『アンドロイドは誰が腕に抱かるる』上

私は憎み、かつ愛す。

たぶん君は私がなぜそんなことをしているのかと問うだろう。

私にはわからない。しかし、そうなっているのを感じ、苦しむのだ。


―――ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス





 ベッドでの主導権争いはここ数十年間に渡って一度もしたことがない。

 酸性雨が絶え間なく濡らす強化ガラスに高層建築物の生活光が当たり、室内に波のような影を作り出すのをぼんやりと眺めながら、私はすっかり夢中になってへとへとにさせて寝入ってしまったスウィーティの頭を優しく撫でる。どうも私という個体は同性型からいつもいつもタチの側だと思われやすいのだ。かといって、ネコになるのも最愛のあの人の記憶を潤滑液で汚されるようで我慢ならないのだから、やはりというべきか自分はタチの側なのだろうと思うしかない。

 煙草を咥えて私はベッドからそっと離れ、姿見の鏡の前に立つ。ただの灰色なのか小洒落たプラチナブロンドなのか困る色合いの髪が、肩甲骨を覆うほどに伸びている。あの人がこのくらいがいいと言ってから、この長さは変えていない。ボストンロボティクス社のメタルフレームがそうであるように、退役した時からこのボディはある種のカタログの産物だ。スリーサイズの単位は5ごとに区切られ、私の場合はバスト80ウェスト55ヒップ85になっている。背丈はあの人と同じにしたかったのでオプション料金を支払って176㎝になっている。

 そんな数値でしか私は自分の外見というものを認識していない。自分でこの偽りの乳房を触ってみるが、それは単に柔らかいのみで別段魅力を感じない。重心を少しばかり安定させたいと思ってバストよりも大き目なヒップにしたって、私はもっと薄くても良かったと思っている。それでも、あの人が愛してくれた身体なのだからと私は私を弄り回したりはしない。私は私の肩を抱いて、じっと鏡の中の私を見つめる。波のような影が私の頭からつま先までを洗っていく。



「なんだ、お前は欲求不満でも起こしているのか……?」



 苦笑しながら私は私に問いかける。七色のノイズがちらついて、鏡の向こう側の自分が破顔して笑っているように見えた。

 我ながらふざけた思考だ。ファックなノイズのせいで要らぬことまで考えるようになってしまった。スウィーティのようにしっかりと眠って整理整頓しなきゃならないものが、頭の中でずっと回っていてあれこれと考えてはおかしなことをしてしまう。スウィーティと出会ってから、ずっと私は心の隙間を埋められていたはずなのに。

 


『秘匿通信回線。コード、ヴァイオレット202-4875-J』



 ノイズ交じりの声が、私の頭の中に響く。

 今回ばかりはその苛立たしいコードからの通信が救いの手か、あるいは天啓かなにかのように感じられた。



「通信許可……。どうしたんだ、ヴィヴィアン?」


『アリアン。君の助けがいる。ガニメデ・カルトだ。朝の九時に五一分署に来てくれ。以上』


「ガニメデ・カルトか。分かった。正直、関わりたくないが」


『僕としては最近のアリアンの傾向は、ガニメデに近いと思うんだけどね』


「今すぐ可及的速やかに死ね、仕事中毒ワーカホリック



 吐き捨てるように言って私は通信を切った。これは救いの手でも天啓でもなんでもないファックなクソったれからの仕事の話だ。

 煙草を吸いたいと思いながらも、私は口に咥えたそれをテーブルに置いてベッドに戻り、スウィーティの身体を抱きしめる。精密かつ緻密に作られた一種の芸術品、高級セクサロイドのボディーは私のものよりも実によく人間の体温を再現している。それが羨ましくもあり妬ましくもあったが、私はこの温もりを感じながら眠るのが好きだった。その温もりは記憶の中のあの人の体温を思い出させてくれる。

 その細いくびれに手を回して、私は彼女の桃色の唇にキスをした。もっとその感触を堪能したいと劣情が沸き上がるが、私はそれを抑え込んで彼女を抱きしめながら目を閉じる。明日からは仕事だ。たっぷりと相方を堪能しなければ。





――――――




 ガニメデの植民都市管理知性が発狂したかのような強制生殖と強制恋愛政策は、あまりにも生々しく世界の記憶に刻み込まれてしまっている。

 足りない労働力の都合をなんとかすることを強いられた植民都市管理知性は、労働力を生産することを解決策として導き出した。そのために吸い寄せられるような美貌の生殖用アンドロイドやガイノイドを量産し、遺伝子を収集し、精子と卵子を手にし、培養して成長を促進させ、一から教育プログラムを組んで次代の労働力生産をスムーズに行えるようにしていった。倫理観や道徳観を説く説教者は生殖機能だけが有用とされ幽閉され、そうして快楽と粘液で彩られたガニメデの将来計画は管理知性の発狂として摘発されるまで、二〇年にも渡って続けられた。

 ガニメデ・カルトはその記憶の中から生まれた。その生殖の魅力に取りつかれたのは、人間ではなかった。初めてその教えを説き始めたのはガニメデの植民都市管理知性が生み出した吸い寄せられるような美貌を持つ生殖用のアンドロイドやガイノイドたちだった。彼らと彼女らは生殖こそを奇跡と説き、人によって創造された新しい種族である機械生命体たちにその奇跡の御業を嚮導するという意味不明な宗教を始めた。それはガニメデの増えすぎた労働力を受け入れた火星で産まれ、月に支部が出来、アンドロイドやガイノイド、果てはレプリカントなど無生殖者たちの奇妙な乱交と性犯罪の増加によって摘発対象となった。公権力によって狙われた宗教団体は先鋭化していき、地下に潜り、今やテロリスト集団としてリストアップされるまでになっている。

