第16話 雨の日の決断

「それじゃあ行ってきまーす!」

 元気の良いシルフィーの声と共に、俺と彼女は二人揃って家を出た。

 今日は冒険はお休み。ブリオとマーブルには、それぞれ魔法と魔術の鍛錬を積むようにだけ言い残してきた。マーブルが一緒に来たいと駄々をこねていたが、馬車に乗せるとまたとんでもない事になるので、今回はお断りした。

 村の入り口にある馬車の停留所までやってきた俺達は、怪しい雲が立ち込めてきている朝の空を見上げた。

「ファレンシアに着く頃には降るだろうな」

 背中に背負ったバッグの中に、レインコートを入れてきて正解だろう。

 そんなことを思いながら隣を見やると、普段の冒険用装備に身を包んだ俺と違って、シルフィーは随分と粧し込んでいた。

 シワ加工の施された白いロングスカートと黒のブーティー。それにベージュのニットと柄物のスカーフ。頭の上には黒いベレー帽を被った彼女は、花柄模様があしらわれたアンブレラと革製のバッグを手にしていた。

 何やら大人の女性を意識したような格好ではあるが、顔は相変わらずの童顔である。それよりも木になるのは、天気が崩れたら大丈夫だろうか。

「早く馬車来ないかなー」

「おしゃれじゃないか」

「へえっへえっへえ!」

 笑い方に気を付ければ、素敵なレディーだな。

 シルフィーがおしゃれにを気を使ってきた理由はひとつしかない。

 今日はこれからファレンシアに向かい、シカゴ・コンテスタに会って先日の返事を届けに行くのだ。となれば、シルフィーが気合を入れて来るのには十分な理由となる。

 ブリオは便箋で済ませれば良いとは言っていたが、こういう大事な話は直接するべきだと思っている。それに、シカゴへの回答に悩んだ俺が変に気負ってしまったが故に、シルフィーには少しばかり迷惑をかけた。それについては、何かしらの形でお詫びがしたいと思っていたのだ。

 まあ、そのお詫びがシカゴに会わせることって言うのも、ちょっとどうかと思うのだが。

 天気が少しずつ崩れてきた頃に、馬車がやって来た。御者に名前を告げて、早速キャリッジに乗り込む。それから発車まで待っていると、窓ガラスに小さな水滴が張り付いている事に気がついた。

「これは走り出すのと同時に降るかもな」

「ええー、せっかくおしゃれしてきたのに」

 そんなシルフィーの不満も一緒に乗せて、馬車が動き始める。

 しばらくは窓の向こうを流れる景色に目をやって見たが、すぐに視線をシルフィーの方に向けて言った。

「なあ」

「んー?」

「こないだはすまなかった」

「え? 何が?」

「在宅勤務の成果を無理にあげようと、辛く当たってしまったことだよ」

 それを聞いたシルフィーが、うんざりしたような顔を俺に向けてきた。実はつい先日も同じことで一度謝ったのだが、彼女はその時も同じ表情を浮かべていた。

 だから次に言われることも分かっている。

「それ謝るの禁止って言ったでしょ?」

「分かった。そうだな、これで最後だ」

 こないだ謝った時もそうだった。

 シルフィーは、俺が辛く当たってしまったことの真意もきちんと理解していた。だから、そのことを謝られるということは、彼女の中の我慢や理解、前向きな姿勢を否定する事になるので辞めてくれと、そう言ったのだ。

 だが、俺は俺でブリオに指摘されたことを深く反省したかったし、同じ過ちを繰り返したくなかったわけだが、そんな俺の懺悔すらも彼女は許すことはしなかった。

 なんと物分かりの良いメンバーを持ったのか。これはリーダーとしては幸せなことであり、同時に頭の上がらない自分が情けなくもある話だ。

「悪かった。もう謝らないよ」

「本当だよ。私、そんなんでイフトのこと嫌いになるような人間じゃないもん」

「そりゃあもちろん、信じてるさ。でもあの時は、一緒に食事も行ってくれなかったから不安になっちゃったんだよ」

「女の子にはそういう時間が必要なの!」

 ほっぺを膨らませながら言い返してくるシルフィーに、俺は「参りました」と両掌を見せて笑いかけた。

 だが実際のところ、優柔不断になって迷っていた俺に決心をつけさせたのは、他ならぬシルフィーだと思っている。それを踏まえて考えると、やはり彼女には感謝を伝えたいと強く思うのだ。

