第二章

第1話 日常への侵食

「ちょっとあんた、詳しく説明しなさいよ!」

「何を」


 エーデルは、目の前の席に座っているテレーゼに詰め寄られ、思わず顔を顰めた。

 常と変わらぬ飄々とした態度で接している彼女に、テレーゼはパンッと軽くテーブルを叩いた。かちゃんと。彼女の生んだ衝撃で、テーブルの上に乗った二つのコップが跳ねる。


「どう考えてもわかるでしょ! いつの間にかあんたが連れ込んできた男のことよ!」

「人聞きの悪いことを言わないで欲しいんだが」

「事実でしょ。もっかい言ってみなさいよ! 彼と知り合った経緯を!」


 いつもよりも遥かに熱の籠もった彼女の口振りと態度に圧され、エーデルは、テレーゼに先程言った言葉を、再び口にした。


「リアンが追いかけていった先にあの気障キザ男が倒れていたから、介抱した。その見返りと、私の傍に居れば夢が分かるとかなんとか言って居候を求めて、それを私が受け入れた結果、現在あいつを護衛人として雇っている」

「あぁ、もう! あんたどんだけ運が良いか分かってんの!? 本当は見ず知らずの男を連れ込むってだけで激ヤバ案件なのに、それがあんたに襲い掛かるような変態でなかった上に、尽くしてくれるタイプの優良物件って……。あたしが合コンで頑張ってるのをあざ笑うかのように! っていうか、それ狙ってたでしょう!」

「一人で勝手に妄想して盛り上がらないで欲しい」


 テレーゼの畳みかけるマシンガントークに、エーデルは溜息と共に粉っぽいココアを飲んだ。そして、テレーゼの背後に目を向ける。

 その先のテーブルでは、リアンを抱いたロバートが、四人の女性に囲まれて談笑している。男性職員が見たら、さぞかし羨むハーレム状態だ。ただ、普通のハーレムと少し違うのは、話している女の内二人が、隣に座る女性の顔や手足の動きを窺いながら、手元の携帯端末に入力を続けていること。

 手を動かし続けている二人は、基礎中枢のメンテナンスを行なう駆動調節部門所属の職員だ。他二人は、彼女らがメンテナンスをし終えたアンドロイド達である。

 彼女らは、たまたまラウンジへ休憩しに来ていたエーデルとロバートらに、「会話に関する動作の確認」の協力を要請したのだ。それを断る理由も特になく、テレーゼがやって来る三十分ほど前から、六人でとりとめのない世間話をしていた。


「はー、本当、羨ましいわぁ……」

「羨ましい……? 私が?」

「当然でしょ。むしろ、そんな状況で何も思わないのはあんたくらいよ」


 ビシッと指を差され、エーデルは視線を逸らしてカップに入ったアイスココアに口を付ける。

 ロバートがエーデルの家に来てから、早一週間と少しが経過していた。

 現状特筆するような問題は起こっておらず、思っていたよりも穏やかな時間を過ごしている。衝突がないのは、ロバートが我を通すことなく、エーデルの言葉を素直に聞き入れてくれるからだろう。エーデル自身もまた、無理に難癖を付けて我が儘を言うタイプでもなく、ロバートのやることをある程度許容するため、早くも協力的な相互関係が築かれていた。


「……まぁ、あんたに無体を働く野郎じゃないってことが分かっただけでも上々ね。いい? 何かされそうになったらリアンを使って逃げなさいよ。あと、あたしかロディ主任にすぐ報告すること」

「あのな。誰でも選べるような気障キザったらしい奴が、私なんかに粗相するわけないだろ。それに、そういうことのために、傍に居てもいいと許したわけじゃない」

「馬鹿ね。男ってのは、狼なのよ」

「はあ……?」


 怪訝そうに片眉を上げているエーデルに、テレーゼは小さく肩を竦めて目の前のアイスティーに口を付ける。


「ま、今のところは安全そうだからいいけど。ちゃんとした人で良かったじゃない」

「……そりゃあどうも。あれをちゃんとした、と捉えるかどうかはまた別の話だけど」

「は? 何、実際にはとんでもない弱みを握られて、日夜変態プレイに勤しんでるとか」

「なんでその方向になるんだ。違うから」


 ぴしゃりとエーデルは否定の言葉を吐き、それからちらりとロバートの方へ視線を向ける。彼は彼女の視線に気づいた様子はなく、思わず耳を塞いでしまいたくなるほど甘く優しい言葉を投げかけている。


「……彼は、街のことを知らなさすぎる」

「別のところから来てるから、とかじゃなくて?」

「それにしては、少しおかしい気が……」


 この国では、どんな人間も持っているはずの携帯端末を、ロバートが所有していなかったことを始め、培養肉や都市農園野菜の存在、アングヒルのメインタワーのことも、彼はエーデルへ訊ねてきた。そして、「初めて聞いた」という顔をするのだ。

