第29話【第七章】

【第七章】


 僕は、実咲のセーフハウス内に宛がわれた個室のベッドで目を覚ました。

 カーテンの隙間から外を覗くと、もうだいぶ日が昇っている。遅刻覚悟で学校に行くべきだろうか。いや、街中の監視カメラは復旧したはずだ。下手に動いて、自分の身を危険に晒すことはあるまい。

 しかし。


「ん……」


 後頭部をガシガシ掻きながら、僕は思った。


「逃げてばっかりだよな、このままじゃ」


 全身に鈍い痛みが走るのを自覚しつつ、上半身を起こす。

 同時に、猪瀬の狙いが何だったのか、記憶を脳みそに引っ張り上げる。


 あの戦闘人型ロボット、リトルボーイを実戦投入するというのが猪瀬の考えだった。

 彼の言葉を鵜呑みにすれば、確かに治安維持に役立つだろうし、紛争地域での死傷者を減らせるかもしれない。


 だが、それでいいのか?

 猪瀬本人が言っていたことだが、リトルボーイは手先が器用だ。いろいろな武器を換装し、戦うことだってできる。事実、僕は奴の機敏さをこの目で見た。

 あんなものが投入されたら、戦場でのパワーバランスは大きく傾くはずだ。


 それを見た外国の独裁者たちが、平和維持の名目を掲げてこの戦闘ロボを輸入・改良し、国内外での大量殺戮に応用する恐れは拭いきれない。


 これほどの兵器を実戦投入するには、まだ早すぎるのではないか。それが僕の考えだ。

 しかしながら、話し合いだけでこの問題を解決させてくれるほど、猪瀬は甘い人間ではない。

 僕を警備員や尋問官にボコボコにさせたのも、他ならぬ猪瀬高雄その人である。

 あんな嗜虐的な人間に、リトルボーイを任せるわけにはいくまい。


 問題は二点。どうやってリトルボーイを破壊するか。そして、いかにして大量生産を不能にするか。


 これらの問題が解決されない限り、僕たちは猪瀬から追われる身であり続けるだろう。


「畜生……」


 僕は我ながら、珍しく悪態をついた。

 ちょうどその時、軽いノックの音がした。無造作に『どうぞ』と答えながら、身体をそちらへ向ける。

 そっと顔を覗かせたのは、玲菜だった。


「あ、おはよう、拓海くん。目を覚ましたんだね」

「う、うん、おはよう」


 玲菜は朝食を運んできてくれた。片手で器用にトレイを手にしている。


「ああ、ごめんね、玲菜さん。わざわざ運んできてもらっちゃって」

「大丈夫。拓海くんは私たちの窮地を救ってくれた、ヒーローなんだから」

「あ、そ、そう、かな」


 僕は頬をぼそぼそ掻いていたが、玲菜が退室する気配はない。


「隣、座ってもいい?」

「え?」


 玲菜はそっと腕を上げ、僕のベッドの空きスペースを指差す。ベンチに並んで腰かけるような格好を取りたいらしい。


「うん、僕は構わないけど」


 すると玲菜は小さく頷き、トレイを枕元の小さなテーブルに置いてから、そっと腰かけた。


「昨日、私のこと呼び捨てにしたでしょ」


 俯きながらそう告げる玲菜。僕は『あ』と口を開いたが、気づいた時には遅すぎる。こういう事態が発生するのが、世の常である。


「ご、ごめん、クラスでもそんなに話したこともなかったのに、馴れ馴れしかったかな……」

「あっ、ううん、そういうんじゃないの! むしろ、嬉しかったっていうか」

「え?」


 今度はちゃんと声が出た。潰れた蛙のような発声だったけれど。


「私も、平田くんのこと、拓海って呼んでもいい?」

「ああもう全然! 好きなように呼んでよ!」


 僕は自分の肩の高さで、ひらひらと両手を振った。


「じゃ、じゃあ拓海」

「うん?」


 ほのかに頬を紅潮させる玲菜。ヤバい。萌え死ぬ。


「朝ご飯食べ終わったら、食堂に来て。トレイはそのままで構わないから。作戦会議ね」

「分かったよ、れ、玲菜」


 どもりながらも答える僕。こちらに頷いてみせてから、腰を上げる玲菜。

 だが、釈然としないものを感じて、僕は彼女を呼び止めた。


「ねえ、玲菜」

「うん?」

「僕たちは、君のお父さんの計画を潰そうとしてるんだ。猪瀬理事長は、玲菜の家族でしょ? 大丈夫?」

「そうだね」


 玲菜はくるりとこちらに振り向いた。


「家族だからこそ、かな。間違ってることは間違ってるって、言ってあげなきゃ。いくら私の方が年下の子供だったとしても、ね」


 玲菜は強いんだな――。しかし、僕は敢えてそれを口には出さなかった。


         ※


 約十分後。

 朝食を平らげた僕は、玲菜に指示された通り、食堂へと向かった。入り口のアーチ状の扉は開かれており、女子たちの声が聞こえてくる。


「あたしの鉄拳だけど、やっぱり渾身の一撃でないと通用しないみたい」

「俺にも、拳銃より強い武器があればな。手榴弾も数に限りがある」

