第7話

今は地球全体が蛹のように一見止まって見えるが、内面ではもの凄い変化が起きている。それは自然なことである。穏やかでもあり痛みも苦しみも伴う、厳しく激しい劇的な変動にある。


私は弱い。間違った努力から降りて止まってみる。すると世界はもの凄い勢いで流れていき、立ち止まっているのに後退しているようにも見える。


誰もが同じ体験を共有している。誰かが見た景色やその記憶は決してその固有の存在にのみ帰結するのではなく、皆同様に観ているものだ。


それは誰がするわけでもなく、自然とそうなっているのだと思う。私は人の死を夢で何度か体験してきた。誰か別の人の中に入って、その人の視点で死を体験する夢だ。


熊に襲われて死んだ人や、妻と心中した人、急激な放射被曝による死も体験した。


不思議と同じ死に方をした人がいるのを知ることもある。


私が観た夢はその人の体験した死だとかはわからないが、何故か夢で見たその人とにた死の間際の体験した記憶が私の中に鮮明に残っている。


何故こんな話をしたのかというと、生と死は同じ意味でもあり、同じ理由なのだと思う。死に怯え、苦しむ事はない。自然の偉大さの所以なのだ。生も死もまやかし。


命を永らえさせるためだけの労働の時代は終わった。


地位や名誉、お金や車や家のために働いてきた時間は、人との関わりの中で築く時間へと重きは変わっていく。


魂の声に耳を澄ませて、すべき事がわかると、それは死ぬ事がわかるのと同じ。


いつでも未熟な親の犠牲になるのは子供だ。


子供達に何を残せるだろうかと考える。


私のすべき事がわかった。そのために今は止まっている。そして女性と出会う。男を動かすのは女の力だからだ。


それがいつかはわからない。来るべき時に動けるように、今は止まっている。動く時が来るまで待つ。


芽を出す前の地中の種のように、それは動いていないようで、土を割いて重力に逆らい日の元に向かうべく命のエネルギーが蓄えられている。


時が来たら自分が住みたい世界を創造して、残してゆく。かたちには残らずとも、心に残る祖先の記憶が後に生きる子供達を勇気付けるだろう。


そのためには破壊も厭わない。創造と破壊は同じこと。ただ、それは失われるのでなく輪廻するということ。


次の時代は時間の概念も変わる。


私たちはある点から点まで結んだ線が時間だと学ばされてきた。しかし、線は無数の点と繋がって円になる。時間は廻る。


きっとこれからの時代は悲しいことも苦しいこともたくさんあって、嬉しいことも楽しいことも今までの比じゃない程の体験をする。


恐れても立ち向かう勇気が必要だ。


これからは自分が住みたい世界をそれぞれが創り、共有するような時代になる。


一つの枠の中に捉われて互いの権利を争う時代は終わった。


力があるのに、それがないと教えられてきたため、ないとしてきた力がこれからは役に立つ。


誰もが身を持って体験する。


全ては私たちの掌のうちにあって、外にもある。

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青山避難所生活 現代幸之晋 @ryou_0707

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