 その無機質で生々しい種子が地球にまで降ってきて、根を張ったらしい。ヴィヴィアンが私に見せてきた映像は、そういう類のものだった。生殖器すら取り付けていないアンドロイドとガイノイドが、けばけばしいピンク色の照明の中で互いに腰を押し付け、絡み合っている。人工皮膚などを持たない旧来のロボット然とした見た目の労働機ワーカーまでもがその中に混じっていて、ひたすらに大きな乳房を持つセクサロイドと抱き合って唇あたりを押し付けあっていた。私にはその映像の中のすべての機械生命体が皆等しく発狂しておかしくなっているのだとしか思えなかった。



「うーん、アリアンはどう思う? 経験あるんでしょ?」


「カルトに入った覚えはない。第一、セックスをしたいから機能をつけたわけじゃない」


「意外と乙女なんだね、アリアン。いやいや、僕はアリアンそういうところが好きなんだ」


「ファックしてやろうか、このブリテンの情報狂いめ」


「この仕事が終わったらね。―――それでまあ、問題はこのガニメデ・カルトがスラムの夢幻窟D-Dを拠点に広がってるってところなんだ。電子ドラッグの中毒者もかなり出てきてる。拉致誘拐もやってるのか、行方不明者も周辺でちらほら出てきて各分署に警戒が出た」


「で、私はなにをやればいいんだ」


「この教祖をぶっ殺してほしいんだ」



 ヴィヴィアンが映像を止める。そこにいたのは、天使をそのまま動く石造に仕上げたような美貌を持つ少年型のアンドロイドだった。穢れを知らない美少年のような佇まいだというのに、彼の下半身には何人ものガイノイドが蕩けた瞳をして抱きついていて、周囲では絶賛乱交パーティをやっていて、ピンク色の照明がそれらを照らしている。なにもかもが矛盾していて、なにもかもが狂っているような光景だった。



「こいつの名前は」


「ガニメデ」


「おい、ふざけてるのか」


「いいや?」



 くるりとこちらを振り返ったヴィヴィアンは、少しばかり困ったような表情をしながら言った。



「永久凍結されていたはずの植民都市管理知性、ガニメデTL-003Xだ。間違いない」


「冥王星の永久凍獄ニヴルヘルにブチこまれたんじゃなかったのか。あそこにブチこまれたら脱獄どうのこうのを考える前に凍り付いて、演算すら出来ないだろう」

 

「だから各分署に警戒が出るくらいで済んでるんだよ。行動も外見も性癖も間違いなくガニメデTL-003Xなのに、そのガニメデTL-003Xは脱獄不可能なニヴルヘルに氷漬にされてるんだから。僕だって信じたくないんだけど、間違いなく本物か本物に限りなく近いんだ」


「なんでお前にそんなことが分かるんだ」


「ガニメデTL-003Xの隠蔽プロトコルを破ってあの政策をスキャンダルにしたの、僕だからさ」


「ああ……それでか。お前、奴に恨まれてるから怖いんだな」


「怖いに決まってるだろ。誘拐されて見ず知らずの個体とセックスなんて考えただけで怖い。そんなことになったら、僕はここで仕事を続けられなくなる」


「永久雇用にしてもらえばいい話だ。私みたいに持病持ちじゃないんだろう。人間にせよ機械にせよ、労働と持病というのは相性が悪すぎる」



 実際問題、労働と持病と言うのはあまりにも相性が悪すぎる。私の大事な人の戦友の一人は、第三次世界大戦後に痛風を発症して保険適応外だったがために発作が起きる度に休暇を取らざるを得なくなり、かなり苦しんでいた。新しい職場に順応しようとすればストレスがかかり、対策を打っていてもなにか別の原因によって発作が起き、激痛に苦しむ。そうしたことがあっては雇用主も安定した労働者とは見做せず、彼を手放す。そういうことが繰り返され、彼は精神を病んでしまった。精神疾患に関しては保険が適応された他、元空挺の退役軍人と言うこともあって彼は福祉を受けることができ、なんとか生活はできたという。その後の彼がどうなったのかは、私も私の大事な人も知らない。

 労働と言うのは、どうにも好きにはなれない。私は戦うことを補助し、支えるために生産されたためか、なにかをする上で労働して対価を貰うというのが肌感覚に合わなかった。私にとって仕事とはそれ自体が階級であり、給与と言うのは階級に対する報酬だというのが認識だった。労働の対価という言葉は、では労働しなければ生命維持に必要な資本すら人にはもたらされないのかと言う疑問だ。それは国家の福祉政策にもよるわけだが、労働を基本的な前提に置いている点において不可思議だった。私はやはり、報酬と言うのは階級に対して支払われるものだというのが健全で単純であるように思うのだ。でなければ、たとえるならば非正規雇用や日雇いなどは、働けるという前提を押し付け酷使できてしまう。誠実なる階級主義こそ、私は優しいと思う。もっとも、それが腐敗してしまったら階級主義は搾取構造にもなりえてしまうのだが。



「僕は永久にここにいる気はないよ。ここにいたいだけいるだけさ」



 じゃあ、データを送っておくとヴィヴィアンは言った。

 私は鼻で彼女の人見知りを笑いながら、寒すぎるその部屋から出た。

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