育休中の先輩とそれを妬む自分

 斜め前に座る秋山さんを観察すること数日。特に目立った欠点はなく、仕事もきちんとこなしている。この前は田中さんに少し厳しそうに見えたけど、今は全然だ。冗談を言ったり一緒にお昼をとったり、仲がよさそうに見える。



「秋山さーん。俺の目標面談終わったんですけど、面談いけますか?」

 八宮くんが秋山さんに伝える。

 了解。とふわっと微笑んで、秋山さんは会議室に向かった。



「つかさん! 俺、初めて大型プロジェクトに参画することになりました!」

 八宮くんがガッツポーズしながら、話しかけてきた。


「おぉ。何するの?」

「コーポレートの業務改革みたいっす」

 それはまた、漠然としたプロジェクトだな、と他人事のように思った。


「でも、つかさんと一緒なら心強いです!」

 子犬のような無邪気な顔を向けられた。




 えっ? 目を大きく開き、八宮くんを見た。




「えっ! 何も聞いていないですか? この前の目標面談で伝えたと言ってましたよ」




『橋本さんにお願いしたいのは大きく二つある。一つ目が、一昨年からスタートしている大型プロジェクトへの参画だ。二つ目が、教育係だ』

 あれか! 確かに伝えられたけど、良く考えれば何も説明を受けていないっ。




「俺、このプロジェクトで色々なこと経験して成長したいっす」

「どれくらいの規模のプロジェクトなの」

 渡された計画書を確認すると、体制図には取締役やコーポレート担当の役員、各部門長など錚々たるメンバーが名を連ねていた。この時、コンサル枠が一部空白になっていることは気にもしなかった。




 ◇◇◇

 秋山さんと川崎さんが面談から戻ってきた。秋山さんはなんとなく不満そうな顔をしているし、川崎さんは額の汗を拭っていた。


 この状況を見ていた島田さんも少し気にしているようだ。凝視しすぎたのか、秋山さんと目があった。大人しく仕事しようと思った時、受信メールの通知が届いた。


 "今日、一緒にランチしませんか?秋山"




 これは、断れないよな。

 "了解です。橋本"

 セラにお昼は別になることを伝えた。




 お昼休みのチャイムが鳴り響く。

「つかさーん。今日は中華どうですか?」




「悪いけど今日はセラと二人で食べてくれる? 別件があるんだ」

 なんで一緒に食べる前提なんだこいつ。と思いつつ、私は指定されたレストランに向かった。



「どうしたんすかね」

「まぁ、大人の事情なのよ」


 ◇◇◇

 二階にあるレストランに到着。


 なんだか緊張する。ほぼ喋ったことがない上に、少しネガティブなイメージがあるから余計だ。


 秋山さんが、重たい口を開いた。

「司さんは、自分のキャリアをどう考えていますか?」




 キャリアか。コンサル時代は自分の成長と会社を変えるためにがむしゃらに頑張ったし、何歳までに何をするという明確な目標があった。ただ、今は状況が状況だからな。




「漠然としたものはあるけど、人にアドバイスできるような詳細な設定はないかな」

「そうですか……」


 秋山さんは視線を下に向けて、少し残念そうな顔をしている。続けて、少し言い辛そうに声を出す。

「……結婚、とかは考えていないのですか?」

「今のところは、全く予定がないよ。そもそも付き合っている人すらいない」

「えっ!そうなんですか。そんなに美人で、ハイスペックなのにですか」


 いや、スペックは関係ないだろ。心の中で食い気味につっこむ。


「そういう秋山さんはどうなの?」

「私は……今は仕事を最優先にしたいと思っています」


 注文していた食事が運ばれ、ご飯を頬張りながら私は聞き役に徹する。

「でも、このままでいいのかな。と思うことが多いんです」

 秋山さんの声のトーンが変わっていく。


「周りは結婚したり、出産したりして。会社と家の往復しかしていない自分はこのままでいいのかなって」

 彼女の話は止まらない。


「今日、目標面談があったんです。本当は、私は今年度異動の予定だったんです」

 秋山さんは入社以来ずっと、同じグループで仕事をしている。日系大手によくあるが、ローテーションは昇進条件の一つでもある。


「……でも。今、育休に入っている人の穴埋めで、私の異動は白紙になったんです」

 箸を力強く握る。



「どうして、他人の人生に私のキャリアが振り回されないといけないんですかね。どうして、私だけが不遇な目に遭い、育休に入る人のキャリアは守られるんですかね」

 秋山さんの目が、徐々に充血していくのがわかる。




『どうして私じゃないんですかっ!』

 昔の自分と秋山さんを重ねて、心臓が握り潰されるような思いになった。


 どんなに努力しても、誰よりも頑張っても、思うように評価されないことがあった。評価されるのは表で目立っている人。実際は裏方が実務のほとんどを担当し、表は最後に報告するだけ。

 苦労しているのは私なのに、周りは目立つところしかみない。そんなことを言ったら余計に評価が下がりそうで、誰にも言えず苦しい日々が続いた。




 無意識に、秋山さんの頭に手が伸びていた。彼女は顔をハッと上げて驚いた様子でこちらを見る。

「私はちゃんと見ているし、秋山さんを評価している人は必ずいるから」


 努力が必ず報われるとは限らない。でも、チャンスを掴む人は人が見ていないところで、人が努力を怠るところで、必ず努力している。そうやって、地道に頑張ってきた人は同じように地道に頑張る人がわかる。だから、今できることを変わらずやっていけばいいよ、と優しく伝えた。



 私の言葉に、我慢していた涙が秋山さんの頬を伝う。

「えっ、ごめん」

 焦って紙ナプキンを差し出した。



 すみません。という彼女の声はいつも通り、柔らかくなっていた。




 ◇◇◇

 林ビル最上階


 グレーのスーツを身に纏った男性が、喫煙室から外を眺める。

「今日もいい天気ですね」

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