《西暦21517年 薫3》その三


「し……死んじゃったんじゃないの? あの子。動かないよ」


 薫はハラハラして背後をふりかえった。


「手かげんはしたつもりです。第一、射殺命令が出てる相手だ。情けをかける必要はない」

「そうだけど……僕は蘭さんを人殺しにしたくない」


 と胸をつかれたように、蘭は立ち止まった。


「かーくん……」


 蘭の目が悲しげになったのは、なぜだったんだろう。


「どうかしたの? 僕、変なこと言った?」

「いいえ……」


 蘭は唇をかんで走りだす。

 発着場から廊下へ出ると、正面から誰かが走ってくる。蘭は無言のまま、手近なハッチへとびこんだ。薫も続く。

 そこはボートや輸送船のパイロットの休憩所のようだ。ソファーが一つ。デスクが一つ。壁の片側にはロッカーがならんでいる。


「かーくん。ロッカーのなか調べてください。僕はデスクを調べますから。何か使えるものがあるかもしれない」

「うん」


 言われるまま、薫はロッカーの戸をあけた。大きな背の高いロッカーが四つ。二つが使用中。二つはカラだ。

 薫は使用中のロッカーを調べた。とくにめぼしいものはない。つるされた上着のポケットにお菓子が一箱入っていた。簡易カロリーチャージのようだ。

 それを見たとたん、ぐうッと腹の虫が鳴る。そう言えば朝食のあとから蔵に閉じこめられて、今日は昼食を食べていない。机の引き出しを調べていた蘭がふりむくほど、盛大な音だった。


「ごめん。お腹減ってたみたいで。これ、貰っちゃったら泥棒?」


 薫のかかげたカロリーメイト的な何かを見ると、蘭のお腹もググウッと鳴った。蘭は麗しいおもてを真っ赤にして恥じらう。何を今さらであろうか。十年以上もいっしょに暮らしといて、腹の虫どころか、寝顔のヨダレだってバッチリ見た仲だ。


「蘭さんも腹ペコか。じゃあ、僕ら、同罪だよ?」


 薫はお菓子の箱の封を切った。チョコ味のバーを半分に折って、蘭に渡す。

 蘭は感動的に目をうるませている。


「……ありがとう」

「大げさだなぁ、蘭さん。でも、美味いよッ。疲労時のチョコレート」

「うん。おいしい」


 優雅な仕草ながら、蘭は猛獣のごとくチョコレートにがっついた。当然、薫も。


「かーくん。口にチョコ、ついてますよ」

「えっ、どこ?——鏡、鏡。ギブミー・ミラー」

「僕がとってあげます」


 ポケットからハンカチを出して、蘭がふいてくれた。白いハンカチがベットリ茶色に……。


「なんか、お母さんみたいだねぇ。蘭さん」

「僕でよければ、かーくんのお母さんになってあげますよ」

「美人すぎるお母さんだなぁ。血迷いそうで怖い」


 笑って話していたのに、とつぜん、蘭の顔が真剣になった。

 薫が問いただすよりさきに、蘭は肩で薫をロッカーに押しこみながら、戸を閉める。ちょっと、蘭さん——と言おうとしたとき、室内に誰かが入ってきた。


「動くな!」


 ふたたび、テロリスト遭遇。

 今度は男の声だ。


「手をあげろ。おまえ一人か?」

「一人です」と、蘭は答えた。


 薫がロッカーの空気孔からのぞくと、銃をかまえた男が二人、ドアの前に立っている。


(蘭さんが危ない!)


 薫はロッカーのドアをあけようとした。しかし、それを妨げるように、蘭が背中をもたれかけてくる。つまり、自分はテロリストたちのほうを向いて。


「抵抗はしません。だから、撃たないでください」


 男二人は蘭の顔を見て立ちすくんだ。


 さっきの少女のように、蘭はすきを見て反撃するつもりだろうか?

 でも、今度は二人だ。ぼうっとなってはいるが、不意打ちでノックアウトさせて逃げるという手はきかない。


 まもなく、男二人は我に返った。男というか、少年だ。まだ十代のように見える。西洋人と東洋人が一人ずつ。二人は銃をかまえるのも忘れて、無防備にこっちへ歩いてくる。薫の位置からは見えにくいが、蘭を両側から、はさんだようだ。


「……すげェ。とんでもない美女だな」

「いや、男だ。胸がない」


 さては、蘭の胸にさわっている。

 蘭がちょっと変なあえぎ声を発するのが気になるが、いちおうテロリストどもは警戒していない。


「どうする? こいつ、殺すか?」


 東洋人は言った。が、背の高いトム・ソーヤみたいな西洋人が首をふる。


「つれていこう。人質だ」

「そうだな」


 東洋人もその返答を期待していたような口調だ。男たちは蘭の腕をつかんで外へ出ていった。

 去りぎわに、蘭は薫のほうを見て、かすかに笑った。心配ありませんよ、というように。


(そうか。僕を残しておいて、あとから助けだすって戦法か。待っててね。蘭さん。絶対、助けるよ)


 いきごんで、薫がロッカーをとびだしたときだ。ふいに騒音がして、薫は心臓がちぢみあがる。


「な、何……?」


 机の上の旧式なラジオだ。

 そう言えば、さっき机を調べるとき、蘭がさわっていた。さっきは音が入らなかったが、急に息を吹きかえしたみたいに、やかましくしゃべりだした。


「旧医療センター。聞こえるか? 応答頼む」


 よく見ればラジオではなく、無線機のようだ。しかも、電波に乗ったガサガサした音質ではあるものの、その声は——


「……猛? 猛なの?」

「なッ——かーくんかッ?」

「はい。かーくんです」


 もしかして猛の偽者のほうじゃないかと思うので、微妙に他人行儀。

 機械の向こうで猛があわてふためくのが息遣いからわかった。


「かーくん。おれが悪かった。ほんとのこと教えるから、帰ってきてくれ。頼む——ていうか、そっち今、どうなってるんだ?」

「なんかテロリストが占拠中。たった今、蘭さんがテロリストにつれていかれちゃったから、早く追いかけないと」

「行くな! いいんだ。そいつのことはほっとけ」

「なんで? 蘭さんだよ?」

「そいつは蘭じゃないんだ」


 ダメだ。やっぱり偽者だった。

 本物の猛なら、こんなことは言わない。家族同然の蘭を見すてろとか、あまつさえ、それは蘭じゃないとか。


「もういい。バイバイ」


 薫は無線のスイッチを切り、廊下へかけだした。

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