第2話 ロディの調律部屋

「お疲れ様です、マスター」

「お帰りなさい、ロディちゃん」

「うん。メグ、作業はどこまで進んでる? あと、サリーは昨日のあまりのクッキーと飲み物を運んできてくれるかな」

「あらあら、お客さんですねぇ」


 上品な老婦人の見目をしたサリーは、ニコニコと微笑みながら、部屋の奥に備え付けてある簡易給湯室へと入って行った。もう一人のメグと呼ばれた褐色肌が特徴的な少女は、そっとロディの傍に寄る。


「昨日の会議資料をプリントアウトして、指示されたファイルに全て並べ終えました」

「さっすが、仕事が早いこと。じゃ、F番棚の三段目に頼むよ」

「……すみませんが、わたくしの記録が確かならば、こういった会議資料類はEの三段目ではなかったでしょうか?」


 ぴしゃりとメグに指摘され、ロディは後ろ頭を掻きながら笑う。


「うん、やっぱり覚えることは君達の方が得意だねぇ。じゃあ、そこにしまっておいて。そのあとは好きなように行動していいから」


 ロディのその言葉に、メグの瞳孔が僅かに大きくなり、指先がびくりと動いた。

 アンドロイドにとって、『好きに行動する』という命令事項は、かなり難易度の高いものだ。それは、正解が一つではないものだからである。メグの頭の中の回路は、目まぐるしく回っていることだろう。


「……了解です。ファイルを直した後、サリーの手伝いをいたします。その後は隣室で読書をしようと思います」

「あぁ、最近『ウィリアム・フレイクの憂鬱』にはまってるんだったっけ」

「はい。三分の二ほど読みました。なかなか興味深い内容です。またおすすめの本をお願いします、マスター」

「おお……、僕が一か月かかった本なのに……。次はもっと厚いのを用意しておかないとな……」

「ふふ、では失礼いたします」


 メグは口元に笑みを浮かべて、サリーのいる給湯室の方へと向かって行った。ロディは、隅の方に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張り出し、そこに彼自身が腰を下ろした。


「ずっと立たせちゃってごめんね。僕が普段使ってる椅子で悪いけど」

「すみません、ありがとうございます」


 エーデルは小さく頭を下げて、すとんと作業机脇の椅子に腰を下ろす。


「……メグもサリーも、素敵なアンドロイドだろう?」

「はい」

「だろう! とてもオークションで売れ残った子達には見えないよねぇ」

「えぇ、そうですね」


 エーデルは、同意の言葉を口にした。ロディと同じ気持ちだったからだ。

 メグもサリーも、一年ほど前のオークションで売れ残ってしまった元放棄アンドロイドである。エーデルがリアンを引き取ったのと同じように、ロディも彼女らを研究業務のサポート役として引き取ったのだ。

 ロディは、給湯室の方へ軽く視線を向けてエーデルの方へ視線を移した。


「ほんと、今時の人達は便利を追い求めすぎだよ。少しくらいの欠落さえも許してくれない。あの子達だって、完全に機能停止しているわけじゃないのにね」

「そう、ですね」


 エーデルは、ちらちらとメグとサリーのいる給湯室へ目を向ける。ロディは彼女の行動を柔らかな視線でしばし見つめてから、「簡単に紹介しようか」と前置きをして、椅子ごとエーデルと距離を近付けた。


「メグは、前の主人からの暴力のダメージで、色覚認識部分に異常が出てね。簡単に言うと、色の認識が出来ない。互換性のあるパーツがなくて、結局そのまま出品しちゃって、売れ残り。サリーは四年前のモデルだから、内部構造も中古品の中でも特に遅れちゃってるし。それにまぁ、見れば分かると言えばあれだけど」

「まぁ、はい」


 メグとは違い、基礎能力云々以前の問題が、サリーにはある。

 彼女は、優し気な老婦人の見た目をした乳母型のアンドロイドである。幼い子どもの世話役として、上流階級者がよく購入している受注生産品だ。

 その見た目は子どもには受け入れられやすいのだが、オークションにやってくる年齢層にはどうしても受け入れられにくい。

 これはサリーのような個体に限った話ではなく、見た目が美しくない個体は売れ残りやすいという傾向があるのだ。


「ですが、主任。すぐに使うことが出来るという視点も、アンドロイドの運用の観点から見れば当然のことかと思いますが」

「うん、それも正しい意見だ。わざわざ人の雇用を削減してまで投入するんだ。それ相応、あるいは期待以上の働きを要求するのは当然だろうさ。でも期待に沿えなかった子を不法投棄したり所有権をすぐに放棄するのは、僕はちょっと違うと思うんだよね」

「はい、ロディちゃんにお客様。お飲み物とクッキー、持ってきましたよ。お客様は、ブラックコーヒーでも大丈夫かしら?」


 二人分のコーヒーカップとクッキーの入ったボウルをトレイにのせて、サリーがゆったりとした動きでやって来た。彼女の顔に出力された『柔らかな笑み』に、エーデルは「大丈夫です」と答えつつ、コップを受け取った。その間にロディは、ひょいっとクッキーを一枚口に放り込んで、コーヒーをごくりと飲み干した。


