任命・教育係

「橋本さん、ちょっといいか」

「? はい。大丈夫です」

 突然島田さんに呼び出された。


 島田さんについていくと、6人部屋の会議室に案内され、そこには川崎さんが座っていた。



「突然呼び出してごめんね。今うちの部署はちょうど、各人が一年間の目標を決めて上司と話し合う時期なんだ。橋本さんの一年の目標について、話したくて急遽開催したんだ」

 額の汗をハンカチで拭う川崎さん。


「私も具体的な仕事が見えた方がやりやすいので、ちょうどよかったです」


 島田さんが低い声で説明する。

「橋本さんにお願いしたいのは大きく二つある。一つ目が、一昨年からスタートしている大型プロジェクトへの参画だ。二つ目が、教育係だ」



 想定外の言葉にメモを取る手が止まる。


「教育係……ですか?」

「八宮の業務報告資料を見てくれたんだろ? あの資料はよく出来ていて、報告会自体も部長たちから高評価だった。あれ以来、八宮の仕事に対する態度も少し変わった気がするんだよ」



 ちゃんと教えたことやってくれたのか。安堵で頬が少し緩む。

「私はただ、コツを教えただけですよ」



「昨今のデジタル化推進に伴って、うちのグループだけではなく、部署全体で慢性的な人材不足でね。なかなか若手への手厚い教育ができていない状況なんだ」


 みんな自発的に勉強してくれるのはいいけど、その方向性が間違っていたり、このまま昇進させていいのか?と感じる人が出てきているとのこと。川崎さんはハンカチを握りしめ、伏し目がちに説明してくれた。



「若手三人を見てほしいと思っている。その中でも特に面倒を見て欲しいのは、秋山だ」

 島田さんの声が、会議室に静かに響く。



 なんとなく予想はできていた。


「秋山さんですか? 今日もテキパキ働いているように見えましたけど」

「なんでも卒なくこなし、仕事もミスが少なくて早い。だが、あのままでは上に立つ人間にはなれないと俺は思う」


 私も島田さんと同意見だった。川崎さんはそこまで言わなくても……という表情をしている。



 この会社の社内規定を見たので、昇進タイミングは大体掴めている。

「基本は年功序列で、ある一定までは差がつかずに昇進しますし、管理職も大抵の人はなれますよね? 特別彼女を教育する必要はあるのでしょうか」



 島田さんは真剣な目でこちらを向く。

「管理職になる前に下を指導できるような人材になって欲しいんだ。管理職になって初めて下を持つと苦労すると思う。彼女の性格的に、自分の思う通りに動かない部下は精神的に追い詰めると思うんだ」




 鮮明に想像できた……。それにしても、八宮くんは島田さんのことを怖いとか冷たいとか言っていたけど、とても優しい上司じゃないか。




「わかりました。私もまだ未熟者ですし、秋山さんの性格も掴めていません。しかし、出来る限り協力しますので都度相談させてください」

「ありがとう」

 島田さんは優しい目で、私にお礼を言ってくれた。



 私は会議室を後にし、秋山さんの性格を理解すべくデスクに戻った。



 ◇◇◇


「そういえば、島田くん。プロジェクトのこと何も説明していなくないかい?」

「そうでしたね。まぁ、様々なプロジェクトを経験している彼女なら、多くを説明しなくても大丈夫でしょう。今回の大型プロジェクトは進みが遅くて炎上気味です。しかし、今年度から彼女の古巣の優秀な人がアサインされたようです。うまくやってくれるでしょう」

「それもそうだね」



 川崎さんと島田さんのスマホが短く震える。

【速報:林ビル最上階に日本支社を構える大手外資系IT企業が撤退。日系大手が最上階入居に向けて調整中。(新聞社)】

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