第5話

「ただいま。待たせて悪かったわね」


「別に。……悠は?」


「置いてきたわ。さっき綾人がエレベーターを無人で最上階に向かわせていたから、多分少し遅くなると思う」


 燐と綾人を待っていた二人のうち、最初に口を開いたのは、細身で背の高い男。血の気を感じさせないほど白い肌は、誰が見ても「不健康だ」と言うだろう。


 彼の名は真滅。


 悠の幼なじみであり、今はすっかり保護者のような立ち位置に収まっている。長い黒髪がさらりと動いて、同じ色の瞳が二人をじっと見つめた。


「そうか。また迷惑をかけたみたいで済まないな」


「いつものことでしょう。もう慣れたわよ」


「まあな、どうってことねえよ」


 二人が椅子を引いて腰掛けると、今度は桜色にも見える茶髪のおかっぱ頭が揺れる。美少女といっても通用しそうな顔立ちの彼は、「作戦は成功って感じ?」と小首を傾げた。


「ああ、そうだな。そのうちどの局の番組も燐の顔ばっかり映し始めるぜ」


「へえ。じゃああれは燐がやったんだ?」


 蜂蜜色の大きな瞳が燐を捉え、蕩けそうに笑う。燐は「まあね」と少し微笑み返した。


「大丈夫だった? あの作戦で」


「零が立てる作戦なんて、失敗することの方が少ないじゃない。……にしても、よく考えるわね。花瓶に生けられた花の中に、私のスキルで作り出したものを混ぜておくなんて」


 零は「ありがと」と屈託のない笑みを向ける。


「まあ、燐のスキル頼みではあったけどね。植物を生み出して操る能力の汎用性がこんなに高いなんて、思ってもみなかった」


「使い熟せるように訓練してくれた真滅のおかげでね。真滅は先生に向いてるわ」


「大きさとか色、茎の硬さだったりも思い通りに出来るようになったのは大きかったね。切り花だったら、どんなふうに切られてるかまでコントロールできるし」


「苦労したわ……。まあ、刺の取れてる薔薇を生み出す練習が一番大変だったけれど」


 燐は掌を上に向け、くすりと笑う。生み出された赤い薔薇の茎には、確かに刺がついていなかった。


「プレゼントにはぴったりだね。実戦で使う機会はなさそうだけど」


「ふふ、違いないわね。これができるようになったおかげでその他のコントロールは簡単になったけれど、これ単体に利はないかしら」


 彼女がそう言い終わると同時に、薔薇は赤い粒子となって消える。


「刺って小さい上にたくさんあるもんね。確かに大変そう。体力の消耗具合はどうなの?」


「大したことないわ。すぐに消してるし、この大きさと本数じゃあね」


「ちなみにそのサイズだったらどれくらいまで出せる感じ? 操ったりできる範囲内で」


「十本までは余裕だったわ。それ以上はやったことがないから分からないけれど……やってみましょうか」


「うん、お願い」


 それを聞いた途端、その横で真滅と何かを話していた綾人が、「げっ」と声を上げた。


「この部屋でやんのかよ」


「大丈夫よ。消そうと思えばすぐに消せるんだし、この大きさの薔薇の花じゃ、たいして部屋も散らからないでしょう」


「実のところ、明日の作戦のペア、まだ決めあぐねててさ。燐のスキルがどれくらいまで運用できるかによって、綾人と組ませるか真滅と組ませるかを変えようと思ってるんだ」


 綾人は「そういうことなら」と渋々了承の返事をした。それからスキルで部屋の壁に沿わせるような立体を作り上げる。


「こんなもんだろ。これで調度だったりにゃ傷一つつかねえぜ」


「大丈夫なの? 綾人。船でもあんなに大きいのを作ってたんだから、体力の消耗が激しいんじゃない?」


「これくらいどうってことねえよ。船のやつぁ確かに大きかったがただ壁にぴったり合わせるだけの単純な形だったし、こういう調度を意識した複雑な形は、時間こそかかってもそこまで疲れるこたぁねえ」


