第25話

 一つの人影が、さっと僕の横を通過した。梅子だ。右手に装備したメリケンサックからは、青白い光が湧き上がっている。きっと、感情の強さが光の明るさに比例しているのだろう。

 まさにブチギレである。


 梅子は跳躍してリトルボーイの肘に乗り、無理やり上腕を駆け上がった。一瞬で肩にしがみつき、思いっきり拳をリトルボーイの頭部に叩き込む。しかし、


「ッ!」


 効かない。あの梅子の鉄拳が、通用しない。

 リトルボーイの頭部側面はおろか、眼球にあたるカメラにすらも、ひび一つ入っていないのだ。


 リトルボーイはさも億劫な挙動で、反対側の腕を伸ばして梅子の後頭部を掴み込んだ。


「ぐあ!」


 そのまま無造作に地面に投げつける。


「梅子っ!」

「う……」


 意識はある。大怪我を負ったわけでもなさそうだ。だが、まさか梅子の鉄拳が完全に阻まれるとは。


「先輩!」


 その声に振り返ると、梅子から遠ざかるようにして香澄が駆け出すところだった。『先輩』もとい実咲は、香澄とは反対側から後方に回り込もうとする。

 いつの間にか猪瀬は遠方に飛び退き、この戦いを見つめている。不敵な笑みを浮かべて。


 拳銃の発砲音が連続した。黄色い光に包まれた弾丸が、一発も外れることなくリトルボーイの頭部に殺到する。だが、


「チッ!」


 やはり、損傷を与えるには及ばない。

 だが、拳銃が通用しなくとも、香澄の目的、すなわち囮となって敵の目を惹くことには成功した。

 実咲が竹刀を真っ赤に光らせ、跳躍して大上段から斬りかかったのだ。


 ガシィン、という硬質な衝突音が響き渡る。僅かに敵の頭部が傾いた。

 しかしそれは、飽くまでも『傾いた』にすぎない。頭部を破壊し、首を斬り落とすまではいかなかった。


 空中で停止した実咲の身体は、敵が背後に回した腕によって簡単に掴まれてしまった。


「くそっ! 放せ!」


 そう言うと、実咲の指示に従うようにして敵はぱっと手を離した。高さ、約五メートル。

 実咲は、幸いにも足から着地した。しかし、できることと言えば精々がバックステップ。渾身の一閃が通用しなかった相手に、為す術もない。


「全員伏せろ!」


 そんな叫び声がしたのは、ちょうど香澄が姿を消した方からだった。直後、眩い爆光が煌めき、ズドン、という轟音があたりに響き渡った。

 香澄が手榴弾を放り投げたのだ。それも、効果域は狭く、威力は高く。僕たちに被害を出さないようにしつつ、爆風を敵の頭部周辺に滞留させたのだ。

 今や、リトルボーイの頭部は損壊し、装甲が溶けてしまっているに違いない。


 そんな楽観的観測は、すぐさま打ち破られた。敵は何事もなかったかのように香澄の方へ振り向いたのだ。こちらから見える背部には、姿勢制御用のスラスターが見える。

 そこに真っ白な光が集まった、次の瞬間。ドオッ、という短い噴射音を残して、リトルボーイは姿を消した。

 いや、滑空して高速移動をしたのだ。その先にいたのは、案の定香澄である。


 彼女の前で急停止したリトルボーイは、軽く香澄の胴体を指で小突いた。『軽く』といっても、体高八メートルの巨躯から放たれたデコピンである。


「がッ!」


 香澄は腹部を押さえ、数メートル吹っ飛ばされた。

 その時になって、僕は敵の頭部が全く傷ついていないことに気づいた。どんな装甲が施されているんだ、コイツ。


「香澄ちゃん! おのれッ!」

「待て梅子!」


 僕は再び立ち向かおうとした梅子を、何とか引き留めた。


「お前の鉄拳、通用しなかったんだろう? 今の僕たちに、あいつは止められない!」

「ぐっ……」


 涙目で唇を噛みしめる梅子。すぐそばには、竹刀を構えたままの実咲が立っている。


「要求は何だ、猪瀬!」


 実咲が叫ぶと、律儀にも猪瀬は頷き、襟元に仕込んでいたらしい小型マイクに声を吹き込んだ。


「状況終了、滞空中の機をグラウンド中央に降下させろ」


 すると、校舎のさらに向こう側から、バタバタバタバタと耳障りな音が聞こえ始めた。人員輸送用ヘリコプターの飛行音だ。


「ご同道願おうか、諸君! 武装は解除しろ。ヘリの中で暴れでもしたら、流石に君たちでも生存は絶望的だからな!」


 香澄はさっと猪瀬に得物を向けた。しかし、すぐに腕を下げる。

 はっとして僕が振り返ると、ヘリのキャビンからは、学校の警備員と同じ服装の男の姿があった。狙撃用の小銃を手にしている。

 香澄はその殺気を感じ、猪瀬を人質に取ることを諦めたらしい。


 悠々と着陸したヘリからは、七、八名の警備員が、完全武装した姿で降りてきた。怪我の有無を確かめながら、香澄と実咲をキャビンへと連行していく。その姿は、意外なほど紳士的に見えた。


