第11話『昼宮のサイテイ』


 ○ ○ ○


「――あー、楽しかった! めっちゃ遊んじゃったね、昼宮くん!」


「そうだね、朝木さん」


 黄昏時。

 街並みを赤く染める春の夕日。

 なんてことない駅前の繁華街を、異界じみた異様な世界へと変えていく。


 もちろん、そんなのはただの錯覚だ。

 一日遊び倒したことによる高揚感と疲労感が、童話じみた思い込みをわたしに与えているだけだ。


 ほんの気まぐれで乗ったデートの誘いは、思っていたよりもずっと楽しかった。

 今まではちょっと挙動不審気味だった昼宮くんも、今日は何故かすごく落ち着いていて、どこかミステリアスな魅力さえ感じてしまったほどだ。


 デートコースは、お昼前に駅前に集合。

 スタバで軽くお昼を食べた後、映画館で伊車くんの主演作を見て――正直内容はいまいちだった――駅ビルで適当にウィンドウショッピング。

 歩き疲れたら、夕食の時間までフードコートでだべり……というありきたりなもの。


 それでも、初めての昼宮くんとのデートは、わたしに新たな刺激をもたらしてくれた。

 ドキドキして、ちょっと不安で、でもそれがかえって気持ちいい、という不思議な気持ち。


 ごめんね、やよいちゃん。

 あなたの大好きな昼宮くんとデートなんかしちゃって。

 でも、キスもしてないし、もちろん手もつないでないから許してほしいな。


(……盗んだ果物が一番美味しい、みたいな?)

  

 あはは、いやだな。これじゃわたし、すごく嫌な子みたい。

 確かに好きでもないのに告白したのは悪いことだけど、昼宮くんだってその気になってくれたみたいだし、わたしも昼宮くんのことが気になってきたし、これで帳尻は合ってるよね。

 

 やよいちゃんには気の毒だけど、本人だって告白しなかったのが悪いって言ってたし、きっともう諦めてくれてるはず。

 この一週間、やよいちゃんずっと落ち込んでたし、昼宮くんとも話してなかったし。

 

 ていうか、別にわたしやよいちゃんに嫌がらせされる謂れなんてないはずでしょ?

 嘘の告白したのがバレてるならまだしも、やよいちゃんがそんなこと知ってるわけないし。

 客観的に見れば、わたしはただ昼宮くんに告白して、付き合っただけ。

 それでああだこうだ言われるなんておかしいよ。そうだよね。


「……あと十分くらいか」


「ん、何が?」


「バスが来るの」


 この駅はわたしの最寄り駅だから、バスに乗って帰るのは昼宮くんの方だ。

 いつもは見送られるわたしが、こうして誰かを見送るのは、なんだか新鮮な感じがする。

 昼宮くんは時刻表と、ロータリーの真ん中に立つ時計を見て、静かに息を吐いた。


 いきなり、周囲の雑踏が、壁を隔てたように遠くなった。

 何か、これから昼宮くんは大切なことを言うのだろう。

 わたしの勘がそう言っている。

 

 昼宮くんは、どこか遠くの空を見つめていた。

 わたしはどきりとした。

 隣に立っているこの男の子が、いきなり五歳くらい年上に見えたから。


「……朝木さん」


「な、何?」


「俺に告白したの、嘘なんでしょ?」


 わたしは心臓を殴りつけられたような衝撃に襲われた。

 なんで? なんで昼宮くんが知ってるの?


「あ、あのね、昼宮くん」


「いいよ、別に。大体俺もどうかしてたよ。朝木さんみたいな子に告られて、本気にするなんてさ。普通に考えれば、罰ゲームの類だって分かりそうなもんなのに」


 わたしを無視して、昼宮くんは淡々と続けた。

 

「いい夢見せてくれてありがとう。心底嬉しかったよ。自分のことを好きでいてくれる子がいるってだけで、こんなに人生楽しくなるんだなって」


「昼宮くん!」


 わたしはとうとう大声を出した。

 周りの人たちがこちらを振り向いたけど、知ったことじゃない。

 歯の根が合わない。呼吸が荒い。

 どういうこと? なんでいきなり昼宮くんが、わたしを振るみたいな感じになってるの?

 普通逆でしょ? ていうか、なんで?

