第17話 第一歩

 応接室で俺とシカゴはモデル契約の話を進めていき、お互いの認識を再確認しあった上で、ついに契約書へサインをするに至った。

 これで晴れて俺達は、この国が注目する冒険者、“働き方改革実践パーティー”となったのだ。

「この契約書のサインをもって、私達の間には需要と供給の関係が生まれるわけですね」

「まあそうだな。ビジネスパートナーっていうべきか…………ただ、変に仕事の関係ってのを意識したくないんだけどなぁ」

 そうだ、変に堅苦しくしてしまうよりも、同じ志を持つ関係性という方がしっくりくる。

「…………うん、そうだな。“同志”とでも言うべきか」

「そうですね」

 シカゴが満足そうに微笑んだところで、ちょうどシルフィーが宿舎の風呂から戻ってきた。

「途中で抜けてしまってすみませんでした!」

 まだ若干乾ききっていない髪を大雑把に結ったまま、国王軍の女性兵士に借りたというワンピースを身に纏った姿のシルフィー。彼女は頬を赤らめながら、シカゴに頭を下げる。

「お、お風呂貸していただいて、ありがとうございます」

「いえ、風邪を引かないように、よく乾かしてくださいね」

 借り物の服が恥ずかしいのか、湯上りの姿が恥ずかしいのか。この状況では全く別の紅潮か。頬をさらに赤くしたシルフィーは、応接室の安楽椅子に浅く腰をかけると「きょ、恐縮です!」と言って再び頭を下げた。

「服、乾きそうか?」

 俺が尋ねると、彼女は首を横に振って時間がかかることをアピールする。まあ、無理もないだろう。

 実を言うと、彼女にそう問いかけたのは個人的な理由もある。俺は席を立ち上がると、部屋の隅にかけておいた雨ガッパを手にした。

「イフト、どこか行くの? 話は?」

「ん? 契約のことならもう話は済んだぞ。ちゃんと成立だ、詳しいことは村に戻ってからきちんとするさ」

「え、もう帰るの?」

「いや、シルフィーはゆっくりさせてもらって服を乾かせ。俺はちょっと出掛けてくるけど、後で戻ってくるよ」

 出掛けるという言葉を聞いて、シルフィーは不思議そうに部屋の窓を見やった。彼女が抱く疑問は分かりきっている。こんな雨の中、どこに出掛けるのか、だろう。

 それに対して、俺とシルフィーが交わした短いやりとりを聞いてシカゴは悟ったみたいだ。雨ガッパを着込む俺に向けて、彼は明るい調子で言った。

「イフトさん、早速行かれるんですね」

「ああ、思い立ったらすぐに動きたいんだ」

「なるほど、雨がさらにひどくなってますからお気をつけて。シルフィーさんには僕からお話させていただきましょうか」

「ああ、そうしてくれると助かるし、彼女も喜ぶだろう」

 その言葉に秘められた気遣いに気がついたようで、ニヤついているのか怒っているのか分からないような顔で、彼女は俺を睨みつけてきた。

 その視線から逃げるように、俺は急いで応接室を出た。そしてそのまま宿舎も出ると、降りしきる雨の中を軽い足取りで進み出す。

 こんな足元の悪い中、それでも俺は動かずにはいられなかった。

 これは、俺にとってまたとないチャンスなのだから。

 応接室で契約の話をしている最中、シカゴがこんなことを言ってきたのだ。

 “イフトさん、戦い方改革とは、在宅勤務をするだけではないんですよ”、と。

 セミナーを開いた時に見せる彼の涼しげな笑顔。だけど自信に満ちた顔だった。

 そんな顔で話す彼の戦い方改革は、初めてセミナーを聞いた時同様、俺の脳天に稲妻を落とすかの如く衝撃を与えた。

 シカゴが言ったのは、『マルチスキルプレイヤー』という考え方。一人の人間が多岐に渡るジャンルの経験値を積み重ねて、一人何役でもこなせるような、マルチな人材となることだ。

