第29話 一品目「すね肉のステーキ」
今日は午前中に二つ授業があるだけです。その上楽な教養科目なので、ときおり行くのすら面倒になります。出席は取られるのでしっかり行きますけどね。
帰り、スーパーに寄りました。昼食用にお弁当を、それと夕食のためにバターとにんじんを買ってきました。もう作るものは決めています。
お肉といえば、まずはステーキです。シンプルなだけに、ごまかしはききません。その上、私はほんの少しせっかちなところがあるようで、いつも少し焼きすぎてしまいます。それでも、最初につくるならこれだと決めていました。バターとにんじんは、家にあるジャガイモと合わせて付け合わせに使います。
楽しみの前には一仕事終えなければなりません。昨日の夜に漬けておいた脚の骨の処理と冷蔵庫の肋骨の処理を進めなければいけません。
とりあえず家に着いたら、昼食をすませてしまいましょう。今日のお昼は五目焼きそばです。おいしいといえばもちろんおいしいのですが、特別おいしいわけではありません。なのになぜか何度も買ってしまうのです。不思議なものですね。ちょっと量が少ないのが不満でしたが、夕飯のことを考えると今日はこれで十分です。
ついでに冷凍庫の上の方に押し込んでいた一切れのすね肉を冷蔵庫に移しておきました。具体的に何グラムなのかは分かりませんが、この大きさなら一食で食べ切れるでしょう。
昼食後のお仕事を始めましょう。
洗い物が終わったら、肋骨を入れた鍋を火にかけます。小鍋も合わせれば全部いけそうですね。冷凍庫にしまうためとはいえ、結構細かくしていたのが役に立ちました。
浴室の脚の骨たちを腕たちと同じように洗い流していきます。最初ほど丁寧にはやっていないので、いろいろと洗い流すものはあります。台所から三角コーナーを持ってきたので、準備は万全です。お風呂の椅子に座ってどんどん進めていきましょうね。強めの洗剤ですから、換気だけは忘れずに。
シャコシャコと洗い進めているのですが、だんだんと腰が痛くなってきます。何度か伸びをしたり、台所で小休憩をしたりと腰を休めてはいるのですが、この姿勢は結構腰に来ますね。腰を痛めたときの大変さは母を見てよく知っていますので、大事にしなければいけないことはよく分かっています。でも、もう少しですから頑張りましょう。
十数分後には綺麗になった脚の骨たちだけになりました。これを地下室の腕と一緒にしてきたら、休憩しましょう。ああ、でも、肋骨の処理だけ終わらせちゃいましょう。
肋骨の隙間に悪戦苦闘し、今度こそ夕食前の作業は終わりです。
夕食の時間にはあと一時間半ほどありますね。この間は換気をしつつ、自分の部屋で休んでこようと思います。最初は気分転換に散歩でもしようかと思ったのですが、そうすると換気ができませんからね。どうせ台所は肉と油の匂いが充満するとは思いますが、それが料理の匂いとそうじゃない匂いじゃだいぶ違いますからね。気持ちの問題といえばそうなんですけども、食事には気持ちよく望みたいですから。
夕食をどう作るか、具体的にはどう焼けばいいのかをスマホでだらだらと調べつつ、ベッドでごろごろしています。いくつか見て回りましたが、常温に戻して、筋を切って、強火で焼き目をつけて、弱火で火を通して、というように進めるのが共通点のようです。ミディアムレアが一番好きですが、そこまでうまく調節できる気がしませんので、生焼けじゃなきゃいいかなという気持ちで臨みたいと思います。
ついでに彼についてをSNSで調べました。やはり多少気になるものですが、この間と同じように何も出てきませんでした。彼を案じてくれる人は誰もいないようでした。いまだにあのアパートに警察が来ているなんてこともありません。安堵したかと聞かれれば、それはそうなのは間違いないです。でも、私はそうなるような気がして、不思議と不安のようなものはありませんでした。
十八時、少し早いような気がしますが、のんびり料理していればいい時間になるでしょう。
ご飯――白米のことです――はスーパーで買ってきてしまおうかとも考えましたが、せっかくなので炊こうかと思います。炊くのは一合だけです。いつもなら三合炊いて冷凍してしまうのですが、しばらくは特別な食事ですからね。炊きたてご飯を合わせたいのです。
お米の品種はこだわりがないのでそのとき一番安かったものです。今日のは北海道のですね。品種で結構変わるらしいですが、並べて食べたことはないのでどう違うのかは分かりません。おいしければいいのです。
炊飯器が働きだしたのを確認したら、まずはお肉を出しておきましょう。焼くのは少し先ですが、常温に戻さなきゃいけませんからね。
脂身のほとんどない赤身肉です。私はこのくらいのお肉が結構好きですね。脂身の少ないものが好きです。いわゆるサシの入ったお高いお肉は好きじゃありません。ときどき食べる分には悪くないと思いますが、それでもやっぱり脂身の少ないお肉の方がいいですね。ほどよい脂身の方が良いのです。なんなら、ヒレ肉も大好きです。ただ、ヒレ肉はアルバイト代と仕送りがあるとはいえ、なかなか手を出しにくいものです。実家に帰ったら、ヒレ肉のとんかつが食べたいとお願いしてみましょうか。
