第2話

我が家では猫を1匹飼っている。

高校時代の後輩から訳あって引き取ったのだ。後輩からの連絡があり、猫と暮らしたいと思い始めていた私はこんなに早く実現すると思わなかったため困惑したが、決心を固めた。


家族からは反対されることがわかっていた。ペットを飼う余裕など金銭的にも心理的にもなかった。しかし、なにかの縁だと信じて独断で引き受けた。


猫を連れてくるとだけ告げて、連れて帰って来た。当然反対された。私は家を出るつもりだった。


しかし、日が経つに連れ、家族に馴染んでいき、家庭が明るくなり、それまで全くなかった家族間での挨拶も時たま聞こえるようになった。


大人しくて人懐こい性格の猫だったのが良かったのか、従来の猫のイメージより静かで気品を感じさせる愛くるしさがあった。猫といえばいたずらして、自分勝手で、わがままでとっつきにくいというマイナスイメージのオンパレードだっただけに、実際の猫とのギャップに癒された。


飼うことを憧れはしても実際に飼ってみることは大変に難しい。しかし、自分に依存しなければ生きられない生き物をお世話するのは、心の傷を癒すのに最適だった。


じばらくは家を出る計画を立てていたが、次第にその必要もなくなった。


そう思っていた。


上京していた従兄弟が転職する間、居候することが父の独断で決められた。


私は強く反対した。家庭崩壊している家で他人を招くなど相談もなしに決められた事に腹が立った。


しかし父の言い分はこうだった。「俺の家で俺の決めた事に従えないなら出て行ってもらう。」


話し合いにすらならなかった。感情丸出しでただ恫喝する様に捲し立てられ、稼げないなら価値がないという親の価値観に迎合して自殺未遂までしたことを思い出して同等の憎しみと怒りが爆発して家を飛び出した。


災害に備えておいた荷物を持って真冬の雨の中を歩いた。怒ってグラスを殴りつけた手から血が流れていた。手に抱えていたジーンズのボアジャケットに血が染みている。バッグから止血剤を取り出して処置をする。


わがままはお互い様だとわかっていた。


頭の中には猫のことがあった。生活が安定したら引き取りに行こうと考えたが、それまでの間に殺されやしないかと不安になる。


身勝手が過ぎると自分を責めた。


泣きたくて仕方ない。


気づくと大きな橋まで来た。


河川敷で過ごせないだろうかと考える。いっそここから飛び降りたい。そう考えながら、現実的ではないと冷めた思考も働いていた。


そのうち高速道路沿いに歩いて、雨を凌いで休める場所を探した。高速道路下の公園の中のベンチで身を休めた。横になると疲れが楽になる。同時に虚しさが湧いてくる。1人でしばらく泣いた。


雨の中歩いた足が冷たく、歩いて温まっていた体が冷えて震えてくる。ホームレスになることを覚悟したことは何度かあるが、現実は厳しかった。


いまから段ボールなどを集めるのも、一晩泊まれるような施設を探すのも現実的ではなかった。


自分の衝動的な感情をコントロールできない未熟さを恥じながら、一度家に戻る事にした。


兼ねてから父親のようになりたくないと思っていたが、結局私も父と同程度の最低な人間だと噛み締めた。


やっと家に戻り、1人で生活する手段を考えた。


この際親の店の手伝いを続けて、その間に奪えるものは全て奪って夜逃げしようと決心した。


その週末から何食わぬ顔で店に戻り、手伝いを始めた。


父も家族に依存しなければ店を続けられないので何も言ってこない。


仮面家族としてまた2度と会わなくて済むその日が来るまでの間、一つ屋根の下での生活が始まった。

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