第26話
※
僕は左手の代わりに、両手首を拘束する手錠をかけられた。そのまま、猪瀬の付き人である警備員に急き立てられ、医療室から連れられて行く。
ここは一体どこなのだろう? 窓がない。地下なのだろうか。
「おい、キョロキョロするな」
そう言われ、腕を引かれる。しかし、それでも僕は気になった。何やら機械工場のような、硬いもののぶつかり合うガンガンという音がする。
何度か廊下を折れた先で、僕はその光景を目にした。そこには、珍しく窓が配されていた。そしてその向こうには、
「リトルボーイ……」
件の戦闘ロボが鎮座していた。八メートルに及ぶ巨躯のあちこちに、天井から命綱を着けた工事業者の人々が取り付いている。見たことのない工具を使い、何やらコーティングを施している様子だ。
僕がそちらに気を取られていると、手錠の鎖をぐいっと引っ張られ、前のめりに転倒させられた。
「ぐっ!」
「ボサッとするんじゃない。キビキビ歩け」
コイツ、わざとやりやがったな。僕は鼻腔の奥に鉄臭いものを感じながら、視線を警備員の背中に戻した。
「入れ」
どん、と背中を突かれる。叩き込まれたのは、ごくごく狭い部屋だった。四方と床、天井の全てが金属質丸出しで、中央にはこれまた金属質のデスクと椅子が二脚。天井からは、裸電球が一つぶら下がっていた。
警備員は、僕に続いてそのまま入ってきた。コイツが僕の尋問を担当するらしい。
手早く僕の左手首から手錠を外し、デスクのわきにあった突起にかける。これで、もう僕は動けない。
「で、お前、何を見た?」
そう言いながら、デスクを挟んで反対側の椅子に腰かける警備員。いや、尋問官と呼ぶべきか。そんなことを考えながら言い淀んでいると、容赦なく鉄拳が飛んできた。
「何を見たかって訊いてんだ、小僧!」
拳が頬にヒットする直前、歯を食いしばったのは正解だった。そうでなければ、奥歯の二、三本は欠けていたかもしれない。そのぐらい、相手も本気だったのだ。
それでも、唾を飲むのには苦労した。というか、飲み込みきれずに床に垂らしてしまった。それに血が混じっているのを見て、正直ビビってしまった。
そうだ。梅子も香澄も実咲も、皆血を流しながら今日まで生きてきたのだ。
梅子は交通事故の被害者だし、香澄は家庭内暴力をずっと受けてきている。実咲もまた、自殺未遂をした。ということは、それなりに身体にダメージが及んだことだろう。
その間、僕は一体何をしてきた?
確かに、両親の離婚と子育て放棄はショッキングな出来事だったと言える。だが、暴力に怯えて暮らしたことがあったわけではない。両親が別れた後も金銭的な補助は受けてきた。それを思えばよく分かる。自分がいかに平凡な日常を謳歌してきたか。
そして、僕の苦悩など、彼女たちの背負っているものに比べれば何と卑小なものか。
「さっきからボサッとしてんじゃねえ!」
「ぐあ!」
思わず声が漏れた。僕は片腕を椅子に固定されたまま、横倒しにされた。蹴飛ばされたらしい。
続けざまに、僕の上半身に蹴りが降ってきた。一発や二発ではない。しかも、確実に痛みを感じやすい場所を狙ってきている。実咲との任務にあたる前、訓練を施してもらった際、三人に教えてもらったところだ。
ということは、今僕を蹴りつけている尋問官も、何かしらの戦いのプロなのかもしれない。まあ、そうでなければ警備員など務まらないだろうが。
痛みに喘ぎながらそんなことを思っていると、僕はぐいっと強引に引っ張り起こされた。そのまま、今度は反対側に椅子を蹴倒される。僕の半身は、既に十分痛めつけられたということか。
「おらっ、とっとと喋りやがれ! ローゼンガールズの連中の戦い方を教えろ!」
「……だ」
「何?」
「いっ、嫌だ。そう言ったんだ」
ここで暴力に屈してしまったら、彼女たちに会わせる顔がない。理不尽な運命に立ち向かってきた彼女たちには。
僕がここで負けるわけにはいかないのだ。
「生意気なガキが!」
「ぐぼっ!」
尋問官の爪先が、ちょうど胃袋に突き刺さる。僕は堪らず嘔吐した。
そんな無様な様相を呈しているにも関わらず、尋問官は僕を嘲るようなことはしなかった。怒りを募らせるばかりだ。
流石に、暴力一辺倒なやり方に、僕も疑問を覚えた。
何故だ? どうして心理的な駆け引きを行わず、物理的な力ばかりに頼るのか。
一際強烈な一撃が、僕の肩の神経を痺れさせる。それと全く同時に、尋問官はこう叫んだ。
「何も分かろうとはしないくせに! 猪瀬中佐の理想も、苦悩も!」
ん? 今、何て言った? 猪瀬『中佐』? 猪瀬は軍人だったのか? それも、外国の。
どうして日本の自衛隊ではなく、外国の軍人だと思ったのか。理由は簡単で、階級の呼び方が違うからだ。自衛隊で中佐にあたるのは『二佐』。中佐なんて呼び方はしない。
猪瀬高雄。一体何者なんだ?
