第28話

「ぶはっ!」


 呆気なく吹っ飛ばされた。

 殴られる直前、咄嗟に腕を曲げて防御体勢を取ったのは英断だったと思う。

 また、相手が僕を見くびってくれたのも幸いだった。でなければ、僕の腕は肘から先で骨折していたかもしれない。


 猪瀬を含めて四人の敵がいるわけだが、どうやら一対一で勝負をしてくれるらしい。親切なことだ。それに、僕は相手を倒す必要はない。玲菜がピッキングを終えるまで、時間稼ぎをすればいいのだ。

 ローゼンガールズ戦闘員三人の身が自由になれば、こんな連中、すぐに追い返せる。それまで耐えるしかない。


 相手は自分の両腕を顔に引きつけ、連続して蹴りを繰り出してきた。僕の顔面に、腹部に、脚部に。巧みに高さを変えて、僕を牽制する。これでは、リーチの差があって僕からは攻め込めない。

 そのうちの一蹴りが、足を薙ぎ払った。


「ぐあっ!」


 ぐるん、と目が回る。相手の姿が消えて、視界は天井へ。

 駄目だ。相手の姿を見失っては駄目だ。そう三人に教わったばかりではないか。

 僕は無理やり首を起こし、相手の挙動を捉えた。足を振り上げ、僕を踏みつけようとしている。


「ッ!」


 慌てて転がり、踏みつけられるのを回避。床と壁に手をついて、僕は立ち上がった。

 ふーーーっ、と息を長く吐く。


「ほう、お見事!」


 場違いなテンションを誇る猪瀬が、パチパチと両の掌を打ち合わせる。


「これで二十秒は稼いだぞ、拓海くん! もう半分といったところかな!」


 そうか。あと二十秒抑えきれば、玲菜がドアを開錠してくれる。

 安堵したのも束の間、


「ん?」


 視界が歪んだ。というより、眼前にいた警備員の姿が急に迫ってきた。

 次の瞬間、相手は僕の上半身に体重をかけ、無理やりに押し倒した。こちらが防戦一方であることを見切ってのことか。


「ぐっ!」


 肘先で僕の喉を押さえ、もう片方の腕で僕の半身を押さえつける。すると、肘を一旦離した相手は、僕の額を無造作に掴み込み、思いっきり後頭部を床に叩きつけた。


「ッ!」


 これまでにない激痛に襲われ、僕は五感全部が一斉にダウンするのを感じた。また僕は気絶してしまうのか。これでは、警備員は僕を乗り越えて玲菜の妨害に向かってしまうではないか。


 それでいいのか? 意中の人が必死に戦っているのに、僕がここで意識を失っていいのか?

 ――そんなわけ、ないだろう。 


 小原玲菜、僕は君を……!


