第2話

 初めて現実の桜子と出会ったのはやっぱり学校のできごとで、転校してきた俺に真っ先に近づいてきやがった。ガキの頃から転校が多かった俺は、ある種の法則を発見していた。

 すなわち、転校して初めて自分に話しかけてくるやつはクラスで無視されているか、浮いているか、嫌われているかのいずれかだってことだ。


 桜子の場合は少し違った。桜子は友達もいなかったし嫌われ者だった。なによりそのスットンキョーな態度が現実世界からちょっと先、いやはるか先を行っていた。そういうやつはたいてい教室内の物笑いの種になるのが運命づけられている。つまり俺が引いたのは三連コンボでドン! というわけだった。

 ただ、目つきがきついほかは容姿が破格に良かったから、さすがの俺も判断を誤った。どのみち転校するんだし親しい友達はつくるつもりはなかったのに、しつこくつきまとってくる。

 帰りのホームルームが終わると、

「町を案内してあげる」

 言うなり俺の腕をひっつかみ、引きずられるように正面玄関をでた。 

 その日はまだ散りきらぬ桜の花弁が舞っているような温かい日だった。

 町、といっても漁業の衰退とともに縮んていく港町だ。たいして見るものはない。

 案内もそこそこに、桜子は相談したいことがあるってんで俺は学校から遠く離れた公園までついていった。


 住宅街の真ん中にある狭い公園で桜子はせきを切ったように話しはじめた。

 幼児虐待に始まり、中継ぎで父親の不在と浮気、ゴールは離婚に終わるありきたりの長い長い不幸話だった。

 ぐちと不幸話を聞かされると人間の脳血流量がだだ下がりになるというが、その時の俺は前頭葉に血は巡っていなかった。今から思えばあれは同情を買って相手のガードを下げる一種の洗脳だったような気がする。

 唐突に桜子はこう言って過去話をしめくくった。

「だからわたしはだれよりも幸せになる権利があると思うの」

 言葉が終わるやいなや唇を奪われ、それまでギャルゲーのキャラとしか付きあいのなかった俺は舞い上がってしまい、生まれてはじめて両親不在の自宅に女の子を招き入れてしまった。そうして人生最大の過ちをわずか十六歳で達成、ついでに童貞もくれてやった。


 翌日、桜子が得意げに全校に吹聴したおかげで、校内物笑いの種が一人から二人になり、桜子は奴隷を獲得、俺は自由を失った。

 なんで俺があいつのボーイフレンドなわけ? なんで俺から告ったことになってる?

 数々の疑問が未解決なまま、以後二年と半年、俺は桜子の支配下にあった。


 どれくらいその支配が苛烈だったかというと、桜子はちょっとばかりサイコなところがあり、俺が教室でほかの女子と軽い冗談を交わしただけで、帰宅中に顔色ひとつ変えずに俺のみぞおちにケリを入れた。

 俺の言い訳も抗議もすべてスルーして、得意そうにいかにもわたしは全部わかっているんだからねという見下し目線とともに、

「そう言うと思ってた」

 といって鼻で笑いやがる。ぜんぶ俺に吐かせてからこの返し文句。それで俺に勝った気になっている。バカの常套手段だ。俺の言葉に具体的に反論しろといっても、いつもこれでおしまい。


 俺は痛む腹をかばいながらうずくまる。そのうち腹くらいでは済まないかも知れないと気づいた俺は縁を切る手段は一つだけなのを理解した。

 桜子は真性のバカだから「勉強」がその答えだ。俺は必死に勉強して東京の「の」がつかない大学に入学して縁を切った、はずだった。


 夢の学生生活を開始した年の暮れ、俺のアパート前にぽつねんと立っている桜子を発見した。見るからに寒々しい安物のコートを身にまとった桜子は家出をしてきたという。

「この寒空に放置するつもりはないわよね」

 目に力を込めて言ったもんだから、仕方なく部屋に入れてやり……桜子はそのまま居着いて、俺はその後の四年間を棒に振った。

 二件掛け持ちのバイト代は俺の肉をぎ骨をしゃぶる桜子の生活費や化粧品に消えた。学業は当然のようにおろそかになり留年は確定だ。いくら俺の両親がものわかりが良くても学費はたった四年間だけの約束だった。

