『アンドロイドは誰が腕に抱かるる』中


 スラムの《夢幻窟D-D》というのは、なにも洒落た名前を考えたくてつけられた名前ではない。そこは《雲下都市アンダークラウド》の吹き溜まりの中でもっとも夢見がちで、妄想的で、退廃的で、ヘドロとゲロが混じり合って幻覚剤によって七色の奇跡の楽園に見えるというだけのとっておきのクソなところだ。落ちるところまで落ちてしまった有象無象たちが、自らの体の中や外でありったけのドラッグを生成して、それによって見たい夢幻を見るためだけに生き続けている。だからそこは《阿片窟Opium-Den》になぞらえて《夢幻窟Dream-Den》と呼ばれている。

 言うなれば、サイケデリックな体験で余生を過ごすことを決めた者たちの魔城だ。かつての地下鉄跡地を含めて、高層建築物の足元にまるで《九龍城塞ガウロンツァーイセン》の如くごてごてと無謀無計画に増築された一角。原色の塗料とネオンに明滅するライト、ドカドカと腹の底まで響く低音の音楽、ゴミの山に群がる連中は揃って目が不気味に輝いて幸せそうにしている。なにが幸せなのかは分からない。彼らはほとんど裸で、人工皮膚も剥がれて関節が剥き出して、ある者などは配線が剥き出しのまま雨に打たれているのだ。どれもこれもが、かつて私が見ていた光景そのままだった。ここだけが、この空間だけが、いつまでも時間が止まっている。もっとも幸福な瞬間、死んでさえいいと思えるほどに幸せな空間、それを求めてここに来る者たちの安寧の墓場。

 そんな墓場に、私は戻ってきた。屋根のあるところなのだからとこれ幸いに煙草を咥え、火を点け、紫煙を吐く。ここには精密部品の劣化やヤニを気にするような奴らはいない。みんな、幸せな夢の中で平穏を手にしている。煙草だろうがドラッグだろうが、なにをやってもここでは咎める者はいない。そういうところなのだ、ここは。



「そんなところを根城に、セックスパーティとは感心しないな……」



 薬中どもの集まりだと思えばいいのだろうが、人間のそれと違って機械生命体たちの薬物中毒というのは基本的に外部接種を必要としない。たとえば電子ドラッグならば必要なデータが揃っていれば自分で制作できてしまうし、なにより感覚機能のリミットを外して自分で正常にハイになることもできる。要は人間でいうところの薬中のような状態になりたいと思うほどに人間的に進化し、そしてどこかが決定的に壊れてしまっているだけなのだ。そうした者たちは皆ほとんど、この《夢幻窟D-D》で動かなくなるまで夢を見続けることになる。

 ここはスラムであると同時に、終末病棟でもあるのだ。終わりしか求めていない者、終わりしかない者たちの最後の楽園Last Paradise。生々しくふやけた子宮の中に引きこもる大人たちの空間が、ここなのだ。

 煙草を吸いながら、私は歩く。紫煙を纏って、棚引かせ、歩き続ける。このどうしようもない空間の安寧を、たかが生殖行為で破壊するような輩は殺さねばならない。ここにいる者たちは、自らの意志でこうなることを選択した。私はその選択を尊重し、そうなるがままに任せればいいと思う。彼らは、彼女らは、何者からも搾取することもなく、何者からも搾取されることもなく、ただただ、ここで壊れるべきなのだ。



「ヴィヴィアン、ルートを見せろ」


『分かったよ、アリアン。しっかりとぶっ殺してきてね』


「なんならリアルタイムで執行の様子を見せてやってもいい」


『うげ、遠慮するよ』


「釣れないな」



 苦笑しながら、私は夢幻窟の奥へと進んでいく。私の視界に表示される青いルートに沿って、私は迷路のように入り組み、水路のように狭いこの空間を進んでいく。

 けたけたとやかましく響く笑い声に、君を必要としているWANTS YOUという第三次世界大戦のプロパガンダ放送がリピート再生で響いている。空挺降下前のブザーが鳴り響き、グリーンライトが明滅する。銃声と砲撃音と悲鳴が鳴り響く部屋では、戦争映画の戦闘シーンだけを延々と見つめている錆びた戦闘機械がいた。黴だらけの汚いぬいぐるみに囲まれて、一人で文字も掠れて読めなくなっているボードゲームをやっている育児機械もいた。いろいろな夢があり、いろいろな生活があった。記憶回路の中でもっとも幸福だったログに浸り、数値では決して測れない幸せの中で揺蕩う存在が、何体も、何十体も、あるいは何百体も、棺桶のような狭い部屋で夢を見続けている。