そんな疑問が浮かんだのも束の間、僕は視界の端で、尋問官が一際高く足を掲げるのを見た。
ああ、あれを側頭部に喰らったら、最悪死んでしまうかもな。そう思った、まさにその時だった。尋問室のスライドドアが、外部から強制開放されたのは。
尋問官の足がぴたりと止まる。のみならず、その強靭な足はさっと僕から遠ざけられ、キレのいいスタッ、という音を立てた。
スライドドアの向こうにいる小柄な人物が、しかし強大な威圧感を以て尋問官に問うた。
「あなた、今何をしているの?」
「は、はッ、これは猪瀬中佐……いえ、猪瀬司令からの命令で」
「私が撤回します。すぐに通常のシフトに戻りなさい」
「し、しかし……」
「聞こえなかった? 失せろと言ったのよ」
「は、はッ!」
ピンと背筋を伸ばした後、尋問官は足早にこの部屋をあとにした。残されたのは、芋虫のように横たわる僕と、小柄な少女。
僕はこの少女のことを知っている。だが、今のような遣り取りをするなど、とても想像できなかった。
すると、少女は一歩、部屋に入り込み、僕の手錠を外しながら『大丈夫、拓海くん?』と問うてきた。
僕はもごもごと口元を動かし、何とか相手の名を呼んだ。
「玲菜……さん……」
「意識はあるわね。今は静かに」
どうして玲菜がここにいるのか。すぐさま尋問官を追い払った彼女の正体は。気になることは山ほどあったが、僕は黙って、為されるがままになっていた。玲菜に連れ出されたのだ。
意識があることを悟られてしまった手前、がっくりと気を失うこともできない。ぼんやりとした思考の中で、僕はできうる限りのことを考えた。
「拓海くん、ローゼンガールズ三人の生い立ちは聞いた?」
静かながら、芯のある声で問うてくる玲菜。眼鏡越しに、僕の横顔を見つめている。
「き、君にも辛い過去が……?」
一瞬黙した玲菜は、『そうね』と一言。
「それより、また医務室に連れていくから、それまで辛抱して」
「でもそれじゃあ、また理事長権限で……」
「大丈夫」
自信に溢れた玲菜の声。すると、まさにこの瞬間を狙ったかのように、天井のスピーカーが喚き出した。
《施設内にて通信妨害を探知、各警備員は、第二種戦闘体勢で各部屋の警護に就け。繰り返す――》
急に慌ただしくなる廊下を、玲菜に肩を支えられながら歩いていく。
「あなたたちが壊した通信妨害装置、私が造ったの」
「へ?」
「まさか同じものが、基地内にあるとは誰も思わないでしょう? 今回の通信妨害は、半日は持つはず。その間に、囚われた三人の救出と、リトルボーイの再起動を阻止することを考えなくちゃね」
いつになく饒舌な玲菜。いや、もしかしたらこちらが素なのか? いずれにせよ、意中の女子に肩を貸してもらえるというのは悪くない。……って、そんな話ではなく。
「な、なあ玲菜、教えてくれないか」
医務室の前で、僕は立ち止まった。
「君には異能の力があるようには見えないけど、それでもローゼンガールズの一員なんだろう? どうしてこんなことを?」
「ごめん、長話をしてる暇は――」
そう言って、僕を医務室に引っ張り込む玲菜。その時だった。
《各ブロック閉鎖。各員、その場で警備作業にあたれ。繰り返す――》
「ああもう!」
玲菜は髪にさっと指を通しながら、声を上げた。
「これじゃあ、すぐに三人を助けに行くのは難しいわね。今、ブロック閉鎖のプログラムを解除するから、その間だったら話ができる」
「そんな、作業しながら話せるのか?」
「そのくらい、慣れてるから」
背中のリュックサックから、薄いノートパソコンを取り出す玲菜。
「じゃ、じゃあ、君がどうしてローゼンガールズに入ったのか、教えてくれないか?」
少しだけ、キーボードを叩く玲菜の手が鈍る。これはマズいことを訊いてしまっただろうか。
しかし玲菜は、『分かったわ』と言って、作業及び僕との会話を再開した。
「まあ、半分はお父さんの話なんだけどね」
と断りを入れながら。
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