いつもの味

 アパートを出てすぐ、道路沿いの道を歩く。


 オレのアパートの前には、二車線の国道が走っている。

 両隣には料金の安い飲食店が並ぶ。


 貧乏バンドマン時代から、オレはこの付近を頻繁に利用していた。


 あくびをかみ殺しつつ、店を探す。



 焼き肉は駄目だ。明日は仕事がある。


 かといってファミレスって気分でもない。

 居酒屋は論外。一杯飲み屋なんてもっとアウトだ。子どもがいるってだけで冷ややかな視線が飛んでくる。

 そんな店で飯が食えるほどの胆力は、オレにはない。






「だとしたら、一番腹にたまって味がいい店なら……あちゃあ」

 目の前の行列を見て、オレは天を仰ぐ。




 魚介スープが売りのラーメン屋は、相変わらず長蛇の列が。

 この一帯でも格段に美味いと噂されている。一度食べてみたかったんだが。




 若い子なら、ファーストフード店なんかもアリだろう。


 が、あっさりと華撫は素通りする。

 第一候補には入れておいたのだが。



「お菓子の直後にジャンクでしょ? 気が乗らなくて」


 どうやら、ハンバーガーやアイスティーは、今の華撫の琴線に触れないようだ。




「だとしたら、あそこがいい」


 行きつけの中華飯店の暖簾をくぐる。ここは、家から歩いて五分もかからない。値段も手頃である。

 いつもは散歩帰りの高齢者やドライバーで賑わう。夕飯時を避けて入店したためか、席は空いていた。


 クッキーを食ったばかりだというのに、華撫の腹の虫がまたもや鳴り出す。

 当の華撫はごまかそうとしたが、もう遅い。



 ラーメンライスと、ギョウザ二人前を頼む。



「ここでニンニクを食べるなら、さっきの焼き肉でもよかったんじゃ?」

「ここは無臭ニンニクを使ってるんだよ。うまいぞ」


 注文した品が来た。ギョウザの香りが、イヤでも食欲をかき立てる。

 これだけ頼んで、二千円もしない。


 しょうゆラーメンを勢いよく啜った。

 

 安っぽい味だが、飽きない。

 多めに入っているもやしとメンマもポイントだ。


「小皿をもらおうか?」

「子ども扱いしないで」


 華撫は麺を箸でびろーんとすくい上げた。大きく口を膨らませて息を吹きかける。


「あの家には、長いの? 随分古いアパートみたいだけど?」


 何度もふーふーをしながら、華撫はようやく麺に口を付けた。

 一瞬、身体がビクンとなる。まだ熱かったらしい。


「大学の頃から住んでる」

スープをレンゲですくう。ダシの利いたスープを口に含んだ直後、白米で追いかける。


 いつも通り、大学時代からオレの腹を喜ばせてくれている味だ。


「家にギターも置かないのね」

「仕事は家庭に持ち込まない主義なんだ」


「どうして?」

 はふはふ、と言いながら、華撫がギョウザを口へ放り込む。


「止めるヤツがいないと、のめり込んじまうから」



 趣味で楽器を弾くこともあった。

 が、近所迷惑になるので、家でギターは鳴らさない。

 安いアパートに住んでいるのも、絶対に家で仕事をしないためである。

 PCも、性能の低いノートタイプだ。ガチガチの音楽仕様ではない。


「プロ活動して一年目の時かな、えらく高い音楽用のPCも買ったんだよ。ヘッドホン付けて、防音バッチリで、エレキをかき鳴らしたな。一週間飲まず食わずで曲を作ってた」

「そんなにのめりこめるのに、どうして家で仕事しないの?」

「目覚めたら、病院のベッドだったからな」


 点滴で栄養剤を打たれながら寝かされていたのである。

 マネージャーに発見されなかったら、確実に餓死コースだったとか。


「周りが見えなくなるタイプのアーティストなのね」

「だから、常にスタッフのいるスタジオで働くことにした。会社員みたいに八時間限定で仕事完了、ってルールを決めたんだ」


 退院後、オレは壁じゅうの防音シートを剥がした。自宅で歌わないように。

 おかげで、単独で曲を書いていた頃より健康体である。


「朝方にネタを繰り、窓を見たら夜だった。もう一日が終わったのか、と思って時計を確認したら、実際は二日目だった。その時はゾッとしたぜ。二度と単独で音楽は作らない」


「怖いわね」と、華撫がラーメンをズルズルと食べた。大人サイズの麺は、すっかりなくなりそうである。


「あんたって、業界でトクセンって呼ばれてるそうね? どういう意味なの?」

「特撮専門の歌手って意味だ」


 昔からTVの特撮番組が好きだったわけではない。

 バンドを解散して路頭に迷っていたとき、アニソン界の重鎮に依頼された。


 特撮の曲を作らないか、と。


 子ども番組の歌かよ、と当時は乗り気ではなかったが、今では天職だと思っている。

 ファン層の応援に支えられ、今日までやってきた。


「生きてるとさ、何が起きるか分からねえもんだよな。人には、何か決定的な出会いってもんがあるんだ。望むにせよ、望まないにせよ、だ」


 オレを拾ってくれた先生の受け売りだが。


「そうなのね」

 オレの話を、華撫は正面を向いて聞く。


「だからオレは、どんな巡り合わせにも感謝したい」




 オレは大切な友人を一人、失ったから。




「あんた、ママのこと好きだった?」


 唐突に、疑問を投げかけられた。



「いや。ガキの頃から、あいつはお前の親父に惚れてたからな」


 意識していなかった、と言えば嘘になる。


 深歌は昔から美人で気前も良く、男女問わずモテた。


 だが、女子から少々優しくされて勘違いするほど、オレもアホではない。


「パパってどんな人だったの?」

「教えてもらってないのか?」


 華撫は首を振る。「父親がいないあたしに、遠慮してるのよ」


 写真も音声も、ほとんど処分したらしい。


 どうやら、引きずっているのは深歌の方なのかも。


「結婚って、どういう気分なのかしら?」

「憧れるか?」



「結婚にってワケじゃないけど、誰かと一緒に過ごすって、素敵よね」

 華撫の視線が、隣の席に向く。



 トラックの運転手らしきオッサンが、からあげ定食を豪快に腹へ詰め込む。

 

 ここで出される鶏ムネ肉のからあげは、サイズも大きくて噛み心地もいい。


 小さな口が、目に見えないからあげを囓る。


「からあげも食うか?」

「食べる!」


 からあげを頼んでも、二千円かからなかった。


 華撫がからあげを一口で頬張る。からあげの咀嚼音が大きくなっていった。「ねえ」、と身を乗り出す。


「高校に入らないで、働くって、どういう気持ちなのかしら?」



 からあげが口から飛び出しそうになった。



 オレの動きにビックリしてか、急に華撫が呻き出す。どうやら、口内で油がはじけ、頬の裏を火傷したらしい。



「お前、マジで言ってるのか?」


 返事ができない代わりに、首で華撫は肯定する。口いっぱいのからあげを飲み込んだ後、水を一気に流し込んだ。



「だって、学校教育なんて今どき時代後れよ。あたしは自由に生きたい。誰にも頼らない生き方だっていい。結婚するのも手かも」



「お前の歳で結婚ねぇ」


「無謀なのは、分かってるわ」

 冗談半分で聞いていると悟られたか、華撫の語気が強くなる。



 ホントかなぁ。ちゃんと理解できてるのか?

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