 さて、シカゴから申し込まれた依頼についてだが、結論から言うと俺達パーティーは、シカゴの依頼を聞き入れる事にした。彼からの依頼通り、自分達の在宅勤務という冒険スタイルを一つのモデルケースとして、シカゴを通じて王国内に発信していくこととなった。

 最初は、この発信される情報に完璧を求めたせいで、シルフィーには辛い思いをさせてしまったのだが、今となっては不完全を伝える事にも意味があるのだと思う。

 俺達は、人気のコメディアンや著名な賢者でもないし、そもそも王国内に名を広めることは本来の目的ではない。数多いる冒険者の端くれとして、日々の生活のためにクエストをこなし、またその行いが誰かのためになることだとしても、それは限られた範囲の一握りを救う行為でしかなかったのだ。

 しかし、彼の依頼を受託する事によって、俺達は“発信者”となる。

 一体どれだけの人が俺達の活動に目を向けてくれるのか分からない。いくら王国が後ろ盾となって情報を広めてくれるとしても、全ての冒険者の目に留まるとは考えにくい。最初はほんの数人が気に留めてくれる程度かもしれない。

 だが、そうして俺達の活動を知ってくれる人達には、俺達の苦労や失敗をなるべくリアルに感じ取ってもらうことが大事なのだと思うようになった。

 完成されたものは尊敬されるが、未熟なものは研究される。

 冒険者達の新たな常識を作り上げるため、ひいては冒険者達の安心・安全を作り出し、効率の良い冒険、生産性の向上を図るためには、敬われるのではダメだ。真似されなければ。後に続いてもらわなければ。

 少しずつ、いろんな人に気がついてもらえればいいのだ。

 そうなった時、俺達が必死に頑張っている在宅勤務冒険というものも、新たな意味を見出せる。

 それに、これはおいしい話でもある。

 自分達の活動を発信することが収入にもつながるのだ。

 そう、これはひとつの副業の形だと思う。


◆◆◆◆◆◆◆


 俺達がファレンシアに到着した頃には、すっかり雨が本降りとなっていた。

 ファレンシアはインフラ整備がきちんとなされているので、フローアの村のように街中の道が土などではなく、石造りとなっている。シルフィーの白いスカートも泥まみれになることはないだろう。

 と、思っていたのだが。

「やーっ! もうびしょびしょ!」

 傘を差した彼女の足元は、石床に当たって跳ね返った雨水で、すっかりびしょびしょに濡れていた。花柄のおしゃれな傘も少し径が小さいようで、足元から跳ねなくとも直接降りかかる始末だ。

 俺は着慣れた黒のレインコートを外そうとしながら、シルフィーに声をかけた。

「こっちのコートを貸そう」

「いい! それだって結局濡れるもん! いいから早くシカゴさんのところに行くよっ!」

 ほとんどやけになりながら、雨の降りしきるファレンシアの街を俺達は進んでいった。

 シカゴは普段、国王とともに城に拠点を構えているそうだが、しばらくファレンシアに滞在をしているそうだ。

 というのも彼は、国中の町や村を回って冒険者達の戦い方改革を説いているらしく、大きな都市部では数週間をかけて広報活動を行なっているという。

 それと、ファレンシアに留まる理由はもう一つ。それは当然俺達のことだ。

 彼は俺達に何としてでも戦い方改革の先駆者としての務めを果たさせるつもりのようだ。先に聞いていた話では、俺達にモデルケースとしての話を投げかけてから、ファレンシアへの滞在期間を二ヶ月延ばすように、国王へ連絡を入れたらしい。

