第3話 人間たちの受難

「ああ、リコウ、無事だったのね」


 村の避難地に戻ると、リコウの母が涙を流しながら抱きついてきた。弟と妹も、安堵の表情を浮かべながら駆け寄ってくる。


「ああ、あそこのお姉さんが助けてくれてさ……」


 村に戻ったリコウに、トモエは一緒についてきていた。リコウが指差したその先には、きらきらと目を輝かせるトモエがいる。


「リコウくんの弟……可愛い……」


 トモエの心の声がその口から漏れ出ていたが、幸いその場にいた者たちはこの声を聞くことはなかった。


「貴方がリコウを救ってくれたの……?」


 涙で目を腫らした母が、トモエの方を向く。どうやら信じがたいといった風な表情だ。


「本当に貴女が……?」

「母さん、本当なんだよ。このお姉さんが傀儡兵をぶっ壊しまくってさぁ」

「あー……まぁ一応息子さんの言う通りなんですけど……」


 照れ臭そうに頭を掻くトモエ。それに対してリコウの母は暫く彼女の顔を見つめた後、


「ありがとうございます……息子を助けていただいて……」


 と言って深々と頭を下げた。トモエは子どもを産んだことなどないが、子を思う母親の心境を全く察せぬような人ではない。彼が死なずに戻ってきたことがこの母をどれだけ安堵させたかは、押して然るべきことである。


「お姉さん、お兄ちゃんを助けてくれてありがとう」

「ありがとうお姉ちゃん」


 弟と妹も、前に出てきてぺこりと頭を下げた。弟の円らな瞳を見たトモエは内心昂るものを感じ、一旦深呼吸をして自らの気持ちを落ち着けたのであった。


 リコウたちの住む村の名をロブ村という。北へ逃げ、北方の不毛の地に逼塞ひっそくを余儀なくされた人間たちの集落の一つである。その村落も魔族の王が支配するエン国の侵略を受けて次々と征服され、とうとうエン国の支配領域がロブ村に近づいてきた。この村は、敵の射程に収まってしまったのである。


「こんなに良くしていただいて……ありがとうございます」


 村長の家に招かれたトモエの目の前には、ずらりと料理が並べられた。トモエは村で盛大な歓待を受けていた。さながら英雄の如き扱いである。彼女がいなければリコウは死に、傀儡兵が村になだれ込んで虐殺の限りを尽くしていたかも知れないということを思えば、救世の英雄のように扱うのも無理はない。


「いえいえ、たんとお食べ」

「それでは、恩に着ます」


 ロブ村は、決して豊かな村ではない。寒冷な北地であるこの土地は食糧の生産能力が低い。いや、ロブ村のみならず、北に逃げた人間たちは、皆不安定な食糧事情の中で暮らしていかざるを得ないのである。このような御馳走を用意するのは、きっと大変であったはずなのだ。

 トモエ自身、まともに飯にありつくのは久しぶりであった。出発した時に持ってきた食糧は尽き、動物を狩ったり野草を食べて食いつないでいた。だから、この御馳走はこの上なくありがたいものであった。


 村の男たちは、先の戦いで多くが死に、また傷ついていた。エン国の侵攻に備えて武器を揃え、戦闘の訓練も行っていたロブ村であったが、いざ攻め込まれてみると、やはり敵は思ったより強力であった。


「敵はこの場所に砦を構えて、そこを拠点に兵を繰り出している」


 村の大人たちが、木製のテーブルと椅子を並べ、地図を広げて軍議を開いていた。そこにはトモエも呼び込まれていた。その席で、村長を務める中年の男が地図を指差しながら切り出した。


(大人たちの会議とか……早く切り上げて村の子どもたちを眺めてショタ成分を補給したい……)


