第6話


「え?」


 あまりの大声に、さすがの黒井も気がついた様だ。


「あー……っと」


 ――しまった。いくら驚いたにしても、さすがに声を大きく出しすぎた。コレでは「気がついて下さい」と言っている様だモノだ。


「……」

「……」


 そして、気まずい。


「どっ、どうしてここに……」

「えーっと、ここの近くの図書館に来ていたんだ」


「ああ、あそこの」

「そう……で、黒井はここで何を……って、聞く必要はないか」


 目の前にあるのは、バレーボール用のネットである。そして、床にはたくさんのバレーボールが転がっている。


「……」


 つまり、黒井はここでバレーボールの一人で練習していたのだ。


「でも、失敗だったわ。まさか、ここに同じ学校の人が来るとは思っていなかったから」


 そう言って黒井は「はぁ」とため息をついた。


「別にいいんじゃないか? 出来ないなら練習するのは普通だろ?」

「そうね。普通なら、そうなんでしょうけど」


「……違うのか?」

「あの子……恋ちゃんに『出来ない私』を見せたくなかったのよ。あの子は、私は何でも出来るって思っているみたいだから……」


 確かに、恋は黒井に対しそんな風に思っているところがある。それに、黒井の気持ちはよく分かる。


「それで、ずっと一人で練習をしていたのか」

「去年は……風邪が長引いたから問題はなかった。この学校に来るまでは球技をしたことがなかったし」


「……」


 その言葉に、俺は耳を疑った。この学校に来るまで球技をしたことがなかった……という事は、一体どういう事なのだろうか。


「私が元々通っていた学校はエスカレーター式って言われてね。ずっとそこに通っていたの」

「そっ、そうか」


 ――さすがお金持ち。


「ん? じゃあ、どうしてこの学校に来たんだ? そのままその学校にいられる暗いの成績はあったんだろ?」

「ええ。でも、ふとね。一般的に言われる『普通の学校生活をしてみたい』って、思ったのよね」


「でも、親は何も言わなかったのか?」


 普通の場合。いきなり娘がそんな事を言い出せば、親が止めに入りそうなモノだ。


「……あなたは、元旦とかはご家族と過ごしたのかしら?」

「? ああ、一月一日と十二月三十一日は家族と過ごしたな。後は、両親が仕事に行ってしまったが」


 それが一体どうした……というのだろうか。


「そう、いいわね。いえ、むしろそれが『普通』というのかしら」

「…………」


 そう言って黒井は、ボールを一つ拾い上げた。


「……あなたはもう気がついているでしょうけど、この日本に私の両親はいない。いいえ、そもそも私は両親があなたたちがこの間来た家に来ている姿を一度も見たことがない」

「…………」


 黒井の両親は、仕事の関係であまり日本にいない。


 それは、知っている。しかし「まさか一度も見た事がない」とまでハッキリと言うとは驚きだ。


「私が生まれてすぐは両親もあの家にいたらしいのだけれど、物心をついたころにはもうこの家にはいなかった」

「……仕事か?」


「多分ね。だから、見た事があるのは写真の中だけ。しかも、全然笑っていない」


 そう言って黒井は小さく笑った。


 ただ、彼女はそれに対して何かを思うこともなく、ずっと両親の姿を見る事なく生活をしてきた。


「それが私にとっては『普通』で、私の思う『理想』はテレビなどで出てくるにぎやかな家庭だった」

「…………」


 黒井の家はお金持ちだから……という理由ではないと思う。しかし、彼女にとって『家族は家にいないモノ』という感覚だったのだろう。


「でも、それが別にさみしいって思う事もなかった。メイドも執事も家にいてくれたから」


 そう言っている黒井は遠い目をしている。確かに、メイドや執事が家にいるとは言え、家族とはやはり違うのだろう。


 つまり、それも彼女の『理想』とは違った。もちろん、感謝はしているだろうけども……。


「でも、ありがたいことに学校に行っている間、イジメを受ける様な事はなかった。むしろ、人気者だったわ。何もしなくても……」


 それは多分、先生や子供の親が何かしら子供たちに言ったからだろう。たとえば『あの子とは仲良くしなさい』とか……。


「……」


 悲しい事に、そんな光景が簡単に想像出来た。


「昔ね。ちょっと考えた事もあるのよ。もし、私が引きこもりにでもなったら両親は来てくれるのかな……って」


 そう言って黒井は遠い目をした。それは多分。彼女は本当に考えたのだろう。しかし、それに対する俺の答えは――。


「いや、帰ってこないだろうな」


 俺はすぐにそう答えた。


「……ずいぶんハッキリと言うのね」

「こんな話に対してごまかす方が良くないだろ」


 そう言うと、黒井はなぜか口元に手を当てて笑い出した。


「なっ、なんだ」

「いえ? 実はこの話。恋ちゃんと会ったばかりの頃にも一度してね」


「へぇ、それに対して恋はなんて答えたんだ?」

「ふふふ、あなたとほとんど同じよ『今までそんな感じだった人がそう簡単に変わるはずがない』ってね」


 どういった状況でそんな話をしたのか分からないが、恋も「帰ってこない」という事を言ったらしい。


「いや、俺はそんな言い方はしていないが」

「ふふふ。むしろあなたの方がハッキリと言ってくれたわね。でも、ちゃんと言ってくれてよかった。下手になぐさめられるような事を言われても、困ったから」


 そう言いながら、小さく微笑んだ黒井は「意外に似た者同士なのかもね」とさらに小さくつぶやいていた……。


「ん? 何か言ったか?」


 しかし、残念ながらその声は俺には届いていなかった。

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