第6話


「…………」

「せっ、先輩……」


 次の日――。俺の顔を見て、上木は驚きのあまり目を見開いている。


「……なんだ」

「きっ、昨日は眠れなかった様ですね……」


「ああ、まぁな」

「そっ、それはひょっとして……?」


「分かっているならハッキリと言えばいいだろ」

「いっ、いやぁ……。もしかして違うかも?なんて思ったりしたりして……」


 そう言いつつも、上木は俺の様子をうかがっていた。しかし、無言のまま上木を見ていたからなのか、上木は小さく息をはき……。


「――大変でしたね」


 小さくつぶやいた。


 昨日、俺は放課後にさっそく手袋を買いに行った……のだが、そのデザインの多さに驚いた。


 そして、思っていたよりも時間がかかってしまった。まぁ、それだけが理由ではないのだが……。


「はぁ……バレンタインデーで緊張する女子の気持ちがよく分かる。それに、昨日上木が言っていた『呼び出しを頼む』っていう気持ちも……な」

「はぁ、そこまで緊張するものなんスね」


 俺が「一度体験してみたらどうだ?」とたずねると、上木は「遠慮します!」と即答した。まぁ、生きていれば一度は体験する事になるだろうとは思う。


 しかし、どうやら上木はその事に気がついていないのか……はたまた見ない様にしているのか……そこまでは分からない。


「それにしても、もう昼休みになりましたけど、今が渡すチャンスじゃないッスか?」


 確かに、今の『昼休み』という時間は学年の違う俺にとってはチャンスだとは思うのだが――――。


「昨日、黒井から『恋ちゃんはファンクラブの人間と過ごすからジャマしないで!』と連絡がきてな」

「……うわぁ」


「ついでに『そっちにも何か事情があるかも知れないけど、こっちにも事情があるから』とも書かれていた」

「ああ、ファンクラブに入っている子たちのほとんどは部活に入っているッスからねぇ」


「……そうらしいな」

「それなら放課後より昼休みの方が都合が良かったワケッスか……ん? ところで『そっちの事情』とは?」


「……どうやら、俺が手袋を渡そうとしている事を黒井は知っているみたいだな」

「え」


「まぁ、一昨日と昨日で手袋を失くして手袋をもっていない恋を見て、俺が感じないという事はないだろう……って、思ったんだろうな」

「はぁ……黒井先輩ってやっぱり『頭いい』んスね」


 上木は感心したように言った。


「まぁ……たったその『頭がいい』っていう言葉だけで片付けていいのか微妙だけどな」


 俺はあくまで勘なのだが、黒井から書かれていた内容は……勘や予想ではなく、もはや「そうでしょう」とでも言いたそうな、何やら確信を持っている様にすら思えた。


 それを思うと……ただ『頭がいい』というだけではないように思えてしまった。


「……という事は、渡すのは放課後になるって事ッスね?」

「そうなるな」


「じゃあ、俺。呼びましょうか?」

「……いや、気持ちだけありがたくもらう。それに、身内に頼むと見られる可能性もあるからな」


「……そんな事、しませんよ」

「今一瞬あったが答えだろ。なんで一瞬考えた」


 そう指摘すると、上木はさらに「そんな事しませんって」と返した。


「まぁ、今朝は俺たちにチョコを渡すだけ渡してちゃっちゃっと行っちゃいましたからね」

「……そういう日もある」


 こういった計画を立て、いざ実行する時に上手くいかない事もある。でも、問題は「そこからどうするか」である。


「じゃあ、後は先輩次第って事ッスか」

「まぁ、こうなったら何をどうやっても、もう格好はつかないだろうしな」


「先輩、寝不足ッスからね」

「……」


 上木がサラッといった言葉に傷つきつつ……。


「まぁ、なるようになるッスよ。多分……」

「多分……か。そうだな」


 俺たちは冷える階段を下り、そのまま自分たちの教室へと戻って行った――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……こんな時に限って、なんで担任に呼び止められるんだろうな」


 俺は、日が落ちきった空を見上げて小さくつぶやいた。この時間では、部活のある生徒もほとんど帰ってしまっている。


 恋もさすがに帰ってしまっているだろう。


「はぁ……」


 今日が金曜日以外の日であれば「明日に渡せばいい」という考えになる。しかし、残念ながら今日は金曜日である。


 部活動のある生徒でない限り、休日に学校に来ることはないだろう。


「……女子って、大変なんだな」


 そうつぶやきながらも、俺は今日。その女子たちからもらったチョコレートを入れた袋を持ち直した。


「――」


 考えてみれば、渡すチャンスなんていくらでもあった。それなのに、色々と理由をつけて行動しなかったのは……自分だ。


「はぁ……」


 まさか、こんな形で『昔から何も変わらず自分が弱いままだ』という事を思い知らされるとは思いもしなかった。


「……クシュン!」

「?」


 ふと聞こえたくしゃみに振り返ると……。


「こっ、恋!?」

「あっ、えと……」


 そこには、申し訳なさそうに立っている恋の姿だった。

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