「そういうものなのね」


「まあ、お前みてえな甘ちゃんとは鍛え方が違うっつうことだな」


 綾人はからからと楽しげに笑ったが、燐の不満げな顔と眼前でうねうねと動く太い蔦に、「冗談だって」とすぐに前言を撤回した。


「それならいいけど。で、薔薇の本数よね。ええと、」


「ちょっと待って燐、その蔦は? どんな感じに使えるの?」


「これ? これはこうやって……人を締め上げたり、物を持ち上げたりできるわ。自分や他人の足場にするのも平気よ」


 燐は説明をしながら蔦を自分の首や腕に這わせる。自由自在、といわんばかりに自然な動作で彼女はそれを動かした。


「サイズはどんな感じ?」


「ええと……太さだと、これくらいなら問題なく」


 彼女の手のすぐ近くの空間から、成人男性の胴ほどはありそうな蔦が現れる。


「それもさっきみたいに動かせる?」


「ええ。それだけじゃなくて、アスファルトなんかの地面から生やすことも出来るわ」


「……薔薇が一番使いやすいって話だったけど、それは大丈夫?」


「真滅が『こっちの方が汎用性が高いだろうから』って鍛えてくれたから、同じくらいに使えるわよ」


「そっか……うん、なるほど」


 零は「ふむふむ」と何かを考えるようなそぶりを見せ、それから言った。


「それじゃあ燐は、真滅とペアにしようか。あっちが武力行使に出た時は、敵の殲滅を最優先に。綾人は悠の護衛ね」


 零は机の上にあったノートに手を伸ばすが、それが半透明な膜に覆われていることに気がついて綾人に目をやった。


「綾人、もう大丈夫だよ」


 その言葉に声をあげたのは、綾人ではなく燐だった。彼女は「ええと」と首を傾げる。


「薔薇の本数はいいの? そこまで疲れてはいないから、気を使わなくていいのよ」


「ああ、もういいんだ。戦力に問題がなさそうってことがわかったからね」


「そう。それなら」


 燐の蔦が緑の粒子となって消える。綾人は「とんだ骨折り損だったぜ」と欠伸をしながらスキルを解除した。それと同時に扉が開く。


「ああ! もう、やぁっと開いた!」


 入ってきたのは悠だ。


 彼は「なかなかエレベーターが降りてこないから焦ったよお! 部屋に着いたら着いたで扉がびくともしないし……もう僕みんなに嫌われちゃったのかと!」と大袈裟に騒ぎ立てながら椅子につく。


「嫌われていることは否定しない。ところで悠、また燐と綾人に迷惑をかけたらしいな」


 真滅がぎろりと悠を睨むようにして言う。


「えっ……そこは否定して欲しかったな……」


「知っているだろうが、俺の最も苦手なタイプは勝手に自虐して否定されるのを待っている面倒くさい奴だ」


「へぅっ」


「変な悲鳴をあげるな。全く……」


「はい出来た!」


 二人の会話を遮ったのは、綾人がスキルを解除してからずっとノートにペンを走らせていた零だった。


「それじゃあ明日の作戦を確認するよ。この間のとは少し変わってるところがあるけど、これが決定版だからよろしくね」


 彼は涙目になっている悠を気にすることもなく、作戦の説明を進めていく。


「____とまあ、こんな感じ! 何か質問は?」


 全員が首を横に振る。


「それじゃあ解散でいいわね? 私、もう部屋に戻るわ」


 燐が席を立つと、悠は「それじゃ僕も燐ちゃんの部屋に!」とすかさず付いていこうとする。真滅は悠の腕を掴んでそれを止めた。


「俺は悠に晩飯を食わせてから帰ろう。おい悠、こっちへ来い。そんなに食が細いと倒れられそうで心配だ」


「えぇ。僕、お腹空いてないんだけど……」


 燐はそれには目もくれずに「それじゃ」と部屋を出ていく。


「あ、おい燐、俺らも晩飯まだだろ。一緒に行こうぜ」


 綾人は部屋を少し出て燐を連れ戻す。彼女はといえば、どこか迷惑そうな顔をしていた。


「お前たちもまだだったのか。零は?」


「ぼくはいいや。今ダイエット中なんだよね」


 零は「ふう」とため息をつく。


「それならサラダを作ろうか。それと、身体を冷やすのは良くないから温かいスープも」


「いいの? 真滅だぁいすき」


「はは、そうか」


 零が「わぁい」と抱きつくと、真滅は照れたように笑う。腕を掴まれた悠は、不満げに言った。


「ねえ僕お腹空いてない……」


「今日の晩飯はミートローフだ。明日も食べようと思って多めに作ったから、燐と綾人も食べるといい」


 真滅は悠を無視し、彼を連れて厨房へと足を向けた。


「配膳、俺らも手伝うぜ」


「ぼくも!」


「俺らって……私、別に今日の夜は、」


 綾人に半ば無理やり連れて行かれながら、燐はぼやいた。


「ありがとう。燐は……零と同じでダイエット中か? 女は大変だな……」


「ぼくは女の子じゃないけどね?」


「違うわよ。あんまり食欲がないの」


 燐は「悪いけど」と綾人の手を振り払おうとする。しかし、真滅がそれを止めるように言った。


「それじゃあ軽めにしてやろう。何も食べないというのは体に良くないぞ」


「……分かったわ。そこまで言ってくれるなら、お言葉に甘えて」


「ああ。そうしてくれ」


 わちゃわちゃと廊下を歩いていくその姿は、よくいる十代の少年少女となんら変わらない。


 国に対して反乱を起こした組織の首魁と幹部が集まっているとは思えない、和やかな雰囲気が彼らの周囲を満たしていた。

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