 そう、俺達がサリナ先生から魔法や魔術を教わって使い始めたことこそが、このマルチスキルプレイヤーというスタイルの実践となっていたのだ。

 俺達が今実践している戦い方改革、在宅勤務は、冒険者達の負傷のリスクを減らすばかりではない。その他の利点として、まず絶対的に私的時間が増えるのだ。

 ここでいう時間とは文字通り、自分が一日の中で使える一分一秒のことである。

 クエストをこなすにしても現地に体を運ぶ必要がなく、目的を達成したらすぐに切り上げることができる。移動時間というものを、丸々別の時間に充てることができるのだ。

 そして浮いた時間を、例えば他ジャンルのスキルアップに費やすことができる。

 なんとも目ざといことに、シカゴは俺のことをよく調べていた。

 俺が浮いた時間を何に使うのか、彼はかなりの自信を持って想定していたに違いない。

 そして俺に、そのことを気づかせた。

 雨の中にも関わらず俺が飛び出した理由は、このマルチスキルプレイヤーという制度を取り入れることで、俺の人生が今までにないほど充実するかもしれないからだ。

 こんなこと、じっとしていられるものか。

「やってやるさ、やってやるんだ」

 俺は一人、呪文のように意気込みを繰り返し呟いた。


◆◆◆◆◆◆


 雨の中はるばるファレンシアにやってきたのだから、出来ることは早いうちに済ませておかなくてはいけない。

 それは俺が冒険者として、それ以前に一人の人間として、常日頃から心掛けていることである。

 マルチスキルプレイヤーという制度を余すことなく存分に利用して、俺は自身の人生を充実させるのと同時に、戦い方改革実践冒険者としての実績を作ろうと考えた。

 そう、自分のプライベートの時間が増えた分、自身のスキルアップを目的とした勉学に励むべきだ。

 そう思って俺は、街のはずれにある一軒の店先までやってきていた。

 住居を兼ねた二階建ての古めかしい建物。元々は白塗りだったであろう外壁も、着実に重ねてきた築年数のおかげでアイボリー色に変色をしてしまっている。それはそれで風情もあるのだが。

 オレンジ色の瓦葺き屋根を突き抜けるように伸びる煙突からは、蜘蛛の糸みたいな細い煙が上がっていて、煙突から顔を覗かせた瞬間から雨に打ち消されていた。

 近隣には他の民家が隣接していない。それはこの店の商売上、周辺に迷惑をかけないための配慮だった。鉄を焼く臭いや熱による被害、そして万が一の火災に備えて。

 この店は、主に刀剣を取り扱う鍛冶屋だった。

「すみませーん! サーバーさんいますかー!?」

 店頭には人影はなかったが、俺が声を張り上げると、薄暗い店の奥から一人の老人がひょっこりと顔を出した。

「なんだイフトか。お前こんな天気の中何しにきやがった」

 老人は俺の姿を見るなり眉尻を釣り上げて睨みつけたが、口元はうっすらと微笑んでいるように柔らかく、内心で喜んでくれているのが分かった。

 ゆっくりと歩み寄ってくる老人の体躯はシルフィーと同じくらいに小柄で、それでも浅黒い肌に包まれた両腕はしっかりと太く、鍛冶屋として数多の鉄塊を剣として鍛え上げてきたたくましさが窺える。

「今日はこの天気だからな。店はさっさと閉めちまったんだが…………調子でも悪くしたのか?」

 老人、店主のサーバーさんが、俺の顔を通り越して背中に背負っている剣を見ながら言った。

「いや、今日は手入れをお願いしにきたんじゃないんです」

 俺の言葉に「ふーん」と頷きながら、彼は店の奥へと俺を招いてくれた。

 店先でずぶ濡れの雨合羽を脱ぐと、俺は彼に続いて奥へと入っていく。薄暗かった奥には、表からでは分かりにくかった巨大な炉が鎮座していて、今はその口に黒い鉄製の蓋が閉じられていた。