 トモエの偽らざる感情である。だが、料理を馳走になった手前、断るようなことはできない。


「偵察は放ちましたが、四方に城壁を巡らせていました。とてもじゃないけど今の我々では……」


 防戦さえままならないロブ村にとって、打って出て敵の拠点を攻略するなど、夢のまた夢である。だが、拠点を潰さない限り、敵はまた攻撃を仕掛けてくる。古来よりの戦争の常であるが、防衛というものは、ただ攻め寄せる敵を迎撃するだけでは成り立たない。敵の軍事拠点を叩き攻撃能力を喪失させることも含めて初めて防衛が成り立つのだ。

 結局、会議は踊るされど進まずといった様相を呈したまま、いたずらに四日を空費した。

 この間、トモエは余所者が口を挟むことを良しとせず、発言を遠慮していたのであった。しかしとうとう決心がついたか、彼女は手を挙げ、そして口を開いた。


「じゃあ、あたしがそこの拠点を潰してきます」


 それが可能なのは、恐らく自分しかいない。そう思っての発言である。


「で、でも部隊を編成するとなるとこっちの守りが手薄に……」

「大丈夫、一人でできますから」


 トモエの発言に、その場の大人たち全員が目を丸くした。流石にそこまでの大言壮語を聞くことになろうとは、誰も予想していなかったからである。

 大人たちは視線を左右させながら顔を見合わせた。そして、村長がトモエに向き直った。


「余所者の貴女を止める権利は我々にはないのかも知れない。けれども、どうか自分の命だけは大事にしていただきたい。せめて敵の放った偵察部隊を潰して帰るぐらいで収めてはくれないか」

「いいえ、どの道拠点を潰さないことにはじり貧でしょう。何なら、敵の首都にも乗り込んでみせますよ」

「馬鹿な。いくら貴女がお強いとは言っても、冗談はよしてくれ」

「本気ですよ、あたしは」


 しばし、静寂が流れる。有無を言わさぬ意志が、トモエの目には灯っていた。


「……そこまで言うなら。ただ、命は大切に。貴女はまだお若いんですから」


 とうとう、村長が折れた。これ以上彼女を押しとどめるのはもう不可能である、と判断したのだ。


「大丈夫です。必ず生きて帰ってきますよ」


 そう言って、トモエは拳を握り、親指を立ててグッドのサインをした。この時彼女の頭の中にあったのは、リコウの弟の顔であった。そうだ、こんな所で死ぬわけにはいかない。生きて、彼の御尊顔をまた拝むのだ。そのためには、村を守り、自分も生き残る。この二つを同時に成し遂げなければならないのである。


 トモエは間借りしている家屋に戻って、出発のための身支度をしていた。これから敵地に赴くのだ。周到に用意しなければならない。


「トモエさん、いいですか」


 声と共に、戸が叩かれる。声の主はリコウであった。


「どうぞ」

「失礼します」


 リコウが中に入ってくる。その動きは何処かぎこちない。二人の目が合うと、リコウは頬を赤らめて視線を逸らした。


「あ、あの……オレも行きます! 役に立つか分からないけど……」


 再び、リコウはトモエと目を合わせた。年頃の少年らしい強がりな心が、彼の目からは見て取れる。

 トモエは躊躇った。自らの危険な行動に彼を巻き込むのは如何なものか、と思ったのだ。彼が死ねば、母も弟も妹も悲しむであろう。それに、あまり村から戦力を引き抜きたくない、ということもある。リコウが若いながら優秀な戦士であるのは、彼女が来る前から傀儡兵を何体も倒していたことからよく分かる。トモエがいない間に村を襲われる可能性を考えると、やはり彼は村に残しておきたい。


「うーん……やっぱりリコウくんは残ってこの村を守ってほしいな」

「やっぱりそうですか……」


 リコウはしょんぼりと肩を落とした。少し、可哀想なことを言ってしまったのかも知れない。尚、トモエにとってリコウは対象外であるが、一瞬彼のしょんぼりする様子を可愛らしいと思ってしまったのは内緒である。

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