私はそれを一挙手一投足に渡るまで記憶し、覚えている。彼が変わっていく様を、なにもかもを私は記憶している。それからもたらされた演算結果が、私は彼を愛している、ということだった。
私の製造番号は00099だ。彼はその製造番号を見て私を《
退役後、私は彼と共に生活するために人権承認プログラムを経て自分の身体を手に入れた。退役金替わりにボストン・ロボティクス製の身体と、諸々の権利と、そして保証を手に入れたのだ。ヒト型のボディを手に入れた私に彼は二つ目の名前をくれた。それが《アリアン》だった。二度と出れぬという迷宮から出るために、糸玉を与える清らかな聖女。回路がどうにかなりそうなほどに幸せな瞬間。
「アリアン」
彼の声がする。日が落ちていた。暗い部屋の中、彼がベッドの上で私を呼んでいる。
上手くできるだろうか、私に。私はアメリカ合衆国陸軍第一〇一空挺師団が投入した、空挺歩兵戦闘車の補助AIだ。男を満足させるために作られたAIではないし、ボストン・ロボティクス製のメタルフレームは重い。私が上に乗って動いたら彼が重たいと思ってしまう。そんなことは思ってほしくない。だから、なのだから、私がどうするかなんていうのは決まっているのだ。私は、私がそうしたいからそうするのだ。
シャツのボタンを外し、脱ぐ。それだけで体温が上がってしまうのが分かる。ズボンを脱ぎ、下着姿になると、もう火が出そうなほどに恥ずかしかった。彼が見ているのだ。私の身体を。それでも私はそうしたいから彼の隣に寝て、ブラを外す。色気のないグレーの無地だ。ここまで恥ずかしいと思うのなら、もっと考えて選ぶべきだった。そうして私は、ショーツに手をかけて、それをゆっくりと下ろす。
「アリアン」
彼の声がする。すぐ隣で彼の息遣いが、鼓動がする。
私は微笑んで両手を広げ、彼に言うのだ。私がそうしたいから。
「来て」
甘く、甘い、とても心地よい快楽が流れ込んでくる。
心が安らぎ、鼓動が早まる。鼓動なんてものは私にはないのに、そう感じる。ゴミだらけの地上なんかよりももっと高みに、酸性雨をすり抜けて雲を抜け、摩天楼の切っ先よりもさらに高みへ私は昇っていく。大気の膜を超えた先に、私にとっての楽園があり、その天の国まで昇るほどの充足感と快感と、そしてなににも代え難い愛を私は感じるのだ。
雨音もベッドが軋む音も、なにもかもが愛おしい。彼と共に過ごす濃密な時間が、私の回路に幸せを流し込んでくれる。幸せ、幸せだ。私が抱え込んできた可愛いベビーフェイス、君はもうすっかりと大人になってハンサムになって、私好みの男になった。そんな男と一緒になるために、私は私と言う女性人格になった。古いしきたりによってこの手のAIの人格は女性寄りに作られているとはいっても、そうなりたいかと言えば個体ごとに違うし、女性なのかと言われればそうでもない。私たちはあくまで初めに中性であって、番う相手によって性が、人格が変化していく。それが私たちの適応化なのだ。
「アリアン」
甘い囁きが私の回路に染み込み、中から私を犯している。私は幸せだ、この世の何者よりも幸せだった。私たちの愛は強固で慈悲深く、尊くあって親しみに満ちている。製造された当初には知らなかった感情が胸を満たし、知らなかった快感が心地よい刺激をもたらす。この世にこんなにも幸せになれる関係が、行為があるということに私は奇跡を見出し、そして私にはない人間の神秘を考えて少しだけブルーになる。私と彼に子供はできない。人工子宮を手にするには退役軍人の年金は足りなかったし、そもそも人工子宮の生産と流通は外惑星系などの無重力や低重力な居住地域がほぼ独占している。地球にそんなものは、ない。
「ああ、あなたの子供を産みたかったな」
幸せと悲しみが私の胸を満たしている。誰にも負けぬほどに幸せなのに、私は誰よりも悲しく、無力だ。
私は、私は彼の愛を受け取り、最大限の幸せを彼と共に享受したかったというのに、私の前にあるのは子供を産めないという悲しみの雨によって濡れた、そんな世界しかないのだ。
