《西暦21517年 薫1》その四
そう言えば、水魚が家計簿をつけるのにパソコンを使っていた。水魚は昼間、別棟にいることは少ない。別棟の管理のほかに研究所の仕事などもあるらしい。研究所を村のみんなで取り戻したところくらいまでは、薫にも記憶がある。
薫は座敷のつらなる別棟のなかを、泥棒のようにコソコソと歩きまわった。キョロキョロ周囲の無人をたしかめて、水魚の部屋のふすまを、そっと三センチほどひらく。
水魚はいない。
すみずみまでキレイに整った和室。
水魚の使う沈香の香りが、ほんのりただよう。
不二神社の巫子になるってことは鬼籍に入ることなのだそうだ。いまだに水魚は白無垢の着物というお化けスタイルをつらぬいている。だから、よけい苦手なのかもしれない。しかし、沈香は古風な水魚に似合いの香だ。
薫が室内にふみこもうとすると、部屋のなかから一匹のミツバチが飛びだしてきた。しきりに薫のそばを飛びまわる。薫は硬直した。
(あっち行って。あっち。お願い)
が、願いは通じない。
しかたなく——というか、思わずふりはらう。
もろにハチを廊下に叩きつけてしまった。哀れ。ペチャッと音がして、ハチは動かなくなる。
「あっ……ごめんよ」
ミツバチは花や野菜の受粉をしてくれる益虫だ。見ためも可愛いから、決して嫌いではない。しかし、今のは不可抗力だったと思う。
薫は急いで水魚の部屋に侵入した。
窓辺の文机の上にパソコンがあった。薫も見なれた端末だ。操作法はわかるだろう。
ところが、電源を入れても起動しない。いや、起動はしたものの、なんか変な文字が浮かんできて、また消えた。『脳波不一致。ログインできません』とかなんか。
「なにコレ? もしかしてブレイン・マシン・インターフェースか? なんてハイテクなんだ」
それはまあ、たまにテレビで脳波操作型の次世代コンピューターの話題はやっていた。しかし、それは、ごっついゴーグルだのケーブルだのゴチャゴチャ頭につける式のやつだ。こんなスマートなものが、いつのまに製品化されていたのか。
どうやらパソコンは持ちぬしの水魚にしかひらくことができないらしい。
あきらめて立ち去ろうとしたとき、パタパタとかけてくる足音が近づいてきた。ガラリとふすまがひらく。鬼のような形相で、水魚が立っている。
「私の部屋で何をしてるんですか? いくら
ヤバイ。殺される。やっぱりこの人は、なんか怖い。助けて。じいちゃん。
「ごめんなさい。ごめんなさい。京都の友達にメールしたくて。僕のスマホ、行方不明だから!」
頭をかかえて、うずくまる。
すると、水魚の目つきがやわらいだ。
「……忘れたんですか? あなたや猛さんの友達は、呼べるだけ呼んだじゃありませんか。赤城さんや三村さんもこっちにいますよ」
「あれ? そうだっけ?」
そう言われれば、そうだったような。
京都を逃げだして不二村についたあと、すぐに研究所を襲って奪還した。そのあと、友達に電話をかけまくったのだ。これでも薫は京大卒業だ。研究者になった理系の友達なんかもいた。
「なんか今、変な病気のウワサで不穏だよね。それでさ。じつは僕の親戚のある出雲の研究所で、研究員募集してるんだ。明日から面接試験らしいんだよね。なんか、すごい待遇いいらしいよ。とりあえずバイトだけでもいいんだって。ちょっと面接受けてみたら? このへんは暴動とかなくて平和だし、家族と観光がてらにでもさ」と、だまして呼びよせた。
しかし、薫は友人たちと再会できなかった。ヘルに耐性が持てないことが発覚して、急きょ月へ送りだされた……ような気がする。あの夢では。
「安河内くんや本条くんとかも来てるんですか? 山田くんや橋本くんは?」
「ええ。彼らは優秀な研究員ですね。京大の知りあいをたくさん呼んでくれたので、ほんとに助かりましたよ。なにしろ研究員は一人でも多く欲しいときだったので」
「研究所にいるんですよね? 会いに行ってもいいですか?」
「それは……猛さんに聞いてください。とにかく、お友達の心配はいらない。私の部屋から出ていってください」
追いだされてしまった。
村の東端にある研究所にはICカードが必要だ。薫には入ることができない。
「くれ。くれ。カードくれ」と頼むのに、猛は「あとで。あとで」と口約束するばかり。
(もしかして……研究所に見られちゃいけないものがあるのかな? 村のみんなで奪いかえしたんだけどなぁ。でも、この村って古代からの怪しい御子信仰があるし、変な実験でも始めたのかも)
考えながら廊下を歩く。
何か固いものをふみつけた。
「イテッ」
あわてて足をどかしてみた。
さっきのハチだ。けど……なんだろう? 何かおかしい。ふんだ感触も、むしょうに固かった。しゃがみこんで、見ると、二つに割れたハチの胴体からネジがとびだしていた。歯車や配線みたいなものもある。
「どうかしましたか?」
背後から水魚が声をかけてくる。
「なんでもないです!」
薫はハチの死骸をジーパンのポケットにつっこんだ。急いで逃げだす。
自分の部屋に帰ってから、たしかめてみた。まちがいない。
それは機械だ。機械仕掛けのミツバチ。複眼はカメラになっているようだ。
(なんだ……これ。監視用の昆虫型マシーンってことか?)
なにがなし、ゾッとした。
やはり、何かがおかしい。
それも薫が思っているより、はるかに異常な事態。
(もしかして、こんな虫型の監視カメラが、そのへんにウヨウヨ飛んでるんだ。だから、猛は僕がふみこんだ話をしようとすると、いつもタイミングよく出てくるんだ)
なんだか、わが兄が信用できない。
たしかに、これまでの人生で、猛にはさんざんイタズラされた。とはいえ、それはほんとにイタズラの範囲だった。が、今回は何かが違う。猛のイタズラなら、監視一つにこんなに金をかけないだろう。もっと組織的な陰謀を感じる。
(だいたい、あの羽。ほんとにコスプレなのかな。もしかして……本物?)
猛じゃない——
猛にそっくりだけど、あれは薫の兄ではない。
(兄ちゃんじゃないなら、なんなんだ? あれ)
薫は凍りついた。
立ちつくしていると、窓の外から声が聞こえた。龍吾だ。
「いやぁ、まいったよ。あんまりソックリだからさ。ウッカリおまえと間違いかけたよ。バレたら、おれ、猛に殺される」
「龍吾さんはわりと、そそっかしいからなぁ。気をつけてくださいよ。猛さんなら、ほんとに人体三枚おろし! とか、できちゃいますからね」
「シャレになんねぇ」
龍吾に応じて笑いあう声。
それを聞いて、薫はギョッとした。
そんなバカな。
そんなわけ、あるはずない。
あれは、あの声は……。
窓から、そっとのぞいてみる。
母屋のかどあたりで、龍吾と誰かが話している。龍吾のかげになって、相手の顔が見えない。
じりじりした気持ちで、背伸びしたり、移動して見やすい位置を探す。
そのうちに「じゃあ」と手をあげて、龍吾が去っていった。龍吾の背中が消えると、相手の顔がハッキリ見えた。
思ったとおりだ。服や髪型こそ違うものの……。
それは、まぎれもない。
薫自身だった——
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