第20話 エロじじい

 結果的に鎌をもったお爺さんは命の恩人だった。お爺さんはキャンプ場の管理人さんらしく、山菜採りをしていたところ俺たちの背後に忍び寄るクマの存在に気がつき、慌てて追い払いに来てくれたらしい。


 お爺さん曰く、熊はこちらが恐れずに威嚇すると大抵逃げていくらしいが、少なくとも俺にはそれを実践できる勇気はなかった。


 何はともあれ難を逃れた俺と先生はお爺さんの案内のもと、三〇分ほど歩いてキャンプ場へとたどり着いた。やはり、夏休みということもあり多くの家族連れでにぎわっている。


「空気が美味しいね」


「美味しいっすね」


「鹿、可愛いね」


「可愛いっすね」


 先生はそう言って遠くで草をむしゃむしゃと食べるシカを眺める。


 とりあえず生きてたどり着けて良かった。が、全く先生から詳細な情報を聞いていなかった俺には、これから取るべき行動がわからない。俺がきょろきょろしていると、命の恩人お爺さんが俺たちのもとへと歩いてくる。


「あんたが弥生さまのお友達だったんじゃな……」


 と、お爺さんはニコニコしながら俺と先生の顔を交互に見やった。


 弥生さま? なんだ、その間抜けな呼び方は……。


 と、そこで先生は不意に何かに気がついたように、ハッとした顔をする。


「あれ? もしかして、中谷のおじちゃんですか?」


 先生がそう尋ねるとお爺さんはしばらく不思議そうに先生を見つめて、これまた不意に何かに気がついたように目を見開く。


「もしかして、あんたさくらちゃんか?」


 どうやら、先生とこのお爺さんは知り合いだったようだ。先生は嬉しそうに「わぁ……おじちゃん、久しぶりだね」とお爺さんに歩み寄る。


「はあ、まさかさくらちゃんが、こんなべっぴんさんになっとるとは思わんかったな」


「お知り合いなんですか?」


 俺が尋ねると先生はコクリと頷く。


「おじちゃんはね、弥生の家の執事さんをやっていた方なんだよ。わぁ……懐かしいなあ……」


 先生はそう言ってお爺さんにぎゅっとハグをした。どうやら、先生はこのお爺さんから幼い頃、相当可愛がってもらったようだ。俺がそんな姿を眺めていると、お爺さんは「おうおう……懐かしいのう……」と言いつつ、さりげなく先生の尻に触れるとニヤニヤと笑みを浮かべる。


 おい、ただのエロ親父じゃねえかよ……。


 二人の久々の再開をしばらく冷めた目で眺めていると、先生はお爺さんから体を放した。


「ねえ、おじちゃん、私たちのテントはどこなの?」


「ああ、それなら今から案内するよ」


 と、俺たちはエロ親父、いや、弥生さまの元執事の老紳士についていく。



※ ※ ※



 な、なんじゃこりゃ……。


 多くのテントが張り巡らされた一般客用のテントエリアを抜けて一〇分ほど、歩いたところでエロ親父は足を止めた。


「ここが廣神家の人間専用のキャンプスペースじゃ。弥生さまから使用の許可は貰っているから、自由に使いなさい」


 そこに鎮座していたのは、少なくとも俺のアパートの倍はありそうな、もはやテントと呼んでいいのかすら不安になるほどの巨大なテントだった。エロは入り口部分に取り付けられた南京錠を開けると、ファスナーを下ろした。入り口からは何やら巨大なリビングルームが見える。


「わぁ……懐かしいなあ……前に弥生に連れてきてもらったのは中学のころだから、もう一〇年ぶりだな……」


 先生は目を輝かせて、テントへと入っていく。


「じゃあ、夕方になったら、食材を持って来るからそれまで好きに過ごしなさい」


 そう言ってエロは俺たちに片手をあげてどこかへと歩いていった。


 テントを見やると、中から先生が「入らないの?」と、手招きをするので、俺もお邪魔することにした。靴を脱いでテントに入ると、そこに広がっていたのは、比喩でもなんでもなく高級ホテルだった。


 一般的なテントとは違い天井も高く、一〇畳ほどはありそうな巨大なリビングには絨毯が敷かれており、ソファとテーブルが設置されている。先生はテント側面に設けられたビニール製の窓から外を眺めて目を輝かせている。


「わぁ……きれい……」


 と、先生が言うので、俺も窓の外を見やる。


 なるほど……絶景だ。窓の外はちょうど谷になっており、澄み切った小川とその先にうっそうと茂る木々が一望できた。きっと秋に来れば紅葉も拝めるに違いない。その証拠に、リビングには石油ストーブも設置されていた。


 しばらく、俺と先生はその絶景に目を奪われていたが、先生は不意に室内へと視線を戻すと、リビングの奥へと続くファスナーを下ろした。


 そして、


「わぁ……近本くん、こっちもすごいよっ!!」


 と、また手招きをするので、そちらへと歩いていく。


 どうやらリビングの奥はベッドルームになっているようで、テントの中だというのに、ホテルのような高級ベッドが二つ並べられていた。先生はその豪華絢爛な寝室に感動したようで、ベッドへと歩み寄るとそのままバタンとベッドの上にあおむけに倒れた。


 俺も彼女のベッドに腰を下ろす。


「ふかふかだね……」


「ふかふかですね……」


「幸せだね……」


「幸せですね……」


 俺も先生の隣にバタンと仰向けになる。すると、そのはずみで俺の手と、先生の手が触れた。


「す、すみません……」


 俺が、すっと手を引くと、先生はこちらに顔を向ける。


「どうして謝るの?」


「いや、そりゃ手が触れちゃったわけですし……」


 そんな俺の顔を先生はしばらく見つめてクスクスと笑う。


「手が触れたぐらいで謝らなくてもいいのに。ほらっ」


 そう言って先生は俺に手を差し伸べるので、俺は少し顔が火照るのを感じながらも先生に手を伸ばした。すると、先生の暖かい手が俺の手を包むこむように触れる。


「こっちの方が安心できるよね」


 と、先生はにっこりと微笑んだ。


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