お肉を端によせ、ようやく料理を始めます。とりあえず付け合わせのにんじんに手を付ける前に、ジャガイモを一個レンジで温めておきます。茹でてもいいのですが、一個のためにゆでるのはちょっと面倒ですからね。
にんじんはグラッセにします。半分だけあれば十分ですが、残りをそのままにしておくのも少し嫌なので、一本やってしまいましょうか。一センチほどに切っていき、小鍋で水とバターで煮ていきます。砂糖と塩も一つまみずつ入れましょう。バターはちょっと多いかなというくらい入れてしまいます。バターが多くてまずくなるなんて絶対にありませんからね。むしろケチってはいけないものです。最近、バター使って焼いておけば大抵のものはおいしく仕上がるのではないかと思い始めてきました。まあ、普段からどんどん使えるようなお値段ではないので、そうもいかないんですけどね。
にんじんの様子を見つつ、メインディッシュに手を付けましょうか。いえ、もう少し待ちましょう。ごはんがまだもう少しかかります。いっそ炊きあがってからでもいいでしょうから、付け合わせを仕上げつつ待ちます。
十九時時前、ようやくご飯が炊きあがりそうなので、お肉を焼きます。何かをしながらではなく、ただご飯を待つのは初めてでしたが、結構かかるものですね。
お肉は多少整えてやります。今のままだと端の方の薄いところが黒焦げになってしまいますからね。多少厚みがあるところまで切り落としてしまいましょう。
フライパンの上の油が温まってきたら、塩コショウをふったお肉を入れます。焼き目ができたのを確認したら、弱火にして少し待ち、ひっくり返してもう片面にも焼き色を付けてやりました。ここまで来たら火を落とし、余熱で頑張ってもらいます。私はその間に付け合わせを盛り付けて、ご飯をよそってしまいましょう。
白い楕円型のお皿にステーキと付け合わせ、平皿にはご飯。スープは面倒なのでなしです。飲み物はただの水です。お酒はまだ飲めないので、赤ワインなんてありません。
まずは付け合わせのにんじんから食べましょう。うん。うまくできたようです。ほどよい柔らかさにできています。にんじんの優しい甘さを砂糖とバターがしっかりと支えてくれています。簡単だけど、しっかりおいしい良いものです。
ジャガイモもおいしいです。いってしまえば、これはじゃがバターなのです。失敗するはずがありません。
さて、メインディッシュに手を付けましょうか。どきどきしますね。これは初めてジビエ料理のお店に連れて行ってもらったときと似た気持ちです。きっと自分が予想しているよりもあまり違いはなく、それがそうであるということ以外なにも目新しさはないのです。それでもこの高揚感は確かなものです。
ナイフで端の方を切っていきます。ちゃんと焼けていますね。もう少し赤さが残っていた方が良かったのですが、生焼けではありません。これはミディアムとかそのくらいの焼け方でしょうか。少なくとも私が食べたことのあるミディアムレアのステーキよりは焼けています。
そっと口の中に入れ、一回二回咀嚼を進めます。最初は緊張で味がよく分からなかったのですが、飲み込む寸前にはだんだんとはっきりとしてきました。
――これは豚肉と大した違いはないな
牛肉のような強く独特なうま味はなく、鶏肉ほどあっさりと流せるものではありません。一番近いものなら、間違いなく豚肉です。ただ、豚よりも多少牛に近い気がします。これは臭みというやつでしょうか。もちろんえぐみを感じるようなものではありません。うま味をより強調させるようなものでしかありません。そうはいっても特段おいしいという訳じゃありません。それこそこれが人間の肉であるということ以外牛と鶏と豚に勝てる要素がありません。大敗です。
いえ、おいしいんですよ。それは間違いありません。ただ、そのおいしさって、ちゃんと調理されたお肉ならどれも感じられるものなのです。困りましたね。コメントに困るとしか言いようがありません。これで感想文を書くことになったら、私はこのお肉の製造元から物語を始めるしかないでしょう。
期待はそれほどしていませんでした。ただ私は「人間を食べる」という経験がしたかっただけです。それなのに、ちょっとがっかりした私がいるのです。いっそおいしくない方が良かったです。インターネットに転がっている嘘か誠かもわからない感想たち。あれのようにすっぱかっただとか、臭かっただとか、食べられたものではないだとか。そっちのほうが経験としてははるかに有意義なものでした。
食べ切りました。うん――おいしかったです。
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