第3話

 ……自動行軍を終え、ぎくしゃくと俺は公園に到着した。

 時期は桜が散り果て、緑の若葉が生えそろういまごろに固定されている。葉桜は初夏の季語というが、もうすっかり蒸し暑い。

 天高く姿なき雲雀のさえずりが聞こえ、公園の噴水はザワザワと音を立てている。噴水そばにある四阿あずまやにすわっていると、ときおり風に乗った水滴が頬にあたる。

 それでも俺の手足は凝固したままだ。ただいま現在、やつらの作ったクソシナリオ劇場が上演中だからだ。

 やつらには発展途上の知的生命体には絶対干渉してはいけないというルールがあり、俺の状態復帰は至上命令なのだという。

 あいつらは俺の脳をいじって強制的に桜子を選ばせることだってできるのだが、それは許されない。俺自身の意志で桜子を選ぶまでこの茶番は続くらしい。


 風がそよいで、ほんのり甘酸っぱいおなじみの香りが鼻孔を打った。ロクシタン製の"チェリーブロッサム"だ。いつも好んでこの香水をつけていた女を俺は知っている。こんなものまで似せてつくるとは凝り過ぎだろう。

「秋田先生」

 制服姿の桜子がいつの間にか横に座っていた。街中をランダムウォークしたにしてはずいぶん早い。襟元がわずかに汗ばんでいる。走ってきたんだろうか。

「相談があるんです」

 もう何百回も聞いた一言一句おなじセリフ。


 俺はすっかり葉桜にかわった公園で、桜子の悩みに耳を傾けることになる。

 悩みは進路問題だったり、友達関係だったり、家族のことだったりとまあどうでもいい話で、オリジナル桜子の惨めったらしい幼年期とは無関係だ。

 俺はその悩みにうっかり適当な答えを口走り、桜子は走り去ってしまう。

 いわゆる恋愛工学的にいうと、最初の超えるべき障害ってやつだ。これをクリアすると二人の距離はほどよく小さくなるという。ギャルゲーをやり込んだ俺にとって飽き飽きする、ありきたりの展開だった。


 しばらくして同じ公園でまたしても再会した俺は、桜子(のようなもの)を創出した存在が考えるところの「幸せ」になるために、最終的な決断を迫られる。その時だけ俺は自由意志で考えをつたえることができるのだ。

 桜子に告白することで、桜子が死ななかった世界に戻れるんだろう。その世界では俺は田舎に帰り、地元で結婚して子供だって生まれるかもしれない。


 俺はあいつに支配され続けるそんな未来が嫌だった。だから連中が何度こんなお膳立てを用意しても答えはノーだ。

 今回も目の前にいる桜子モドキはどうでもいい思春期にありがちな悩みをとつとつと話しはじめるはずだ。


 ……なぜか沈黙が長い。黒目がちの大きな瞳でじっと俺を見つめている。口さえ開かなければ学校一の美貌だったあのころの桜子そのままだ。

 二回目の「偶然」を待つのがめんどくさくなった俺は言い切った。

「何をしようとも俺はお前を選ばない。ただ、俺が人殺しじゃない世界に行きたいだけだ」

 ああ、言っちまった。たぶん気がつくとまた別の時代、別の教室で覚醒する。クラスにはいつものように桜子がいる。ループする地獄。



「もうやめましょう。こんなこと」

 一瞬、何を言っているのか理解できない。シナリオからずれてないか。おまえはあいつらに作られた操り人形だろう。

「わたしは春川桜子じゃないのかも」

「なにをいまさら」

「だからわたしから逃げてるんでしょ? 葉太が好きなのは本当の桜子だけ。いくらわたしがDNAレベルで同じだとしても」

「いや、どうしてそんな結論になる」

「葉太が望んだ設定をなんど繰り返しても結果は同じ。もう追いかけっこはやめたいの」

「やめてどうするつもりだ」

 言いつつ俺は桜子の口調に気がつく。本当のあいつなら俺の反論なんか馬耳東風だ。目の前にいる女は別人のように落ち着きのある話し方だった。


 桜子は俺から目そらして、ゆっくり言葉を運んだ。

「次のジャンプでどこか自分らしく生きられるところへ行く。自分の望みがかなう世界に」

「おまえのほとんどは俺の記憶から作られているはずだ」

「最初はね。でも今はかなり理解できるようになった。学習能力を与えてくれたあいつらには感謝してる。実は私にも声がきこえるんだよね。葉太と一緒になるためにどうしたらいいかとか」

「宇宙存在のすることとは思えんな」

「もうあきらめたみたい。補償はもう十分しましたって言ってたわ。だからわたしのループは今回で終わり。葉太はずっとここにいるといいわ。……さよなら」


 スカートをひるがえして、姿はしっかりした足取りで公園を去っていった。決然とした態度に思わず俺はかつての桜子を重ねていた。あいつは誰かの指示や命令に素直に従うのが大嫌いだった。まして誰かの操り人形になるくらいなら、みずから操り糸ごと引きちぎって捨てるだろう。

 自由になった彼女の後ろ姿はなんというか堂々としていて、高校生であることを微塵も感じさせない、鋼のような意思を秘めた大人の女性のそれだった。


 声も出ないまま見守っていると、やがて公園の出口の当たりで姿はふっと消えた。

 俺はいつものように頭の中でやつらを呼んでみたが、墓場のような静けさが漂うばかりで、もうそこには誰もいなかった。

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