鯉と人面魚

 人面魚。文字通り、人の顔を持った魚。いるわけがないと鼻で笑うかもしれないが、昔オカルトブームの頃、人気の題材のひとつだった。ちなみにネッシーやヒマラヤの雪男には知名度で劣るが、日本の文化のツボに入ったようで、人面魚がニヒルにしゃべるだけというTVゲームが一大ヒットした。


 お池にはいろんな生き物がいる。カワセミいると聞いた。鴨がいたり白鳥がいたり、鯉は最も馴染みかもしれない。タガメやゲンゴロウといった昆虫もいるらしいけれど、水面のミズスマシやアメンボくらいしかわからない。


 あるときお池に人面魚がいる!と話題になった。人の顔を持った(つまり、正面から見ると人の顔に見える)鯉がいるという。


 学校はちょうど、そろそろお池で写生会、という時期だったから、一層、クラスの関心は謎の人面魚に向かった。もっともクラスメイトの多くは写生会が苦手で、美術の先生の手ほどきを受けても絵を描くことにあまり乗り気ではなかった。


 果たして、写生会の日が来た。「それぞれ樹を必ずひとつ書くように。樹が一本入っていれば、後は自由」と課題を出され、めいめいお池の周りに散らばる。お池は木に囲まれているし、林もある。腰掛けて好きに描くに適したところはたくさんある。

 私も友人に声を掛けた。


 「どこで描く?」

 「少し周ってみようか」

 「そうだね」


 池の周りをぐるっと周って絵を描くポイントを探しに出た。

 対岸へ渡ろうと、数年前にできたばかりの橋を歩いていると、鯉が盛んに顔を出した。餌をくれると思っているのだ。それぞれ色や模様の違う鯉が我先にと口を見せる。


 「あっ!!人面魚だ!!」

 クラスメイトの一人がはしゃぎだした。

 周囲にいた何人かのクラスメイトが欄干に寄る。


 どこだろう。人に似た顔をした鯉というのは。

 私も池を見渡す。


 「いた!」

 「どこ?」

 「そっち」

 「嘘!」

 「そっちにいたって」

 級友たちは騒がしくしているが、見当たらない。どんな顔か見てみたい。


 私は見られるものなら見てみたいと盛んに覗き込んでいたが、ふと連れに促された。

 「行こう?」

 「うん」

 人面魚を見られないまま、対岸へ渡り、人の少ない池のほとりに陣取って、コンテを握った。


 果たして、人面魚も見られず、時間ぎりぎりまでかかって茶色いヒトデと緑の海藻のような絵ができあがって、写生会は終わったのだった。

 ちなみに美術の先生が教えてくれたのは、枝振り・根の張りかたを描いて、絵の具を濃く使って、色んな緑色に、茶色、黄色、紫色などを筆で押して葉を書いていくというものである。


 そうして、人面魚のブームは風のように去った。私はその後も、たくさんの鯉のなかには人に似た顔をしたものもいるかしらと、たびたびお池や上水を覗き込んだ。当然、見つからなかったけれども、緑盛んな木々を通る風はとても心地が良く感じられた。

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