《西暦21517年 薫1》その一



 薫が目をあけたとき、何かが覆いかぶさるように、のぞきこんでいた。人影だ。目がなれると誰だかわかった。猛と蘭だ。


 あれ、おかしい。僕は月で死んだんじゃなかったっけ?——と、その時点で疑問は感じた。


「……ここ、天国? 猛と蘭さんも死んだの?」


 それにしては、なんとなく見覚えのある場所だ。この純和風の日本家屋。しかも豪邸。

 これは……たしか、出雲の山奥の八頭やず家の別棟。御子をまつる不二神社の巫子、水魚が住んでるところだ。

 なんで、天国が出雲なんだろう。


「えーと……状況が飲みこめないなぁ。黄泉比良坂って松江じゃなかった? まあ、奥出雲なら近いけど。ていうか、月で死んでも島根まで帰ってこれるんだ?」


 いや、それどころじゃない。

 薫は気をとりなおし、とりあえず猛の首にとびついた。


「わあッ、兄ちゃんだ! 兄ちゃん。蘭さんも会いたかったよ! ヒドイよ。二人とも。僕のことポイって。月にポイって——」


 猛と蘭は泣き笑いのような表情で抱きしめてくる。


「……ああ、かーくんだ。これぞ、かーくん」

「ですねぇ。いやされるぅ」

「く……苦しい。嬉しいけど、苦しい。両側からギュッとするの、やめてくれる? 死にそう。あ、そうか。もう死んでるのか」


 すると、猛がニカッと笑った。

 なつかしい兄の笑顔だ。涙が出そう。

 じつに百二十年ぶりの再会——のはずなのだが。


 猛は言った。

「さっきから、何言ってるんだよ、かーくん。おまえ、生きてるぞ」

「えッ? そんなはずないよ。僕、ロケットで月に行って、百合花さんと結婚して、そんで孫のタクミやイズミに囲まれて死んだよね? いやぁ、月面開拓、大変だった」

「夢でも見たんだろ」

「えッ? 夢?」


 薫は仰天した。が、なぜか、そばで蘭はあきれたような目で猛を凝視してる。やっぱり、猛の背中にあるもののせいだろうか。


「むしろ、夢はこっちでしょ? だって、猛に変な羽、生えてる」

「これはただのコスプレだよ。深い意味はない」

「えッ? コスプレ? 猛ってそんな趣味あったんだ?」

「あったんだよ。じつは」

「そっかぁ。なんだぁ。じゃあ、ほんとに夢だったんだぁ。どおりで、なんか変だと思ったよ。僕が百合花さんと月面開拓とか、できすぎたSF映画みたい」

「だろ?」


 薫は納得した。

 なぜだか、しきりと蘭は首をふってるが。

「猛さん、あなたって人は……」

 なんて、つぶやいてる。


 まあいい。薫は気になってることを聞いてみた。


「それにしても、なんで僕ら、出雲にいるんだっけ?」

「かーくん。忘れたのか? パンデミックさけて、京都から逃げてきたんじゃないか」

「ガーン! そこは夢じゃなかったのか……じゃあ、まさか、月に行くのは正夢? これから起こること?」


 猛はやたらにウケて大笑いしてる。

「いや、それはないよ。蘭の血清、受けたじゃないか。二人とも」


 そうだったろうか? たしか薫だけ拒絶反応の検査で陽性だった気がするのだが。それで地球にいられなくなって、月に放りだされた。


「……なんか、夢と現実がゴチャゴチャだなぁ」

「かーくん。風邪ひいて三日間、寝たきりだったからな。しょうがないよ」

「ああ、それで頭がぼうっとするのか」


 またもや、蘭のつぶやき。

「猛さん……あなたって……」

「いいから、いいから。さ、飯にしよう」と、猛は爽やかに笑う。


「ほんとにいいんですか?」「いいよ、いいよ。いつ気づくか賭けようぜ」などと、二人でコソコソ話してるのが気になる。


 が、あのリアルな月の暮らしが夢だったというなら、それはそれでいい。好きな人と結婚して、子どももできて、それなりに幸せではあった。

 でも、子どものころから、ずっと心の支えだった兄と引き離されるのは、やはりさびしかった。


 思えば、猛にはほんとに世話になったものだ。両親が亡くなったのは薫が小一のとき。猛は小学四年生だ。京都の祖父にひきとられたが、薫は最初のころ、泣いてばかりだった。


 そんな薫が心配だったのか、猛はよく下校中、かげからコッソリ薫のあとをつけてきた。薫が車にひかれないか、変な人にさらわれないか、見張っていたらしい。

 なんで、『かーくん。いっしょに帰ろうよ』と言わなかったのか、そこは謎だ。が、今ならなんとなくわかる。薫が早く学校の友達となじめるよう、見守っていたのではないか。そう思う。

 薫が大きい犬に追いかけられたり、上級生にからまれたりすると、さッとかけよってきて助けてくれた。じつに頼もしい兄だった。


 そのころからだ。猛が柔道や剣道を習いはじめたのは。きっと、ひ弱な弟を守るために、自分が強くなろうと思ったのだろう。


 猛は勉強も優秀だった。薫がわからないところは兄が教えてくれた。授業でわからなくても、猛に聞けばわかった。だから、勉強で困ったことはない。


 ほんとに何から何まで、猛のおかげだ。命を救われたことだって、一度や二度じゃない。



 ——どんなに離れても、おれたちは兄弟だ。がんばるんだぞ。かーくん。兄ちゃんも、がんばるからな。



 月行きロケットのなかで握りしめた猛の走り書き。

 あれが夢だったと思うと、ほんとに嬉しい。


(えーと、僕、昔の思い出にふけってるなぁ。なんかジジイっぽいぞ)


 けれど、鏡で見る自分は二十代の顔だ。


(あれ? パンデミックから逃げてきたときって、三十代じゃなかったっけ? まあ、僕は童顔だから……)


 なんとなく違和感をおぼえながらも、出雲での生活が始まった。

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