「ああもう。ロディちゃん、お行儀が悪いわよ?」

「あはは、ごめんよ待ちきれなくてさ。うん、サリーの淹れてくれたコーヒーは美味しいよ、ありがとう!」

「そう、それはよかったわ。昨日の残りのクッキーはこれで全部だから、足らなかったら菓子箱の中からまた適当に出してちょうだい」

「あぁ。あとはメグとのんびりしてて」

「えぇ、そうさせてもらうわね」


 サリーはロディの頭を優しい手つきで撫でてから、ゆったりとした足取りで別の部屋へと行ってしまった。ロディはボウルを手繰り寄せて、更にクッキーを数枚口に放り込んでから、それをエーデルへ差し出した。


「ほら、エーデルくんも、遠慮しないで。美味しいから」

「……ありがとうございます」


 エーデルは、ボウルからクッキーを一枚取り出し、ひょいと口の中に入れる。程よい甘さが口の中に広がる。美味しいクッキーだ。


「美味しいと、思います」

「うん、ありがとう。あとでまたサリーにでも言っておこう。……彼女は、どこも壊れてないだろう? 少し動きがゆったりしてるだけ。そりゃあきびきびすることを求められるファストフード店やファミリーレストランじゃあ働けないけど、彼女はまだまだ現役さ。解体されて、廃品回収業者に手渡すにはまだ惜しいと僕は思った。彼女達だけじゃない。オークションで売れ残った子達全員に、そう思ってるよ。でも、僕の給金じゃあ二人が限界だからね」


 ロディは少しだけ寂しそうに目を細め、コーヒーを口に含んだ。エーデルも同じく、コーヒーを啜った。

 ロディの考えが、世間の認識と外れた領域にあるのは、エーデルも理解している。世間一般には、アンドロイドは所詮使い捨ての道具なのだ。人間の形をしているだけの道具。そこに重みはない。

 ただ、ロディのような考えを持つ人間がいるのもまた事実なのだ。


「ん、ごめんね。君の話を聞こうと思ってたのにね」

「いえ。その、とても良いお話を聞けたと思っています」

「そう言ってもらえるなら嬉しいな。それじゃあ、どうして君が暗い顔をしていたのか、教えてもらってもいいかな?」


 エーデルはきゅっと眉間に皺を寄せる。それから何度か小さな口を開閉して、顔を下に向けたまま口を動かした。


「私は、父さんの立てた仮説を覆すために、今まで努力してきました。これまでで何体もの暴走アンドロイドを調べさせてもらいましたが、現状ではまだそれを覆すには至っていません。だから、もっともっと調べる必要があるんです。他のことに時間を割いている暇はない。でも今の私は、あの気障キザ男に構って、気が緩んでいるみたいで。……本当、自分が愚かしいです」


 エーデルは、ぎゅっとコップを強く握り、目を閉じる。

 エーデルの父。アーサー・マクスウェル。アンドロイド研究者の権威の一人で、情操領域の中でも特に疑似人格部分の研究を行なっていた。

 そして、エーデルも立ち会っていた数年前の暴走アンドロイドによる事故で命を失った、一番最初の死亡者である。


 ロディは、口元に小さく笑みを浮かべる。


「……確かに、あの天才博士の仮説を覆そうと思ったら、並大抵の努力をした程度の人じゃあ無理だろうね。君が一分一秒を暴走アンドロイドの調査研究に費やしたい気持ちは、まぁ、分からなくもない……かな」


 ロディも、アンドロイド研究者の一人である。エーデルの父、アーサー・マクスウェル博士のことはよく知っていた。彼の確立した技法によって、現在稼働しているアンドロイド達に、様々な「感情」や「性格」を付与することが出来ているからだ。

 それまでのアンドロイドは、あらかじめ設定された受け答えしか出来なかったため、どれも見た目が違うだけで中身は同じ、感情と呼べるようなものさえ持っていなかった。それを彼を含めた研究チームは、革新したのだ。

 彼は、サンプルファイルをいうものを作成し、それを人工知能に学習させ、「こういう時にはこう感じる」という多様な方程式を得た人工知能と情操領域とを結び付けた。これにより、アンドロイドをより「人間らしく」見せることが出来るようになったのだ。

 サンプルファイルというのは、ある出来事が起きた時の人間の一連の感情の動きをデータ化したものだ。

 例えば、『仲の良い友達と好きなアーティストの話で盛り上がった』、『テストでいい点を取ることが出来なかった』、『恋愛映画で感動して涙を流した』というようなデータを用意する。

 この時沸き起こる感情や引き起こされる行動を、あらかじめ用意していたそれぞれの感情のカテゴリーにグループ分けをし、それを一つのサンプルファイルとしてまとめる。これは、各人工知能によって組み換えが可能であり、この組み換えこそがアンドロイドの個体による性格差を生む。

 サンプルファイルに含まれるパーソナル・データが多ければ多いほど、より複雑な感情を持った「人間らしい」アンドロイドが制作できるという手法だ。この手法は現在では、どのアンドロイド開発会社でも使用されている。

 まさに彼は、アンドロイドに感情を与えた研究者の一人なのだ。ゆえに天才と評される。ゆえに数年前の死亡事故は痛ましいものだった。

 父の背を追う少女の心を縛るには、充分な出来事だったのだ。


「……でもね、エーデルくん。人生の大切なことって研究だけじゃないんだよ? 色んな人とお話したり、友達と遊んでみたり。時には失敗して、その失敗から学ぶことだってある。博士の背中を追うために、他のこと全てを切り捨てる必要は、僕はないんじゃないかなって思うよ」

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