第19話 暇疲れ

 先生が、棚ぼたのように夏休みを手に入れ、俺と先生は誰にも咎められることなく、部屋でごろごろする権利を手に入れた。俺たちはさっそくその権利を行使すべく、部屋でごろごろしていたのだが、さすがに三日も経つと、ごろごろするのに飽きてくる。どちらかというと、何もしないことは得意だと思っていたはずの俺も、ついには部屋で筋トレを始めるレベルの行動力を手に入れることになった。


 それでも筋トレなどせいぜい一時間ほどしか続かず、俺は先生にぷにょぷにょの再戦を申し込んでみたのだが、先生は「やだよぉ……だって、ゲームをやってるときの近本くん意地悪なんだもん……」と、取り合ってくれなかった。どうやら、例のぷにょぷにょ事件は先生の心にかなりのトラウマを植え付けてしまったようだ。


 が、そんな先生もごろごろにはそろそろ飽きてきたようで、果てには腹筋をする俺の袖を引っ張って「近本くん、ごろごろ飽きたよぅ……」と弱音を吐きはじめる始末だ。


「ねぇねぇ、近本くん、二人で楽しいことしようよ?」


 しばらくベッドの上でごろごろ左右に転がっていた先生が、泣きつくように尋ねる。


「その語弊のある言い方やめてくれませんか?」


「語弊? 何の話?」


 と、先生は自分がさりげなくとんでもなく勘違いを生む発言をしていることにも気づかず、そんなことを言う。ああ、さすがに退屈過ぎて末期症状が出ているなと、俺が危機感を抱いていると、先生はベッドから上体だけをはみ出すと、ベッドの縁に座る俺の顔を覗き込む。


「ねえ、せっかくだし、二人でお出かけしようよ」


「お出かけって、そんなお金どこにあるんですか?」


 至極真っ当な質問を返すと、先生はにっこりと微笑む。その自信がいったいどこからやってくるのかは俺には想像もできない。


「先生ね、ほとんどお金のかからないお出かけ知ってるよ?」


「ほう、じゃあご教授いただきたいところですな」


 そう言うと先生は、私に任せとけと言わんばかりにポンポンと胸を叩いた。



※ ※ ※



 それから二時間後、俺と先生は大きなリュックを背負い家の前に立っていた。そして、アパートの前には見覚えのあるオープンカーが横付けされている。


 オープンカーの運転席から降り立った、サングラス姿の女は俺たちを見ると大きく手をあげる。


「おう、久しぶりだな。巧」


 そう言って弥生さんは俺をギュッとハグをする。弥生さんの胸に顔が押し付けられて息ができない。


「弥生、久しぶりだね~。急に呼び出してごめんね」


 と、手を振る先生。


 どうでもいいけど、別に久しぶりではない気がするんだけど……。


 というわけで、何故か弥生さんが俺の家にやってきた。が、俺には先生がいったい何を始めようとしているのか、わからなかった。とにかく先生に言われるがままにリュックに着替えを詰めて家を出てきたのだ。


「さあ、お前たち、乗れ」


 そう言って弥生さんは俺たちにオープンカーへの乗車を促した。どうやら、俺たちはこれから車でどこかへと向かうようだ。俺は先生の車酔いが気になりつつも、車に乗り込む。するとけたたましいエンジン音とともに車は発進する。


「先生、いったい俺たちはどこに向かっているんですか?」


「それを今、話すと面白くないでしょ?」


 と、先生は珍しく、俺を試すような目で見てくる。


 なんだか嫌な予感がしないでもなかったが、もう車に乗ってしまった以上、避ける道はない。


 結局、俺たちはそのまま三〇分近く、弥生さんの暴走カーに揺られることになった。そして、ようやく暴走カーが停車したとき、俺たちは何故か山道のど真ん中にいた。


「おらぁ、お前たち着いたぞ。さっさと車を降りやがれ」


 と、弥生さんからの恫喝を受けて、俺たちは車から降ろされることとなった。


 そして、先生は……。


「はわわぁ……近本くん、ちょっと肩、借りてもいいかな……」


 と、そのころにはすっかり車酔いをしており先生を担ぎながら車を降りる。


 どうでもいいが、本当にここはどこなんだっ!?


「ここから先は車が通れないからな、後はお前らでなんとかしろ」


 と、弥生さんが言うと先生はかろうじて顔をあげる。


「えぇ~弥生は一緒に行かないの?」


「ふざけんな。どうして私のような乙女が、山登りなんてしなきゃいけないんだっ。それに私はこれから婚活パーティが控えているんだ。行くならお前ら二人で行け」


 と、そこで俺はこれから登山をしなければならないという事実を知った。まあ、山道を走っている時点で、なんとなく予想はしていたが……。


 弥生さんは俺の顔を覗き込むと「はぁ……お前がもう少し大人で、年収一億円以上あれば付き合っているのになぁ……」と、勝手なことを言うと車に乗り込んだ。そして、狭い山道を何度も切り返して、方向転換をする。


