第35話 星の金貨よりも大切なのは

(1)

 

 ダドリー達から少し離れた場所ーー、と言っても、大勢集まった民衆の列の左側前方にて、ミランダとリカルドも慰霊碑に向かって祈りを捧げていた。


 今年は儀式に参加できないシャロンとグレッチェンに代わり、彼の亡くなった友人に向けて二人は祈っていた。どこの誰かは知らないけれど、恩人が毎年儀式に参加しては祈りを捧げていたくらいだ。あの夫妻とは余程親しい間柄だったのだろう。


 やがてダドリーとアルフォンスが黙祷を終えた。それが合図とばかりに人々も胸の前で組んでいた両手を元に戻し、一斉に顔を上げる。

 慰霊の口上を事務的な口調で述べようと、民衆の方へと向き直ったダドリーの姿を、ミランダは大きな瞳で真っ直ぐに見据えた。


 銀髪の艶が幾分落ちたような気がする。頬は痩せこけ、すっかりやつれてしまっている。にも関わらず、この街を統治する権力者としての威厳と貫録に満ち溢れ、その内面を現すかのように一層美貌に磨きが掛かっていた。



 ーーあぁ、相変わらず完璧な男ねーー



 彼を睨みつける訳でもなく、何の感情も交えずに、それでいて冷たい訳でもなく。

 口上を述べ続ける彼の姿を茫洋とした眼差しでじっと見つめ続けた。




 ーーもしかして、私達のことを、彼も気付いている??--



 自意識過剰と言われてしまえばそれまでだが、冴え凍るコバルトブルーの双眸が自分達の姿をそれとなく捉えている、ような気がした。

 そう感じた途端、ミランダは急に怖気づいてしまい、すぐにでもここから逃げ出したい衝動に駆られた。

 そんな彼女の心境を察したのか、リカルドがさりげなくミランダに傍に寄り添ってくれた。



 --大丈夫、今の私にはリカルドがついていてくれるーー



 恐怖で足が竦んでしまっている筈なのに。

 自分でも信じられないことに、ミランダはダドリーへ向けて、初めて心からの笑顔を送っていた。


 まるで、罪人《つみびと》に赦しを与える聖女のごとく、慈愛に満ちた穏やかな笑顔を。



 けれど次の瞬間、自身が見せる笑顔以上に、俄かに信じ難い光景を目撃することとなった。


 口上を述べ終えたダドリーが、彼女の笑顔に応えるかのように口元を緩め、静かに微笑んだのだ。



 ほんの一瞬の出来事。ほとんどの民衆は彼の微笑みに気付いてすらいなかっただろう。

 おそらく半ば強制的だったとはいえ、一年近くダドリーの傍にずっと居続けていた自分だからこそ分かったのかもしれない。


 言葉など交わさなくとも、お互いに笑みを交わしあっただけでもう充分だ。

 彼への憎しみを始めとする負の感情は、たった今葬り去ることができたのだから。





 ミランダはリカルドの腕を掴むと、今すぐにこの場から離れよう、と目線で訴えかけた。

 リカルドは、まだ儀式は終ってないのに??と言いたげな目線を返したものの、しょうがないなぁ、と、眉尻を下げて笑った。


 そして、二人は迷惑そうに顔を顰める人々に頭を下げながら、人だかりの中をそっと抜け出した。





(2)


「ミラ、これで気が済んだかい」


 クリスタルパレス跡地から離れ、城壁のように高くそびえる鉄柵の門、向こう側には白い石畳の階段が続き、十字架が掲げられた黒い屋根の建物ーー、かつてミランダがよく訪れていた教会の前まで辿り着くと、リカルドがぽつりとミランダに尋ねた。


 ミランダは質問に答えようとせず、憮然とした表情で顔をおもむろに俯かせる。しまった、余計なことを口走ったかな……、と、困惑しながらリカルドはミランダの顔を恐る恐る覗き込む。


 リカルドと目が合った瞬間、ミランダはバッと勢い良く顔を上げた――、かと思うと、いきなり「あー!スッキリした!!」と、異様に明るく元気な声で叫ぶ。


「これであの男のことなんか、きれいさっぱり忘れられるわ!あー、せいせいした!!」

「…………」


 合わせた両手を頭上に掲げ、大きく背伸びをし出すミランダにリカルドはただただ唖然するしかない。


「何??」

「……いや、何ていうか……、その……」

「何よ、はっきり言いなさいよ」


 琥珀色の猫目に軽く睨みつけられ、うーん……、とますますリカルドは口籠りながら続ける。


「……上手く言えないんだけど……、ミラは本当に強くなったなぁ……って、思ってさ」

「ま、子供の頃から気が強すぎるってよく言われてきたけどね」

「いや、そうじゃなくてさ……。芯が強くなったと思うんだ。アルコール依存も克服しつつあるし、『彼』への負の感情もすっぱり断ち切った。中々どうして、容易くできることじゃないよね」

「別に……、私は強い人間なんかじゃないわ。……本当に強かったらお酒なんかに溺れたりしないもの……。それでも、私が強いって言うなら……、それはね……。何があっても、ずっと傍にいて支えてくれる貴方やスターのお蔭に他ならないわ」


 先程とは打って変わり、ミランダは真摯な眼差しを送る。

 十九年経った今でさえ、澄み切った深いグリーンの瞳はミランダにとって世界で一番美しい宝石と言っても過言ではない。


「チビで痩せぎすだし目付きはきついし、人の三倍くらい気は強いし口も性格も悪い。おまけに石女《うまずめ》の元娼婦っていう、ろくでもない女だけど。それでも、これからもずっと……、私と一緒にいてくれる??」


 ミランダの言葉に対し、何故かリカルドはきょとんと間の抜けた表情を浮かべているのみ。

 やけに反応が鈍すぎるリカルドに思わずムッとなり、文句を言いそうになる寸前、「……ミラ、それはどちらかと言えば、男の僕が言う台詞だよね??しかも、ここは礼拝堂じゃなくて教会の外だしね……」と、何とも言えない微妙な顔で笑われてしまった。


「……あ……、そっか……」

「そういうことで、中に入ってもう一回やり直し」

「はぁ?!嫌よ!中に人がいたら恥ずかしいじゃない。若い子ならともかく、いい歳して何やってるんだって笑われるし!」

「でも、僕はまだ何も返事をしてないよ??」

「う……。じゃ、じゃあ、ここで今すぐ返事してよ!中は絶対嫌なんだからね!!」


 顔を真っ赤にさせ、ぜぇぜぇと息を切らしてまで反対するミランダを、はいはい、分かったよ、と宥めると、リカルドは二人が初めて出会った時と全く同じ笑顔で、答える。

 彼の答えを聞いたミランダは、花の蕾が開く瞬間を思わせるような、柔らかい微笑みを浮かべてみせた。




 神様は星を金貨に変えてくれなかったし、試練ばかりを私達の元へと降り落としてきた。

 

 それでも、私達を出会わせてくれたことに感謝しています。


 星の金貨なんていりません。


 彼やスター、周りの大切な人達の笑顔さえあれば、私は他に何もいらないのです。

 



「リカルド、やっぱり教会に入ろう。礼拝堂で神様に祈りを捧げたいの。『私の大切な人達がいつまでも幸せでありますように』って」


 リカルドは静かに頷き、了承の意を示す。

 二人は鉄柵の門を潜り抜け、教会の中へと消えて行ったのだった。



(了)

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星の金貨 青月クロエ @seigetsu_chloe

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