 アングヒルは、アルスリア国の中でも発展している工業都市だ。ここにしかないものも多い。しかし、携帯端末や培養肉、都市農園はどの都市にもある。わざわざ聞くものではない。

 そうすると、ロバートはどこからやって来たのか。


「へえ。……あんたが、ロボットやアンドロイドのこと以外を考えるなんて、意外だわ」


 テレーゼの言葉に、エーデルは思考の海に揺蕩っていた自我を慌てて引き上げた。


「ちょっと、そんな顔しないでよ。いい兆候よ。というか、今までが考えすぎだったわけだし」

「いや。いいパフォーマンスを考えれば、他のことを考えてる場合じゃなかった」


 エーデルは、コップの中に残っていたココアを全て飲み干し、傍らに置いていた杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。


「あのね、いいパフォーマンスってのは、適度に休憩を取りながらやる方がいいのよ。根詰めすぎるのは」

「平気。体を壊したことないし」

「それは、あんたの運が良かっただけって、ちょっと! 聞きなさいよ!」

「いい。仕事をして少し頭の中を整理する」


 エーデルは静かにそう言い、流し台の上へ使用済みのコップを置き、エレベーターの方へ歩いて行く。頭の中は、テレーゼに指摘されたことばかりが回っており、彼女の制止を求める声は全く耳に入っていなかった。

 エーデルは、エレベーターの床を、こつんこつんと杖の先で叩いて音を鳴らす。


(あの男に、完全に毒されてる……)


 エーデルは大きく溜息を吐き出し、扉の開いたエレベーターからゆっくりと降りていく。そして、自身の調律部屋へと歩いて行く。

 リアンもロバートも伴わずに歩くのは、一週間ぶりだ。


(そも、あんな休憩に時間を割いている場合じゃない。早く、早く色々な経験を積んで、もっと色んなアンドロイドを診れるようにならないといけないのに……)


 自己暗示、あるいは自分自身を縛り付ける呪詛のような言葉を、エーデルはひたすら頭の中で唱え続ける。


「暗い顔してどうしたの、エーデルくん」


 突然目の前から声を掛けられ、下に向いていた顔を声の聞こえた方へと向ける。

 すると、曲がり角からぬらりと。白衣姿のロディが見えた。幽霊のような動き方と現れ方に、思わずエーデルは口の中で悲鳴を上げてしまう。その反応に、ロディは小さく首を傾げ、後ろを振り返った。


「……うーん、特に幽霊の類いはいないようだけど。どうしたの、エーデルくん」

「いえ……。何でもないです。主任、お疲れ様です」

「いやぁ、君達も頑張ってくれているからねぇ。そんなに僕にも仕事はないんだよ? ……あれ、そう言えば」


 ロディはそう言って、キョロキョロと辺りを見回す。


「リアンくんと、ロバートくんは?」

「下のラウンジで休憩中です。何か用事でしたか?」

「いやあ。ここ最近、君達一緒にいることが多かったじゃない? 僕としてはいない方が違和感になっちゃったというか……。喧嘩でもしたのかな?」

「いいえ。あんな気障キザ男と喧嘩するくらいなら、その時間をアンドロイドやロボットの調律時間に充てます。その方が効率的だと思うので」

「はは、実に君らしい考え方だね。じゃあどうしてそんなに浮かない顔なのかな」


 浮かない顔、というロディの表現に、エーデルは首を小さく傾げた。


「……ははは、分からないのも君らしいね。ところで今の仕事の進捗は?」

「今日すべきことはほとんどやってますが。あとは書類作成と」

「あー、それ今週末でいいからさ。少し僕の部屋に寄って行かない? ちょっとした職員カウンセリングだと思ってさ」


 エーデルはええと、と僅かに悩んだが、特に断る理由もないと思い、にこやかに笑うロディの後ろを付いて行く。

 主任であるロディの調律部屋は、エーデルやテレーゼの調律部屋と同じ階にある。

 個人主義で動く部署であるため、上司といえども普段あまり踏み入れることはない。ただ、カウンセリングと称した一対一の定期面談の際に、ラウンジの使用が出来ない際は彼の調律部屋を使うことがある。エーデルも一度だけ、彼の部屋の中に入ったことがある。一般の調律師らの使っている部屋よりも広いのだが、書類やら本やらが散らかっており、せっかくの広さをあまり感じられない部屋だった。


「やぁやぁ、ただいま、みんな!」


 その声に、部屋の中にいた女性と老婦人が作業の手を止めた。

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