「我輩の竹刀も、そうだな、弱点に突きを入れられればいいのだが」


 僕はゆっくりと入室し、『ごめん、遅くなった』と一言。


「あっ、お兄ちゃん!」

「おせえよ、拓海。いいから座れ」

「まあまあ、そう急かすな、香澄。身体は何ともないか、拓海?」


 香澄を諫めながら、僕のために椅子を引く実咲。玲菜は少し離れたところで、ノートパソコンに向かっている。筆記係を買って出たのだろう。


 僕は遠慮なく、長テーブルの実咲の隣に腰を下ろした。


「どういう話が進んでたか分からなくて申し訳ないんだけど、僕の考えを聞いてもらえるかい?」


 僕は語った。猪瀬の狙い。リトルボーイの汎用性。外国で軍事転用される恐れがあること。

 誰も余計な口を挟まず、頷きながら聞いてくれた。

 以上です、と告げると、実咲が話題の連携を図った。


「我々は、具体的にリトルボーイを破壊する案を練っていたんだ。拓海、お前からも何かないか?」

「そうですね……」


 僕は顎に手を遣って、しばし俯いた。

 まず考えられるのは、視覚センサーを潰すことだ。先日見たところでは、音響や電波で周囲の状況を把握する機器は搭載されていなかった。あの眼球のようなカメラ一つを潰せれば、後は死角など気にせずにボコボコにできる。


 香澄の援護射撃の下、実咲の竹刀の一突きでカメラを破壊するのがベスト。その前に、梅子がカメラを保護するバイザーを損傷させていれば、さらに作戦成功率が上がる。


「けどよ、拓海。敵があのハゲロボットだけとは限らないぜ? 武装した警備員が随行してる可能性だってあるだろ?」

「うん、そうだな……」


 流石、香澄の指摘は鋭い。しかし、


「その点は心配要りません」


 と声が響いた。玲菜だ。


「私がもう一つ、通信妨害装置を作ります。ただし、リトルボーイだけにはまともに電波が入るようにしておきます」

「そうすれば、リトルボーイだけを好きな場所に誘導できるわけだな? 我々自身を囮にして」

「仰る通りです、実咲先輩。リトルボーイに搭載されているAIを、他の通信機器とリンクさせないようにしておくんです。そうすれば、リトルボーイを勝手に出撃させてどこに向かったのかも悟らせず、警備員たちが随行してくるのを防ぐことができます。それに、今はデータ管理システムも脆弱ですから、同時にウィルスを送り込んで、リトルボーイの設計図を破損させることも可能かと」


 滔々と語る玲菜。すると、梅子が身を乗り出してきた。


「本当、玲菜ちゃんが味方でよかったよ!」

「あっ、うん……」

「やっぱり通信って大事なんだね! ありが――いたっ!」


 途中で言葉を切った梅子。どうやら隣席の香澄に足を踏まれたようだ。

 反論しかけた梅子だが、すぐに事態を察して口をつぐんだ。僕が先ほど本人に確認したところだが、玲菜は自分の父親の狙いを妨げねばならないのだ。

 彼女の複雑な立場については、あまり言及しない方がいいだろう。


「で、どこで戦う?」


 再び会話の主導権を握った実咲が、皆の顔を見渡す。


「ひとけがなくて、遮蔽物が多い場所、ですかね」


 僕はひとまず、思いついたことを口にした。


「あのロボット、地底から現れましたから、出てきた瞬間に猛攻を加えられれば勝機が見えます。そのためには、やはり物陰に隠れて機を窺うのが一番かと」

「さっすが、我輩の参謀役であるな、拓海!」


 かっかっか、と高らかに笑い声を上げる実咲。いや、作戦参謀だったら玲菜の方がお似合いだと思うのだが。まあ、今はむざむざ実咲の機嫌を損ねる必要もあるまい。


「で、具体的にはどこがいいんだよ?」


 今度は香澄が声を上げた。


「僕と実咲先輩が戦った廃工場跡はどうだろう? 夜間だったら人通りは皆無だし、壊れて困るものもないだろうし」

「なるほど。今地図を出します」


 玲菜がパソコンを操作すると、ダイニングルームの奥の方にスクリーンが展開された。


「廃工場跡となると、ここですね」


 地図上に、赤ペンで円が描かれる。校庭の半分ほどの範囲だ。ここで戦い、奴の目を潰す。バランスを崩したリトルボーイに、工事用クレーンの先に取り付けた鉄塊をぶつけ、戦闘不能に陥らせる。


 と言った具合に、作戦会議は着々と進行した。


「拓海、身体の具合はどうだ?」

「たぶん、もう大丈夫です」

「よし!」


 実咲は僕の答えを聞いて立ち上がり、こう言った。


「迅速に勝る機密保持はない! 作戦決行は今夜だ!」


 梅子が『おー!』と腕を上げたり、香澄がシラケた表情をしたり、皆のリアクションは様々だったが、異論は出なかった。

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