 

「違うの、わたし本当に昼宮くんのこと好きなの! 嘘で告白するなんて、そんな最低なことしないよ! 人の心を弄ぶなんて絶対やっちゃいけないことだもん!」


「…………」


「分かった、やよいちゃんでしょ? やよいちゃんに何か言われたんでしょ? だからわたしと別れるなんて言い出したんだ! そうだよね?」


 髪を振り乱し、わたしは必死に昼宮くんにすがりついた。

 こんなの耐えられない。

 今まで出会ってきた男の子は、ちょっと誘うだけですぐにわたしに夢中になった。


 男の子は、皆わたしのことが好きなんだ。

 わたしはいつでも選ぶ方の人間なんだって、そう思ってた。

 なのに、どうしてわたしが振られなくちゃいけないの?


 それも、ちょっとその気になってきたときに。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。そんなの許せない。

 こんな地味な男に、このわたしが振られるなんて――!!


「知ってる昼宮くん? やよいちゃんってひどいんだよ! この間トイレに行ったら、ずーっと友達とわたしの陰口叩いてたの! それも根も葉もない真っ赤な嘘! わたしがヤ○マンとか、経験人数二桁言ってるとかって! ひどくない!?」


「――やよいがそんなことするわけないだろ。いい加減にしろよ」


「ひっ……!」


 鋭い目つきで睨みつけられ、わたしは思わず悲鳴を上げた。

 昼宮くんは、わたしの手をゆっくりとジャケットから外し、低い声で言った。


「確かに人の心を弄ぶ奴は最低だ。本当にろくでなしだ。地獄に落ちればいいと思う。でも他にも最低な奴がいる。

 人の心を知ろうともせず傷つける奴。

 人の心を思い通りにしようとする奴。

 なんでこんなことするんだろうな。テレビとかでも散々やってるだろ、誰々が不倫しただの浮気しただのってさ。

 本当に自分勝手だ。自分のことしか考えてない。自分さえ良ければそれでいいって思ってる」


 目と鼻の先にいる昼宮くんが、遠い。

 また昼宮くんは、どこか遠くを見つめている。

 ――ああ、そうか。

 これはそういう目だったんだ。

 昼宮くんは、もうわたしなんか見ていなかったんだ。

 優越感に酔って、一人で舞い上がってただけだったんだ。


「でも、間違ったことをするのはしょうがないと思う。間違えずにいられる奴なんていないから。

 もちろん、なるべく間違えないようにしないといけないし、間違えたらすぐに正さないとダメだけど。

 ……長々語っちゃったけどさ。要するに、俺は間違いを認められない人とは付き合えないって話」


「あ……」


 言うだけ言って、昼宮くんはちょうどやって来たバスに乗り込んだ。

 わたしはもう、追いかける気力もなくして、ただそれを見送っていた。


「さよなら、朝木さん。また月曜日、学校でね」


「昼宮く――」


 バスの扉が閉まった。

 つり革を持って立つ昼宮くんは、わたしの方を見もしない。

 それどころか、かたわらの誰かと話し始めてしまった。


 黒髪の長いポニーテール。

 すらっとした手足に、目尻の吊り上がったキツめの顔立ち。

 他の誰でもない、月ノ瀬やよいだった。

 わたしと目が合うと、彼女は見たこともないような満面の笑みを浮かべた。


『ご め ん ね』


「――――ッ!」


 走り出したバスを、わたしは反射的に追いかけた。

 ヒール付きのミュールに丈の長いフレアスカートだから、とても走りづらい。

 でも、血が上った頭では、そんなことは考えられなかった。


「待て!」


 でこぼこした石畳の上を走ること十数秒。

 ヒールがくぼみに引っかかり、わたしは呆気なく転んだ。

 肘と膝を思い切りすりむき、声も出なかった。

 

「ねえ、君大丈夫? どうかした?」


「――うるさい! 来ないで!」

 

 寄ってきた若い男に、わたしはうずくまったまま罵声を浴びせかける。

 惨めさと痛みで、ぐしゃぐしゃの顔を、誰にも見られたくなかった。

 このまま、冷えた石畳に沈み込み、二度と浮かび上がってこなければいいと思った。

 

「うっ……ううっ……」


 わたしの無様な泣き声は、夕闇の往来に虚しく吸い込まれていく。

 もう誰も、わたしに構ってはくれなかった。

 

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幼馴染に彼女を自慢したらとんでもないことになった件について(旧題:幼馴染と彼女がヤンデレ化して俺の取り合いを始めた件について) 石田おきひと @Ishida_oki

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