「ああ、そうそうキャンプ場には既にすべての準備はさせているから、お前らは何も心配しなくてもいいからな」


「ありがとう弥生」


 そう言って先生がわずかに手をあげると、弥生さんは本当に車を発進させて山を下って行った。


 そして、俺は車酔いで使い物にならない先生を押し付けられて山に取り残された……。


「ちょ、ちょっと先生、大丈夫ですか?」


 先生の背中をさすってやると、先生は「おぇ……大丈夫だよ……」と全然大丈夫じゃない声で返事をした。


 何をするにもまず、彼女が回復させなければならない。俺はリュックから敷物を取り出すと、道に敷いて彼女を座らせた。先生はぺたんとそこにへたりこむと、リュックから水筒を取り出してお茶を一杯飲みほした。


 どうでもいいけど、スカートが捲れ上がって中の布が丸見えだが、先生にはそれを気にする余裕はないらしく、直そうとしないので先生のスカートの裾を掴んでそっと直してやる。


「ごめんね……先生、こんなんで……」


「いや、もう先生の車酔いは想定内なので……。そんなことよりも、これからどうするつもりなんですか? なんかキャンプ場がどうとか言ってましたけど」


「実はね……おぇ……廣神家が経営しているキャンプ場がこの山の頂上にあるんだ……おぇ……。家族や知り合いだと宿泊費もほとんどかからないし、せっかくだから……おぇ……」


「ああ、もういいです。だいたい分かったんで、とりあえず、休んでください……」


 俺もまた、敷物に腰を下ろすと一休みすることにした。


 それにしても木、木、木……。あたりには木以外のものが何も見えない。


 こんなうっそうと木の生い茂る山道の先にキャンプ場があるなんて、にわかに信じられなかった。俺はリュックを開けると、さっき先生が入れてくれたお茶をカップに入れる。すると、先生は俺の肩に体をもたげてくるので、彼女の背中をまた摩ってやる。そして、しばらく摩っていると先生は寝息を立て始めた。なんだかその姿が幼い子供みたいで可愛かった。


 どうでもいいけど、この山の中で眠れる先生の精神力に驚かされる。


 あたりからは名前も知らないような鳥のさえずりと、どこかで流れている川のせせらぎが聞こえてくる。前途は多難だが、人工物しかない新興住宅街で生活する俺にとっては、なかなか新鮮で気持ちがいいのは確かだ。


 よく見ると、木の枝から名前の知らない小鳥が首を傾けながらこちらを眺めていて可愛い。


 とりあえず二〇分ぐらい寝かせれば、先生も回復するだろう……。そんなことを考えながらすやすや眠る先生を眺めていると、不意にガサっと茂みから物音が聞こえる。


 ん? 狸かなんかか?


 俺は茂み目をやる。が、生い茂る草木の背が高いため、その姿を確認できない。


 が、特にそれ以上、俺は気に留めることなく再び先生の寝顔を眺めていると、再びガサガサと音が聞こえてくる。しかも、今度はさっきよりも近くで音が聞こえた。


 た、狸だよな……ってか、狸であってくれ……。


 が、狸にしては音が大きいことに俺はうっすらと気がついていた。


 あれ? これって、少しヤバくないか……。


 そこでようやく危機感を抱いた俺は、先生の肩をトントンと叩く。が、先生は「もう……近本くんったら、ここは教室だよ?」と、わけのわからない寝言を口にするだけだ。そうこうしている間にも、ガサゴソという音はどんどんと近くなってくる。


「ちょ、ちょっと先生っ!! ヤバいですよっ!!」


 と、俺は先生の身体を力いっぱい揺すると、先生はようやく「ど、どうしたのっ? ってか、どうして私たち、こんなところにっ!?」と目を覚ました。


「先生、やばいかもです……」


 そう言って茂みを指さすと、先生もようやく事態に気がついて、俺の腕にしがみついた。


「ち、近本くん、何の音かな?」


「し、知らないですよ。で、でも、やばいです……」


 そう言って身構えたその時だった。


「どりゃああああああああああっ!!」


 突然、けたたましい怒号が山に響き渡る。その直後、茂みから鎌を持ったお爺さんが飛び出してきた。


「「ぎゃあああああああっ!!」」


 俺と先生は同時に悲鳴を上げて、抱き合う。そのとき、俺は初めて人間の恐怖が極限までいくと逃げるなんてことができないことを知った。とにかく、俺は先生を抱きしめておっさんに背中を向けると、大きく目を瞑る。


 終わった。確実に俺の人生は終わった。


 絶望感に押しつぶされながら先生を抱きしめて、固まっていた俺だったが……。


 ん?


 いつまで経っても、俺は鎌で切られる気配はない。


 すると、


「もう安心じゃ。これ、お前たちいつまで震えているんじゃ……」


 と、お爺さんのものらしきこれが聞こえたので、俺は恐る恐る先生から体を放して後ろを振り返る。すると、俺たちを不思議そうに眺めるお爺さんがそこには立っていた。


 え? これ、どういう状況?


 俺が首を傾げていると、お爺さんは鎌で山道の上部を鎌で指した。そちらを見やって俺は「なっ……」と、絶句する。そこには体長二メートル近くはありそうな熊がどこかへと逃げていく姿が見えた。


どうやらこのお爺さんは俺たちを熊から救ってくれた命の恩人らしい……。

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