 炉の近くまで来ると、蓋で閉ざされた中ではまだ勇ましいほどの灼熱が唸りを上げていることが伝わってくる。

 自分が背負っている剣をはじめ、数々の名剣がこの炉から生まれてきたことを、俺は知っている。

 この鍛冶屋は、まだ俺が子供で父親から剣の稽古をつけてもらっていた頃に、弟子入りしたいと言って店先に食らいついた店だ。

 冒険者になってから、俺は自分の剣をここで作ってもらい、手入れもずっとお願いしてきていた。

 店の主人であるサーバーさんとはすっかり顔馴染みでもあり、立ち寄るたびにこうして俺を招き入れてくれる。

 こうして急にやってきた今もまた、いつも通りに炉の前へ連れてきては、作業時に使う腰掛けを並べてお茶を出してくれるのだ。サーバーさんは、俺が炉の前に来ることが好きなのを知っている。

「なんだぁ? 何か相談事か」

「はい、その通りです」

「武器を新調でもするのか?」

「いや、そうじゃなくて…………実はですね」

 出されたお茶を受け取ると、サーバーさんは俺の向かいにどかっと腰を下ろして、使い古したキセルを咥えながら煙を吐き出した。

「しつこいようで申し訳ないんですが、俺はどうにも頑固というか、諦めが悪い性格でして」

「…………なんの話だ?」

「昔サーバーさんにお願いしたことが、今でもずっと忘れられずにいます。必ずもう一度志願しようと、その機を伺っていたんですが、その時がやってきました」

「お前、まさか」

「…………サーバーさん、俺を鍛冶職人として鍛えていただけませんか!」

 俺は手にしていたお茶を置き、気がつけば腰掛けからも降りて地面に膝をついていた。そして、頭を深く下げていた。

 子供の頃にこうして頭を下げたのは、店先でのことだった。今は轟々と燃え盛る炉の前。黒い煤や細かい鉄粒が散らばる地面。

 それでも、俺は額を擦り付けるならこちらの方が良かった。

「…………頭を上げろ。もういい歳なんだろうが」

「年齢は関係ありません。俺はまだスタートすら出来ていない。こんな輩を鍛えてもらいたいと頼むのだから」

「そうは言ったって、お前は今冒険者だろう。しかもパーティーリーダーだ。メンバーたちのことはどうするつもりだ?」

「もちろん彼らのことは放っておけないので、冒険者を今すぐ辞めるわけにはいきません。でも、先ほどサーバーさんが言った通り、俺もいい歳だ。いつまでも踏み出さないでいたら、あっという間に手遅れになる…………だから、冒険稼業が終わった後、一時間、三十分だけでもいい! 店先の掃除、片付け、買い物、最初はなんでもいい! 報酬も要らない! 何卒、俺に夢への一歩を踏み出させていただけませんか!?」

「冒険者をしながらってのは無理な話だろうよ。冒険に行って帰ってきて、フローア村からここまでくるんじゃ夜中になっちまう」

 そう、今まではそういった距離的な問題があったから踏み出せなかった。

 しかし、今の俺は違う。

 シカゴと話したマルチスキルプレイヤーとは、何も冒険者という枠内だけの話ではないのだ。

「サーバーさんには話していなかったですけど、俺は今、冒険者の新しいスタイルとして在宅勤務を実践しています」

「在宅勤務? なんだそりゃ?」

 俺はサーバーさんに、事の経緯を説明して聞かせた。

 戦い方改革の実践、在宅勤務の導入によって、俺の人生に少しの余裕が生まれた。

 その時間を有効活用することで成せる副業。いや、考え方を変えればこれはセカンドキャリア、第二の人生における職業と言っても良い。

 そしてそれは単なる職業ではなく、俺の夢を叶えることに直結する職業だ。

 すなわち、俺は自分の人生を豊かにするための行動だ。

 シカゴがセミナーで言っていたこと。俺が共感した思想。

 そういったものが実現できるチャンスがある。

 宿舎で話していた時、シカゴからも鍛冶屋への弟子入りを勧められた。あいつが思い描いていた冒険者たちの戦い方改革とは、単に在宅勤務をするだけでなく、こうした副業やセカンドキャリアへの足掛けまでも想定されていたのだ。

 ならば、それも含めて俺がモデルとなろう。

 兎にも角にも、こうして自分の夢が実現できる可能性を与えてくれた戦い方改革を、俺はとことん試してみたいと思った。


<続>

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