「守りたいんだあぁああぁあ‼」


 周囲がぎょっとするのが感じられた。僕はそれほどの大声を発していたらしい。

 だが、構うものか。僕は滅茶苦茶に腕を動かし、警備員の片足を掴み込んだ。

 もう片足が引き上げられ、僕の頭部を蹴り飛ばそうとする。ああ、流石にこれを喰らったら、今度こそ僕はダウンだな。


 しかしその蹴りは、いつまで経っても訪れなかった。がくん、と警備員の身体が痙攣し、動きが止まる。


 他の警備員二人と猪瀬が、じりじりと後ずさりする気配。

 何が起こった? それは、頭上から聞こえた声で明瞭になった。


「よくもあたしのお兄ちゃんを……」

「よくも俺のダチを……」

「よくも我輩の後輩を……」


 ひっ! と息を飲む警備員たち。


「許さない!」

「許すか!」

「許すまじ!」


 既に気絶した一人を除き、警備員二人と猪瀬がごくり、と唾を飲む。


「おんどりゃあああああああ!」


 飛び出したのは梅子だ。小柄な体躯を活かし、廊下を縦横無尽に跳躍しながら猪瀬たちを追い払う。


「梅子!」


 香澄の声。梅子に向かって投擲されたのは、愛用のメリケンサックだ。

 どうやら、三人が監禁されていたのと同じ部屋の金庫に保管されていたらしい。これもまた、玲菜が開錠してくれたようだ。


 三人が猪瀬たちを追いかける中、玲菜が駆け寄ってきてしゃがみ込んだ。


「拓海くん、大丈夫……じゃないよね。意識があるなら、私の手を握って」


 すっと差し伸べられる、玲菜の手。僕はそっと、その柔らかい手先に触れながら、


「大丈夫、喋れるよ」


 と囁いた。思ったよりも弱々しい声音に、僕自身が驚かされた。


「歩ける?」

「我輩が背負っていこう」


 玲菜の問いに、実咲が答える。


「今のところ、全てのドアはカードキーで開けられるんだな?」

「は、はい。大丈夫のはずです」

「では行こう。急いだほうがいいな。梅子! 先行してくれ。香澄は梅子の援護!」


 二人が応答するのを聞いてから、僕は実咲の肩に手をかけた。遠慮なく体重を預ける。ローゼンガールズの一員だけあって、実咲はバランスを崩すこともない。


「玲菜は、前衛の二人を脱出口まで誘導してくれ」

「分かりました!」


 既に廊下の曲がり角からは、鈍い打撃音や鋭い銃撃音が響いてきている。その中に、大人の悲鳴が混じっていた。やはり、梅子も香澄も只者ではないということか。


 そのまま僕たちは、気絶したり伸びたりしている警備員たちを尻目に、いくつかの階段を上った。エレベーターはまだ危険だろうという玲菜の判断による。


「ここです! ここから地上に出られます!」


 そうか。脱出できるのか。

 この地下建造物から逃れられる。僕はようやく呼吸ができるようになった気分で、胸をなでおろした。


「み、実咲先輩……」

「どうした? 気分でも悪いのか?」

「ちょっと……寝ます」


 それだけ言って、僕は今度こそ、再び気を失うことを自らに許した。


         ※


 僕が気づいた時には、両脇を香澄と玲菜に支えられていた。


「ん、ああ……」

「気づいたか、拓海」


 ぶっきら棒に尋ねてくる香澄に、安堵の息をつく玲菜。


「あれ、実咲先輩は……?」

「話は落ち着いてからにしろ。まだ俺たちは安全じゃねえ」


 そう告げられて、僕は何とか足元に力を込める。


「二人共、もう大丈夫だ。歩けるよ」

「あ、お兄ちゃん! 気づいたんだね!」


 梅子が振り返る。心配をかけて悪かった、と言おうと思ったが、まだ歩くのが精一杯だ。今は頷いてみせるに留める。


 それにしても、僕たちはどこへ向かっているのだろう?

 空は既に真っ暗で、太陽の残滓も見受けられない。随分遅くなってしまったようだ。時間の感覚がないので、具体的な時刻は分からないが。


「ここだ」


 不意に、実咲の声がした。


「ようこそ、我輩の居城へ!」


 居城と言うにしては、小振りな建造物。だが、鋭利な尖塔や、蔦の張り巡らされ黒い外壁は、確かに城っぽい感じがする。


「ここは我輩のセーフハウスなのだ。我々の移動中は、監視カメラを切っておいたから、猪瀬たちにバレる心配はない」


 実咲は金属製の太い鍵を玄関扉に差し入れ、がちゃり、と音を立てて開錠した。


「しばらくはここに滞在してくれ。安全は我輩が保証しよう」


 その言葉に導かれるように、僕たち五人は実咲のセーフハウスに足を踏み入れた。


「皆、まずはシャワーでも浴びるといい。我輩が夕食の準備をしておく」


 冷凍ですまないが、と付け加え、実咲はダイニングへの扉を開いた。

 僕は、他の女性陣がシャワールームへ向かうのを見届けてからダイニングに入った。


「実咲先輩も一人暮らしだったんですね」


 呼吸を落ち着けながら、僕は尋ねる。しかし実咲は、それを否定する。


「ここは飽くまで、我輩のセーフハウスだ。いつもは両親と暮らしている」

「じゃあ、ご実家に連絡は?」

「詰めが甘いぞ、拓海。スマホで通話すれば、逆探知される恐れがある。我輩の両親は、我輩の立場を理解している。連絡がなければ心配はするだろう。だが、我輩が自分で最善と思われる行動を取っている、ということは分かってもらえる」


 そうか。梅子と違い、実咲は自分がローゼンガールズの一員であることを両親に話しているのか。

 僕は、少しばかりの嫉妬心を抱いた。両親と同じ屋根の下で過ごせるなんて、羨ましいことこの上ない。

 と、その時だった。あの戦闘ロボット、リトルボーイを目にした時の既視感が思い起こされた。


 どうして今、このタイミングで、リトルボーイのことが気にかかるのだろう? 僕の両親と何か関係があるのだろうか?

 僕が黙してテーブルの隅の椅子に座っていると、先にシャワーを浴びた女性陣がダイニングに戻ってきた。


「さあさあ、お兄ちゃんもお風呂にどうぞ!」

「ああ、分かった」


 心ここにあらず、ではあったものの、僕は有難く浴室を利用させてもらうことにした。

 シャワーの蛇口を捻り、頭から冷水を浴びせかける。髪をぐしゃぐしゃと掻き回してみたが、両親とリトルボーイに関連があるのでは、という勘のようなものは、流れ落ちてはこなかった。


 現在の喫緊の課題。それは、


「リトルボーイを止めなきゃな……」


 浴槽に身を沈め、顔を拭いながら僕は呟いた。

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