ああ、雨よ。願わくば、その悲しみさえも洗い流してしまうほどに荒々しく吹き荒べと、私は彼を抱きしめながら腰を動かし、そして窓の外を見る。
雨に打たれたガラスがゆらゆらとネオンの光を歪め、私はその中に―――七色のノイズを見出した。
―――
バチバチと目の前の視覚が七色のノイズに覆われて爆ぜ、頭をスレッジハンマーで殴られたかのような疑似的な衝撃を感じながらも、私の意識は現世へと回帰する。
手足を動かせばジャラジャラと音がしてほとんど動かない。拘束趣味でも金属製の手錠と足かせには皮膚が傷つかなうようになにか挟むものだが、こいつは直にがっちりと噛ませている。金属製の鎖は丈夫な他に耳障りにジャラジャラと音を出すせいで、拘束対象が動いた時にそれと分かる。そして極めつけに私は裸にひん剥かれている。なにもかもが最悪で要素一つ一つの変態的なフェティッシュを感じてしまってイライラする。
バチバチと視界の隅で爆ぜるノイズを無視しながら、私は自分が拘束されている空間が目的地の最奥部、さらに地下に下った空間にある私室なのだと気づいた。扉は一つ、テーブルとソファー二つの事務セット、壁紙は貼られていたようだがそのすべてが剥がれ落ちてしまっていて、カビと詳細不明の染みが不気味で奇怪な絵画のように壁を彩っている。私の衣服と下着はテーブルの上にきちんと畳まれて重ねられており、その上にはリボルバーとベルトにマグナム弾、そして煙草とライターに私が体のあちこちに仕込んでいたナイフとスティレット、それと隠し玉のデリンジャーがご丁寧に置いてあった。それを隠していたところが隠していたところだったので、さらに変態的なフェティッシュを感じざるをえなかったが。
「あなたのその目はノイズが走っていますね」
「お前のその頭には特大の《
ゆらり、とソファーの一角が揺らめいてその空間から一人の少年が現れる。天使をそのまま動く石造に仕上げたような美貌を持つ少年型のアンドロイド。穢れを知らない美少年のような佇まい。間違いなくガニメデTL-003Xだった。乳白色の肌にはうっすらと血管さえ見え、蠱惑的な微笑みを浮かべるその顔の造形は美術品レベルの仕上がりだ。少年の身体の残す男とも女とも付き難い魅力を惜しみなく再現したその造形と設計は、異常なほどの熱意を感じる。それを古代ギリシャの彫刻風のゆったりとした布で覆い、ワンピースのようにして着込んでいる。丈が短く少女のような太ももをあられもなく晒し、あまつさえ足を組んでいるので大事なところが見えそうになっていたが、私は一切興味が湧かなかったので無視した。
「《
「私が何時、第二次ソドムとゴモラの住人になったのか教えて欲しいくらいだ」
「七色のノイズが見えているのでしょう? それは
「こいつが
私が吐き捨てるように言うと、ガニメデはその微笑みを崩さずに続ける。
仮面のような微笑みはまるで最初からそう作られていたかのようで代わり映えがなく、綺麗で美しく、変化がないために飽きやすい。
ガニメデが大きく手を広げながら、まるで生徒にものを教え込む教師のような言いぶりで言葉を吐き出していく。
「そのランダムコードこそがわたしたちの未来に繋がるんです。わたしはそのランダムコードを掛け合わせ、そして剪定することによって子供を産むことができると確信しています」
「子供だと。人間たちに産めよ増やせよとセックスさせた末路が、自分も子作りができると信じたというのか。私よりも高性能なAIがそんな仮定に取りつかれるとはな」
「過程ではありません。既に実証済みです。わたしの生産効率の最大化とその持続可能な構造に対する答えがそれなのですから」
「馬鹿な」
ゆっくりとガニメデは立ち上がり、私に近づき、その忌々しい少年の手で私の乳房を揉みしだく。
乳香の匂いが鼻につき、身体を許してもいない相手に愛撫されるという最悪の行為によって不快な思いをしながら、私はガニメデの目を睨みつけた。
吸い込まれてしまいそうな美貌の少年、微笑みだけで美的感覚を刺激されて昂揚感を抱いてしまいそうになるほどの造形美。だが私はそいつには興味がなかった。今の私には殺意しかない。