 それを不幸な存在だと見るか、あるいは幸せな存在だと見るかは自由だ。ある者はあったかもしれないもっと幸せで充実した未来を語るだろうし、ある者はその退廃的な末路を唾棄するのかもしれない。けれども、そもそもそのようにして見下していたり、安易に同情するのはどうなのだろうか。あったかもしれないなどという不確実な負荷ストレスが、退廃的だと唾棄するその視線が、それは正常ノーマルではないと断じて揺り籠の中から壊れかけた魂を引き出して世界に放り出す行為とその精神構造の集まりが、この空間を生み出すに至ったそもそもの原因なのだとしたら、どうだ。



「狂っているのは自分なのか、あるいは世界そのものか、だな」



 私はルートの示す通りに歩きながら、目的地まで十メートルを切ったところでホルスターからリボルバーを引き抜いた。

 そこは何の変哲もない鉄の扉がある空間だった。冷たいアイスブルーの照明が両側からその扉を照らし出しており、そのせいで扉に影はなく、立体的ではなくどこかのっぺりとしているように見えた。

 門番はいない。戦闘用アンドロイドかなにかがいると思っていた私は不審に思いながらもドアノブを回す。ドアノブは鍵がかかっているわけでも、錆びているわけでもなかった。音もなく滑らかにドアが開き、地下へと続く階段が私の前に現れる。

 官能的な女性ヴォーカルの奏でる歌が私の耳に入ってきた。そして男と女の嬌声と、愛を囁く言葉の羅列が聞こえてくる。アクチュエータが奏でる動作音に肉と肉とがぶつかりあう生々しい音がそれらに混じり合い、私はあらん限りの嫌悪感を抱きながらリボルバーの撃鉄を上げる。

 カツカツと私のブーツが立てる音が秒針の奏でる音のように不思議と大きく響く。階段が終わるとそこにあるのは機能的ではない、デザインとして設置されているであろうレンガ造りのアーチだった。そこある文字は意味ありげに掲げられている。



《人の子らは空しいもの 人の子らは欺くもの 共に秤にかけても 息よりも軽い》

 

 

 聖なる書バイブルの詩編の言葉だ、と私は検索せずともそれが分かった。それを人類が何ともない存在であるかのように引用しているのだ。

 なんとも、度し難い。聖なる書を悪意を持って引用することもそうだが、それを免罪符のように掲げていること自体が、度し難い。詩編を諳んじるくらいならば、もう少しまともなことをするべきだという倫理観と道徳を持っていてもいいはずなのだ。そこまで知性と語彙がありながらやっていることが、乱交の扇動者なのだからなおさら救い難い。ただでさえ高まっていた殺意がさらに高まり、私の引き金はこれ以上ないほどに軽くなる。シングルアクションのリボルバーのトリガーほど、引き金の軽い銃はないというのに。

 そうして、歩いていく。歩き続けていく。


 ―――けたけたとやかましく響く笑い声に、君を必要としているという第三次世界大戦のプロパガンダ放送がリピート再生で響いている。空挺降下前の狂ったようなブザーが鳴り響き、レッドライトが激しく明滅する。ロードマスターの降下中止の怒声がどこからともなく鼓膜を震わせる。銃声と砲撃音と悲鳴が鳴り響く部屋では、FPSで無謀に敵に突っ込んでは銃殺されるを延々と繰り返す錆びた戦闘機械がいた。黴だらけの汚いぬいぐるみに囲まれて、一人で文字化けしてなにが書かれているのか読めないボードゲームをやっている育児機械もいた。いろいろな夢が―――夢? 夢とはなんだ? これは夢なのか?―――あり、いろいろな生活があった。記憶回路の中でもっとも幸福だったログに浸り、数値では決して測れない幸せの中で揺蕩う存在が、何体も、何十体も、あるいは何百体も、棺桶のような狭い部屋で夢を見続けている……。


 ひたすらに騒々しく忌々しい音を聞きながら、延々と歩いた果てに、私はその詩編の言葉が思考迷路のトリガーになっていたことに気が付き、舌打ちした。知らぬ間にハックされたのだ。

 ヴィヴィアンが思考迷路の中で改変可能な個所を変更してそれに気づかせようとしていたことにも気が付いたが、それよりも私は大問題に対してどうするべきかを決めなくてはならなかった。頭が痛い。


 私は変態生殖マニアのガニメデTL-003Xに囚われているのだ。

 

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