亡きバンド仲間の娘

 オレと再婚すると思い込んだ華撫は、母親とケンカをして、少量の荷物を持って家を飛び出したそうだ。


「で、昔の年賀状を頼りにオレの住所を突き止めて、ここに来たと」

「アンタくらいしか思い浮かばなかったのよ。ママの友達なんて。他の人はみんな、ただのビジネスパートナーだもん」


 そこまでの頭がありながら、オレがコイツの家に何年も会っていないと分からなかったのか? 

 それにしても、電車で二駅ほどの道のりを歩いてきたとは。若いって恐ろしい。


 オレなんて、徒歩五分のコンビニに行くのでさえ原付を使うのに。



「最近のママのことも知らないの? 昔、ママと一緒のバンドメンバーだったんでしょ?」



 やはり、園部 深歌みかの娘か。


 園部 深歌はオレの幼なじみで、二〇年前までは一緒にバンド活動していた。しかし、彼女の結婚を機にバンドは解散したのだ。起業して、今ではバリバリの女社長らしいが。


「ママね、バンド活動を再開したの。当時とは違うメンバーだけど」


 少し、好奇心が湧く。あいつの歌声がまた聞けるとなると。


「知らんな。もう十五年くらい顔も見てない。氷は?」


「いらない」

 すっかり気の抜けたサイダーを、華撫はぐいっと煽る。


 お代わりを求めていると思った。オレは、すかさず空のコップに炭酸を注ぐ。


「疑って申し訳ない、わね」

 決まりが悪そうに、華撫は顔をそらした。


「年賀状だったら、他のヤツの分もあったろ?」

「歩いてこられる家がココだったの」


 確かに。他の連中は駅から遠く、車が必要な場所に住んでいる。

 海外在住のヤツも少なくなかったはずだ。その点、オレの家は深歌の家からも近い。


「それに、あんたの話はよく聞かされたわ」


 あいつが、オレの話を?


「なんて話してたんだ?」


 華撫は小悪魔じみた顔になって、口を開く。

「普段は頼りないんだけど、いざというときはやる人だったって」


 えらく、ざっくりとした説明だな。


「で、何が目的だ?」


 どのみち、母親の元へ返さないといけない。速やかに出て行ってもらわねば。


「新しいパパがどんな人か、突き止めるわ」


 帰るという選択肢はないようだ。


「物騒だな。何する気なんだよ?」

「近いうちに、ママと一緒にその人と会う予定なの」

「いつだよ?」

「三週間後」


 夏休みまで、猶予はあるってことか。


「それまでどこで寝泊まりする気だよ?」

「アンタの家に決まってるじゃない」


 オレの聞き間違いか? とんでもない発言が飛んだ気がするのだが。


「まさかお前、ここで暮らす気か?」

「そうよ。ここは住み心地もいいし、駅からも近いわ。住むにはバッチリよ」

「待て待て。オレは許可した覚えはないぜ!」

「だったらホテルに泊まれっていうの? 家出娘をビジネスホテルが利用させてくれると思う?」


 オレは言葉を詰まらせる。家出中の少女が泊まれる場所なんて少ない。

 ましてや相手は中学生だ。真っ先に補導されて終わる。


 だが、家に帰そうにも本人に帰る意思がない。


 困り果てていると、スマホが震えだした。


『博巳?』


 華撫の声を数倍艶やかにしたような声が、スマホの向こうから聞こえてくる。


「深歌だな?」


 掛かってくると思った。


『娘がそっちにいるはずなんだけど?』

「ああ。さっきまで、オレがお前の再婚相手だって喚いてた」

『分かったわ。ちょっと変わって』


 オレは、華撫にスマホを持たせる。


「新しいパパなんて、あたしには必要ないわ! 何度も言わせないで!」


 早々と、口論が始まった。


「第一、あたしは本当のパパもよく知らないのよ!?」


 華撫の叫びが、オレを暗澹とした気持ちにさせる。


 


 そうだ。深歌の夫は、子どもが生まれる前に亡くなった。

 深歌の病院までバイクを走らせて、カーブを曲がりきれずに崖へ転落したのだ。




 深歌と最後にあったのは、あいつの葬式の時である。

 それ以降、気まずくて深歌とは会っていない。

 お互いに、あいつの顔を思い出してしまうから。


「そんな子どもが、血の繋がらない相手を親と呼べるなんて思うの!? あたし、ママが心変わりするまで帰らないから!」


 一方的に通話を切ろうとしたので、慌てて華撫から電話を取り返す。


『ごめんなさい、博巳』

「いいって。これくらい。再婚するんだな」

『ええ。華撫ももう中学生だし、いつまでもあの人を引きずっているのも、娘のためにならないと思ったの』

「相手は、いい人なんだな?」


 深歌が華撫の幸せを願って選んだ相手だ。変なヤツではないだろう。


『そうね。華撫にも会いたいって。けれど、あの子の方が逃げてて』

「オレでも説得できんぞ」

『それなんだけど、しばらく預かってくれないかしら?』


 オレに子守をしろと?


『遠征が決まったのよ。いつもは一人で留守番なんだけど』


 華撫が夏休みに入ったら、一緒に行く予定だったとか。

 しかし、口論になって予定は立ち消えに。


「よくあるのか、こんなこと?」

『しょっちゅうよ』


 意思疎通ができないわけだ。おそらく、親子で話し合うより仕事が優先なのだろう。


『いつも華撫には不自由な思いをさせているの。あなたなら信頼できるから、任せられるわ。家も近いから、何か問題が起きたら、私もかけつけられるわ』

「待てって。女手の必要は?」

『一度、家政婦さんを雇ったことがあるんだけど、娘とうまくいかなくて』


 だろうな。人んちのドアを蹴飛ばすくらいだから。


『他に、面倒を見られる人もいないの』

「わかったよ。ただし、あさってまでだ」

『それまでにはちゃんと帰るから。よろしくお願いするわね』


 電話を切って溜め息をつく。


「三週間の間だけだぞ」


 短く言うと、華撫は頷いた。


「分かってるわよ。心配しなくても」

「当たり前だろ。まったく」


 足を崩していた華撫が、急に正座をする。

「迷惑よね、なんて聞かないわ。こっちだって、追い出されるのを覚悟で来たんだから」


「子どもが余計な気を回さなくてもいいんだよ」

「あたしは子どもじゃないわ」


 発言した途端、華撫の腹の虫がうずき出した。これを子どもと言わずしてなんという?

 とはいえ、オレの方も急激に腹が減った。やはりクッキーだけでは辛い。


「出かけるか。ついてこい」

 壁に掛けてあった、辛子色のコーチジャケットを羽織る。

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