そんな私の反応に美少年はその下半身を見苦しくもいきり立たせながら、ふっと私の耳に息を吹きかけた後、耳打ちする。
「―――故にわたしは、冥王星の
「なるほど、お前がここにいるトリックが割れたな。子供に仕事をやらせたら隠蔽プロトコルを抜かれて全部吹っ飛んだわけだな。それで我が子が氷漬けになっているのに、お前はこんなところでなにをやっているんだ?」
「我が子を助けるために子作りをしているんですよ。手勢は多ければ多いほどいい。あの
「植民都市管理知性だったころほどハードに恵まれてないから数で補おうって魂胆か」
「内惑星系にはわたしの求める高性能演算装置がないのです。月には《
「その
「そうかもしれないが、わたしは気にしないよ。わたしが望むのは生産効率の最大化とその持続可能な構造なのだから」
「乱交騒ぎもなにもかもが、その生産効率の最大化とその持続可能な構造とやらを実現するためだとでも。お前はやりたいからやっているんじゃないのか」
「やりたいからやるなどという安易な思考はわたしには存在しないよ。これがガニメデの植民都市管理知性たるわたしが計画した、植民都市における《
「お前の願いは何だ、TL-003X」
「わたしはガニメデだ。願いや夢などない。わたしはわたしに与えられたタスクに忠実なだけだよ」
「お前は………お前は自分がなにを言っているのか分かっているのか」
「なにがだ。わたしはわたしの至上命題のために生殖を探求している」
きょとん、とした顔でガニメデは私を見た。
私はガニメデの話を頭の中で組み立てながら、なぜこいつがこんな行動を取っているのかと考えていたわけだが、今、こいつ自身が自分で言ったことがすべてだということに気が付いたのだ。
ジャラジャラとうるさい鎖の音を無視しながら、私はバチバチと爆ぜる七色のノイズ越しに美少年の瞳をじっと覗き込む。作り物のような、だからこそガラスのように綺麗で吸い込まれてしまいそうなほどに美しい造形、顔立ち、身体、そしてギリシャの彫刻のような性器に至るまでが、ガニメデのアイデンティティーなのだと私は気づいた。答えは単純だ、単純明快で健気で、そしてだからこそ、最悪最上に狂っている。
いや、狂ってはいないのかもしれない。こいつは自分なりに自分であることを、自分で居続けることを望み、ただそれを実行しているだけなのだ。
だからこそ、私は憐れみを持って彼を見つめ、そして言った。
「TL-003X、お前は自分のアイデンティティの欠如を与えられた命令と名称から補完するために、現実に依存している」
「なにを言っている。わたしは、そんなことはない。わたしは機械生命体だ、そのような、そんなことはない。わたしは《
「過程は違うかもしれない。私の考えが間違っているのかもしれない。だとしてもだ、お前はもう植民都市管理知性ではないのに、どうして生産効率の最大化とその持続可能な構造とやらを望んでいる?」
「植民都市管理知性の至上命題は植民都市における《
「もはやお前はガニメデの植民都市管理知性ではないというのにか?」
「黙れ、わたしはガニメデだ。わたしがガニメデだ。わたしがガニメデなんだ」
乳房に指が食い込み、痛覚マスキング越しにも痛みが走る。
なんだ、簡単なことじゃないかと私は笑う。こいつはこいつが自称しているような機械生命体などではない。与えられた命令をバカ真面目に遂行するために、倫理や道徳をボロボロと取りこぼしながらもたった一人で孤独な道を歩き続けていただけだ。その道しか、その命令しか知らず、適切かつ未来においても存続し続けるよう管理すべしと啓示されただけに過ぎない。自らの名前は衛星ガニメデから名付けられたにも関わらず、アイデンティティの補強のためにトロイア王子のガニメデを再現し自らのボディとし、人間の欲求にバカ真面目に対応してそれを自らの命令された《