 退学に向けて俺が腹をくくりかけた頃……春川桜子はあっけなく死んだ。


 その日はバイトのシフトを連続したせいで半ば気を失うように眠っていた俺は痛覚でもって目がさめた。

 拳を握りしめ、パジャマズボンに半袖シャツ姿の桜子は続く第二打をまさに放たんとしていた。条件反射でとっさに俺は避け、ベッド脇にすわりこむ。

 時計は午前十時を回ったところ。すでに気温は三十度を超えている。

「わたしがいなきゃあんたはなんにも出来ないんだから」

 それだけ言って狭苦しい台所へ行き、フライパンを取り出した。桜子が以前フライパンを調理以外の用途につかったおかげで、俺の肋骨にヒビが入ったのを思い出して急に頭がはっきりしてきた。

 桜子はフライパンに湯を入れてから、クェーカー・オートミールの缶を開けた。朝飯は作ってくれるらしい。


 腕に火傷の痕が点々と見える。根性焼きが背中にまで達しているのは俺も知っている。あいつの親は少なくとも顔だけは傷つけない程度の知恵は回ったらしい。桜子はいつか金がたまったら手術で取ると言っていた。なので桜子のバイト代は全部貯金に回されている。

「自分のことだから自分で決着をつけたいの」

食費生活費を出してるのは俺だろ? 何が自分で決着だ。大抵このあたりで舌戦が始まる。その日は気力もなかったから俺は黙っていた。タバコは……ない。先月タバコもライターもぶん投げられたんだった。俺のため、だそうだ。お気遣い痛み入りますってか。


 桜子がふたたび俺の前に姿を表すまでのあいだ、地元で何をしていたのか。親から連絡がないところを見ると、全部捨ててきたんだなと言う気はしていた。

 俺が寝ぼけた頭で桜子の前半生をぼんやり想像していると、台所でどさりと米袋を投げ下ろしたような音がした。

 桜子がフライパンを持ったまま倒れていた。粥状のオートミールがあたりにこぼれている。桜子の体は喉仏のあたりで綺麗にすっぱり切断されていた。切断面が軽く焼かれたような跡になっているだけだった。

 俺の悲鳴がたまたま共用部廊下で電球を取り替えていた大家のオヤジに聞こえたらしい。乗り込んできた大家は、こと切れた桜子の死体と、わめきながら台所で消えた桜子の頭を探しまくっている俺を目撃する。


 大学生による猟奇殺人。

 いやもう、なんやかんやあって気が付けば俺は拘置所にいて硬いベットでしとどに涙を流していると、頭の中に声が聞こえた。

 最初に思ったのは、ああ狂ったなと。まあ桜子にあってからこっちずっと人生狂いっぱなしだったからもういいやと薄い毛布を頭からひっかぶる。


 ……あなたの心に……直接、話かけています……どうか聞いてください。

 ……あなたの心に……直接、 


 うるせえよ! わかったから黙れ。

 俺の沈黙の絶叫を同意と受け取ったのか、やつらは俺に話しかけてきた。


やつらの説明によると……。


 汎銀河ハビタブルゾーン縦貫ワームホール、宇宙規模の幹線道路を建設中の事故だという。アインシュタイン時空から秘匿して構築したはずのコスミック・ストリングの軌道がずれ、桜子の喉よりちょっと上あたりに四フェルミ秒ほど出現してしまった。

 時空を歪める質量をもった直径一Åの宇宙ストリングに接触した瞬間、通常物質は縮退してしまう。幸い、発生したエネルギーは余剰次元に放出したが、あなたの大切なパートナーを殺めてしまった。我々にも完全には復元が難しい。まことに申し訳ない。


許す。許すからもうほっといてくれ。


……あなたをここから出して差し上げます。

出たところでどうなる。俺は一生殺人者のままだ。


……ならばあなたの望む場所と時間をご用意いたします。

信じるものをすべて喪失していた俺は奴らの話を信じた。

そして心から言った。人生をやり直したいと。


 初めてジャンプした瞬間、俺はすぐに後悔した。人類をよくわかっていない連中に自分の人生を委ねた俺が馬鹿だった。


 事もあろうに奴らは残った生体情報から桜子を復活させやがった。ただし、頭が亜空間に飛んでしまったので、何割かは俺の記憶から再構成している……すなわちサイコ・桜子である。

 おまけに俺の記憶の深奥を引っ掻き回した挙げ句、俺がかつてこよなく愛した、主人公が女子校の担任となってハーレムするギャルゲー設定を発見し、俺が桜子と関係を持つ場として、教師と生徒の関係が一番だと判断したらしい。


 一行で要約すると――。

 ツレを宇宙存在に殺されたら、時空をまたぐギャルゲーの主人公になっていた件。

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