《西暦21517年 薫1》その二



 日本昔話の世界のような山奥の隠れ里。

 田畑のあいまに、かやぶき屋根の家々。


 八頭家の別棟は御子さま御殿と呼ばれるようになっていた。

 なつかしい(なぜ?)人たちが、たくさん住んでいる。

 蘭を御子にさせた水魚。

 その妹の雪絵。雪絵は御子の血をわけた巫子体質。水魚と同じ不老長寿だ。薫たちの祖父の若いころの恋人である。

 いとこの愛莉が家事手伝いに来ていたのは驚いた。


「あれェ。愛ちゃんも逃げてきたんだ」

「ひさしぶりだねぇ。かーくん。わやつ(私たち)は一家で早めに村に引っ越したけんね。大丈夫だったよ」

「じゃあ、健一おじさんも元気?」

「元気。元気。今も畑仕事しちょうよ。かーくんは大変だったねぇ。あっちの暮らしは、どげ(どう)だった?」

「あっち?」

「ほら、かーくんは——」


 すると、愛莉の言葉をさえぎるように、どこからか猛がかけてくる。まるで、子どものころ、ノラ犬から助けてくれたときみたいに。


「ああ、ほら。京都のことだよ。パンデミック前はスゴイ混乱したろ。暴徒とか。交通網もマヒして」


 なんか、おかしい……猛のようすが不審だ。

 これは夜中にトイレへ行こうとして起きだした薫のあとをつけてきて、いきなり背後から「わッ」と声をかけてくるときの兄の行動パターン。

 おかげで薫は一人でトイレに行けなくなった。オバケが怖いというのもあるが、何より、猛が怖い。ほっとくと廊下をさきまわりして、シーツをかぶって立ってたりする。


 それを未然にふせぐには「兄ちゃん。トイレ行くからついてきて」と言っておくのが最善の策だ。

 猛は眠い目をこすりながら起きてきて、「いいよ。かーくんは甘ったれだなぁ」と、なんとも嬉しそうに言うのだった。自分でおどしておいて『甘ったれ』はないんじゃないだろうか。しかし、ヘソをまげられると困る。報復が恐ろしい。抗議はできない弱い立場の弟だ。


 あのときの猛をほうふつとさせる。


「……猛さぁ。なんか企んでない?」

「企む? 何を?」

「なんか、変」

「ちっともおかしくないよ」

「じゃあ、そのコスプレ、いつまで続けるの?」

「似合うだろ?」

「似合うけど。ジャマだろ?」

「べつにジャマじゃない。ちゃんと飛べるんだぞ。ほら」と言って、猛が背中の羽をはばたかせ、宙に浮かんだ。


 薫は仰天した。

「スゴイッ! ハイテク!」

「だろォ?」


 そのときは、それでごまかされた。

 一日のうち薫がやらなければならない仕事は少ない。京都では家事炊事は薫の担当だっあ。主夫として多忙だった。が、ここでは家事は全部、愛莉、雪絵、水魚がやってくれる。薫はたまに蘭に頼まれたときだけ食事を作る手伝いをするだけだ。


「ああ、やることないってタイクツ! 猛と蘭さんは、ふだん何してるんだろ?」


 なんだか蘭は、けっきょく御子さまと持ちあげられて、忙しいらしかった。以前どおりミステリーも書いてる。

 猛は蘭を守る親衛隊の隊長だ。昔から大好きだった筋トレや武芸、射撃の訓練にいそしんでいる。


 まあ、それはしかたあるまい。パンデミックのせいで世界的に秩序が崩壊した。不老不死の上、その神秘の力を他人にわけ与えることができる蘭の存在は、人心をかきみだす。

 不二村に暴徒が押しよせてくることだって考えられるのだ——と思うのだが、そのわりに、みんな妙にのどかだ。猛や蘭をふくめ、親衛隊の全員が。

 安藤や池野は薫も以前からの友人だ。彼らにいたっては、猛のように毎日の訓練をすることもない。ほとんど実家の畑仕事をしている。


「ああ、かーくん。うちでとれたやつでダイガクイモ作ったよ。食べていかんかね?」


 村を散歩してると、安藤に声をかけられた。


「うん。食べる。うまいよねぇ。ダイガクイモ。ああ……せめて僕も家庭菜園がしたいなぁ。プランター栽培だけどね。けっこう上手なんだよ」

「猛さんに頼んでみたらいいがね」

「なんでか知らないけど、猛が屋敷から出ることをゆるしてくれないんだよ。今もこっそり、ぬけだしてきたんだ。自分は好き勝手に出てくくせに。横暴だと思わない?」


 なぜか、安藤は往年のアイドルに似た相好をくずして笑いたおした。


「聞いちょる。聞いちょる。わは三ヶ月は持たんほうに賭けちょうよ」

「賭け? なんの?」

「えーと……totoみたいなもんだけん。かーくんは気にさんでいいよ」


 気にするなと言われれば、気になるのが人情だ。薫が真剣に聞きだそうとすると、あわてふためいて猛があぜ道を走ってきた。


「薫。おまえは外、出るなって言ってるだろ。また風邪ぶりかえしたら、どうするんだ」

「そんな感じはしないよ。健康そのもの。僕だって外、歩きたい。家庭菜園したい。退屈なんだよ」

「屋敷の家事、手伝ってればいいだろ」

「だって、僕が手伝うの、水魚さんがいい顔しないんだもん」


 水魚は日本人形みたいな美男子だ。でも、以前、村が政府機関に占拠されていたとき、生体実験に使われていた。そのせいか、あるいは出会ったときの印象が妖怪っぽかったせいか、どうも薫はこの人が苦手だ。


 それに、これは気のせいではないと思う。

 なんとなく、水魚にうとまれている気がする。


 薫が屋敷のことを手伝おうとすると、「御子のお世話は私の役目ですから」と言って、薫の手からホウキや包丁をとりあげるのである。もしかして妬かれてるかな、と思う。


 前に蘭の希望でダシ巻きを作ったときのことを思いだす。


「わあッ、おいしい! やっぱりダシ巻きは、かーくんのが最高!(もっと手のこんだ料理も作ってあげてたのに)」と言って、蘭が薫の首に抱きついてきた。

 そのとき、キラリと光った水魚の目が、ちょっと怖かった。


「……水魚さんてさぁ。やっぱり、蘭さんのこと——」

「あ、そこはタブーだ。あれでも本人、隠してるつもりなんだから」

「やっぱり……」


 どおりで風あたりがキツイ。


「僕が蘭さんをとったように感じるのかな。でも、猛が蘭さんと仲よくするのは平気じゃない」

「うん。そりゃなぁ。まあ……」


 何が『まあ』なんだか。

 とにかく、何もかもがおかしい。

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