第7話
「いいえ? なんでもないわ」
「そうか? それならいいが……」
「どうかしたのかしら?」
「いや……」
俺は体育館中を見渡したが、どこにもメイドや執事の姿が見当たらない。
「なぁ、いつもいる人たちは……」
「ああ、どれだけ時間がかかるか分からないから……。そんな事に巻き込んじゃいけないと思ってね」
確かに、出来ない事を出来る様にするにはどれだけ時間がかかるか分かったモノではない。
「そうか」
だから、黒井の言っている事は分かる。
「去年は、風邪が長引いちゃって授業だけじゃなくこの球技祭にも出られなかったの」
「……じゃあ、なんで自分は出来ていないって分かったんだ?」
「去年の球技祭は、大事をとって休んでいた時にみんなの様子を見ていたから」
「それを見て……。そう思ったんだな?」
「ええ。今年は出ないと……いえ、出たいと思っていたわ。私は、そういった行事も含めて『学校生活』を楽しみたかったから」
「でも、ここ最近の授業では姿を見ていないが」
「それは……なぜか、授業の前になると気分が悪くなってはきそうになってしまって……」
「……そうか」
それは多分、不安と緊張からくるモノだろう。だから、本人は『大丈夫』と頭では思っていても……実は、大丈夫ではなかったという事なのだろう。
「去年の『球技祭』を見てから、自分も出来る様にならないと……と思って練習を始めたのだけれど……全然ね」
「……まさか、一人で練習しているのか?」
「ええ、こんな姿をうわさになんてされたくないモノ。だから、学校から離れたここを借りているんじゃないの」
「……そうだったな」
出来ない事は出来ない。だからといってそれを放ったままにはせず、どうにかしようと思って行動する。
それは良いことだと思う。ただ、その『努力している姿』を見せたくはない。
出来る事をさらに極めているのであればまだいいが、出来ない事を出来る様にしているのであれば、その失敗をしている姿をどう思うか……というのを気にしているのだろう。
そして、黒井はその失敗している自分の姿を『格好悪い』と思ってしまう。
だからこそ、こんな場所でたった『一人』で練習を続けてきたのだろうとは思う。
俺も黒井と同じように『失敗している自分の姿』は格好悪いと思ってしまう人間だ。黒井の気持ちもよく分かる。
「……なぁ」
「ん?」
「去年の今から練習してもそこまで上手くいっていないんだろ?」
「……まぁ、そうね」
「じゃあ、ちょっと教えるから一回やってみてくれないか?」
「え」
俺はそこら辺に転がっていたボールを一つ取り、頭上で軽くトスをした。
「ずっと一人だけでイマイチ分かっていない状態でやっても、なんとなくになってしまうだろ? だったら、出来る人間がいた方がいいんじゃないか? 俺も普通の人くらいなら出来るしな」
「そっ、それは……ありがたいけど……いいのかしら?」
それに、黒井がいない……なんてなれば、それこそ恋が心配をしてしまう。俺は、そんな恋の姿を見たくはない。
まぁ、俺もあまり人に教えられるほど上手いワケではない。ただ、このまま放っておくわけにはいかない。
だからこその提案である。それに……。
「生徒会のメンバーが欠けるのは、俺も困るからな」
去年の事を知っているだけに、今年も大変になるのは目に見えている。一人でも休まれるのは困る。
「なっ、なるほど。そういう事ね」
「それ以外に理由なんてないだろ?」
「……そうね」
そんな俺の気持ちが伝わったのか、黒井は小さく笑った――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ありがとう。教えてくれて」
車から降りる前、黒井はそうお礼を言った。
「いや」
俺が教えたのは、本当に教科書に書いてあることをその場で実際にやってみた。後の問題は、ここが先が大変だという事だ。
実際にやってもらって分かったが、どうやら黒井は自分の中では『完全に出来ている』というイメージを持っていた。
しかし、実際は全く出来ていない。
まぁ、出来ていれば、ずっと一人でコソコソと練習をする必要はない。出来ていないからこそ練習をしている。
その『イメージ』と『現実』を合わせる事が大変だった。
でも、ちゃんと理解すれば後は早かった。ただ、その『理解する』までに時間がかかってしまったが……。
だから、少し遅くなってしまい。最寄りの駅まで送ってもらう事になってしまったのだが……。
「おかげで早く帰る事が出来たわ」
「そうか……」
うれしそうに笑う黒井に俺も小さく笑い、車のドアを閉めた。
「はぁ……」
人に何かを教える……なんて事は勉強以外では初めてだったが、上手くいってよかった……と、思った。
「ん?」
一瞬、何か視線を感じて振り返ったが、そこには何もない。見えるのは、黒井が乗っている車が線路をこえて帰ろうとしているところだけだ。
「気のせいか……」
俺はそうつぶやいて帰りを急いだ……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そして『球技祭』で、黒井のチームはトーナメント戦まで進む事が出来た。俺のチームもトーナメント戦まで進む事が出来た。
「はぁ……なんで、男子のドッジボールでは、ハンドボール部とか野球部とか投げる競技に所属している部員に対する人数制限はないんスか? カーブボールとか反則ッスよ」
「……どんまい」
「ボールをよけまくっていたら、なんでか最後まで残っているし!」
「そっ、そりゃあ……」
ドッジボールでボールが投げられれば、取れそうになければよけるしかない。最後まで上木が残ったのは……ただの偶然だろう。
「ところで、二本木はどんな感じッスか?」
「今日は一度も話していないからな。ただ、順調に勝ってはいるみたいだな」
俺は、リーグ戦の結果がまとめられている紙を見ながら言った。
「え、話していないんスか? 今日? 一度も?」
「あっ、ああ」
なぜか上木はそう言いながら俺に迫ってきた。
「……先輩、何かしたんじゃないッスか?」
「いやぁ、特別『何かした』って事は……ないはずだ」
むしろ『何もしていない』くらいである。
「いや、こんなイベントに何もしてこないって……というか、先輩が『何か』すればいいんじゃないんスか!」
「……俺も話くらいしたい。でも、なぜか逃げられるんだよ」
「本当に何か……」
「――してないっ!」
そんな大きな声に、周りにいた体育委員の視線が一斉に俺の方へと向いた。
「……はぁ」
結局、俺はこの日、恋とほとんど会話をしないまま『球技祭』は終わってしまったのだった。
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