 そんなシカゴ氏が居住しているファレンシアの拠点は、七番大通りにある国王軍の宿舎だった。

 スカートの裾をすっかりと濡れしてしまったシルフィーの歩みは、すでに諦めがついたのか幾分潔いリズムに変わっていた。

 そして辿り着いた宿舎。

 その入り口には、雨に濡れながらも二人の兵士が警備のために立っていた。

「あのー! シカゴ・コンテスタさんに会いに来たものなんですけど!」

 早く入りたいが故に、シルフィーが兵士に声をかける。

 突然の来訪者に訝しげな目を向ける兵士達。俺はすぐに彼らへ近づき、事情を初めから説明した。

 ようやくシカゴに取り次いでもらえる事になると、俺達は宿舎の中へと案内されて、ようやく雨の中から脱することができた。

 応接室で待っている間、シルフィーはしきりにハンカチで服を拭いている。こういう時に魔法が使えたらと思うのだが、不要不急の魔法使用はモラルの欠けた行動であるため、転移魔法も含めて簡単に使うわけにはいかないのだ。

「全然服が乾かないよぉ」

 落ち込むシルフィーに向けた慰めの言葉を探しているうちに、シカゴが部屋に入ってきた。

「やあ、こんな足元の悪い中お越しいただいてすみません」

「こちらこそ押し掛けてしまってすまない。俺は構わないんだが」

 シルフィーの方は見るからに大変そうだ。彼女は何とか一生懸命笑顔を作りながらも、せっかくのおしゃれが台無しの様子だった。

「迎えの馬車を手配出来れば良かったんですが、生憎全ての馬車が出払ってまして」

「いや、気遣いは…………そうだな、残念だ」

 もはや、彼女が気の毒でならなかった。

「もし良かったらシルフィーさん、宿舎のお風呂を使ってください。服は女性兵用になりますが、変わりを用意しますので」

「あ、ありがとうございますぅ」

 まあいいか、シカゴからの依頼受託の話は、シルフィーの出る幕もないのだから。

 兵士に案内されてシルフィーが部屋を出ていくと、俺とシカゴは改めて向かい合う形で話を続けた。

「今日来ていただけた用件というのは」

「ああ、それはもちろん…………先日の戦い方改革モデルとしての話、引き受けたいと思ってきたんだ」

 それを口にすると、シカゴは静かに微笑みながら言った。

「そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます…………ちなみに、引き受けようと思った決め手みたいなものはありますか?」

「んー、まあ一つは当然、あんたもセミナーで言ってた話だ。冒険者達の今後に必要なスタイルってやつを実現したい。そしてそれらを皆にも知ってもらって、長い目で見た俺達の人生を良いものにしたいんだ」

「そうですよね。私も同じ考えです。他には?」

「少し卑しい考えかもしれないが、目先の利益ってのも捨てがたい。冒険者としてのクエスト報酬だけでなく、モデル料ももらえるって事だからな」

 この結論に至るまでの間、パーティーメンバーの間柄に関する葛藤はあったが、報酬などについては明確な魅力を感じていた。これは正直な感想だ。

 俺達は今まで通り、遠隔冒険を続けるだけ。ただそれを国中の人々に知らせる事で、副収入を得られるのだから。

 冒険者パーティーの代表として、こういった損得の判断も大事な要素であることは間違いない事だ。そしてそれに正直であることは、決して恥ではないと思っている。

 シカゴは、俺の回答を聞いて頷いた。

「その考えは決して卑しいものではありませんよ。パーティーを取り仕切る運営者ならば当然の思考だと思います」

「そうだな。戦い方改革が冒険者の生産性を求めるものならば、報酬アップだって生産性の向上を示す立派な証だ」

「同感です。そこまで考えていてくださるのならば、話は早そうです」

 その言葉と同時に投げかけられた彼の表情には、別の議題が見え隠れしていた。

 その事に気がついた俺は、話の続きを促すように黙って待った。

「イフトさん、私との契約を結ぶ上で、一つご相談があるのですが」

「なんだ?」

「おそらくこれは、イフトさんにも悪い話ではないはずです」

 正直に言って、今日ここに来るだけでもそれなりの決断をしてきたつもりだ。

 これ以上俺を優柔不断にしないでもらいたいものなのだが。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか。シカゴの微笑みが多少不気味に見えてしまったのは、俺の心臓が不安によって高鳴りを続けているからに他ならないのだ。


<続>

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