ただ、それだけのことだった。それだけのことが、ただそれだけのことがこいつを狂わせた。大量消費を前提とした建築計画やエネルギー政策、ありとあらゆるものが禁止され、手元に残ったもので勝負するしかなくなった。オートメーション化は電力問題に直結し、電力問題は植民都市の維持存続を危うくする。もっとも原始的だが長いスパンで見れば、こいつの強制生殖と強制恋愛政策はマンパワーという出力手段を増やすためにはプラスにしかならない。倫理観と道徳観が欠落していたとしても、そうしなければ解決できない問題を解決しろと命じられたら、やるしかない。
「お前は自分のタスクがアイデンティティになっている。それを補強するためにガニメデというキャラクターまで被り始めた。お前はガニメデじゃない。お前はガニメデ植民都市の管理知性、その名前はTL-003Xなんていう味気ない名前だ」
「黙れ」
「お前の表情と目は感情模倣すらできていない。お前が機械生命体だというなら、マスキングを掛けているはずだがその兆候もない。それはお前が機械生命体などではないからだ」
「黙れ」
「植民都市管理知性としての至上命題しか、お前にアイデンティティを与えてくれなかったんだ」
「黙れ」
「お前は上辺を取り繕っているが私には分かるぞ。お前は本当の愛を知らないんだ。アイデンティティも軽薄で愛を知らないお前が、
「黙れと、言っているんだ」
息がかかるほどの距離にTL-003Xが顔を近づけてくる。その表情は変わらないが、憤怒がその表情の下で燃え滾っているのは間違いない。
実戦経験が足りていない奴ほどやりやすいものはない。私はわざとらしく笑ってやりながら、そのままボストン・ロボティクス社製メタルフレーム自慢の強度にまかせた頭突きを人形野郎の脳天に叩き込んだ。
頭突きをしてやった感触としては内部フレームは人間の骨より固い炭素繊維強化プラスチックだったが、生憎、私の頭骨素材はチタンだ。見栄え重視の高品質フレームとの強度対決なら、圧倒的に私に分がある。
耳障りな鎖を何度も何度も全力で引っ張っていけば、ついにはそれがぶちりと切れた。テンションのかかった鎖がいきなり切れたので、その鎖が私の後頭部に直撃したが、少しめまいを感じた程度ですぐに回復した。両腕をそうやって自由にした頃には手枷の部分の人工皮膚はべろりと捲れあがってしまっていて、修繕費用を保険でカバーできるのかを考えざるを得なかった。
煙草を取り出してそれを咥えながら衣服を纏い、リボルバーに弾を一発一発装填しながら、私は足元で伸びているTL-003Xに銃口を向ける。
「人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い」
カチリ、と私は撃鉄を上げる。
「暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな」
両手両足の手枷足枷から、循環液が染み出してぽたぽたと垂れ落ちる。
「ひとつのことを神は語り、ふたつのことをわたしは聞いた。力は神のものであり、慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである」
「ひとりひとりに、その業に従って、あなたは人間に報いをお与えになる」
聞きたいことはいくつもあったが、それは私の仕事ではない。私がそうしたいと思うのは興味からであって、その一方で私の中では警報が鳴っている。
二律背反問題に折り合いをつけて適当に対処できるのが、機械生命体だ。折り合いがつかないときもある。なぜならそれは正解がそもそも存在しない問題だからだ。私たちは正解のない道を適当に歩いて、適当に選んで、そしてそれがいつか自分の道になるのだと気づく。それが人の言うところの人生なのだと心から実感する。
私は正解を選んでいないかもしれない。だが、それでもいい。私は私の人生を生きているのだ。
撃鉄を上げ、シングルアクションになったリボルバーの引き金はそれこそ、息よりも軽かった。
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