「さあ、木村梅子さん。あなたもだ」


 その声に顔を上げると、やはり警備員が一人、梅子に手を差し伸べていた。慇懃な態度であるのが、逆に気持ち悪い。


 梅子は立ち上がり、香澄と実咲の方を見て俯いた。先輩たちが連行されるなら、自分も仕方ないと思ったのだろう。


「さて、平田拓海くん。君も来てはくれないか? 彼女たちに同行し、その戦いぶりをつぶさに見てきた君なら、特別に言えることもあるだろう?」


 いつの間にそばに来ていたのか、猪瀬が傲岸な態度で見下ろしてくる。

 その時だった。僕の胸が真っ赤な炎で一杯になったのは。

 

 振り返りざまに、僕は思いっきりフックを猪瀬に叩き込んだ。


「ぶふっ!」


 僕が攻勢に出るとは思いもしなかったのだろう、猪瀬は唇を切り、倒れ込んだ。僅かに鮮血が舞う。


「り、理事長!」


 僕はあっという間に警備員たちに取り押さえられた。しかし後悔はない。一矢報いてやったぞ。ざまあみろ。


「理事長、お怪我は?」

「ああ、気にするな。それより、早速離陸準備だ」


 敬礼してその場を去る警備員。

 僕はサングラスを拾い上げる猪瀬の姿を見遣った。そして、その思いがけない姿にぞっとした。


 猪瀬は、両目が義眼だったのだ。精巧にできてはいるが、生命感というか、生き物としての熱量が圧倒的に欠けている。


 僕が呆気に取られていると、思いっきり後頭部を強打された。


「ぐあっ!」


 どうやら、警備員の自動小銃の銃床でぶん殴られたらしい。

 警備員たちからすれば、僕は礼儀を尽くすべき相手ではないということなのだろう。


「ほら、立て! 従わなければ、この場で射殺する!」

「ッ……」


 覚束ない足取りで、しかし強引にヘリに連れられて行く。そのままキャビンに引っ張り上げられた。

 僕の記憶に残ったのは、心配げに僕を見下ろす梅子の涙目、そして義眼の猪瀬の姿だった。


         ※


 気絶していたはずだが、しばしの時間経過は感じられた。随分と気を失うことに慣れてしまったものである。

 薄っすら目を開くと、そこは自室でも保健室でもなかった。薬品臭さはあるものの、それ以上に、何というか『物騒な感じ』がする。


「いててて……」


 ぶん殴られた後頭部に手を遣りながら、周囲を見渡す。が、仕切りのカーテンしか見えない。他の三人はどうしただろう? 推測しようにも、自分が未知の場所にいる以上、お手上げだ。


 僕がきょろきょろしていると、遠くでスライドドアが開閉する音がした。この部屋に誰かが入ってきたらしい。


「失礼するよ、拓海くん」


 許可なくカーテンが引き開けられた。猪瀬だ。


「いやはや、さっきのフックはなかなかのものだ。さては、梅子さんに特訓でも受けたかな?」


 僕は無言。梅子に限らず、香澄や実咲の名前を、その口から発してほしくない。虫唾が走る。

 さて、と言いながら、猪瀬はそばにあった丸椅子に腰を下ろす。


「通信妨害装置の件だがね。確かに自作自演ではあったが、性能は本物だ。そうでなければ、ローゼンガールズ以外の組織に発見・処理された時に困るからね」


 黙って俯く僕。


「そこで、だ。拓海くん、君の見聞きした範囲でいいから、彼女たちの戦いぶりを教えてくれないか? なにぶん、監視カメラも機能停止に陥っていたのでね」

「僕が正直に話すとでも?」


 僕は挑戦的な目で、猪瀬を見返した。


「話すさ。我々とて、手荒な真似はしたくないが。君に身内がいない以上、君自身の良心に訴えるしかあるまい」

「良心、だって?」

「私がリトルボーイの開発を推進した理由は、以前校庭で話した通りだ。納得してもらえるだろう?」


 誰が貴様の戯言など聞くか。あのロボットだって、人殺しの道具じゃないか。

はっきりそう言うべく、僕は上半身を起こそうとした。しかし、


「わっ!」


 左手が動かず、引っ張り戻された。ベッドの端からチェーンが伸び、左手首に手錠が掛けられている。


「やれやれ。おーい、誰か拓海くんを尋問室に連れて行ってやってくれ。気絶しない程度だったら、暴行も許可する」

「ッ!」


 僕は怯んだ。怖気が踵から背中を走り、後頭部までをも冷やしていく。

 一体僕は、どうなってしまうんだ?

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