第19話
「休憩しろ、拓海」
厳しさと気遣わしさを混ぜこぜにした表情で、実咲が言った。
「まだやれます! 香澄、次は拳銃のことを――」
「甘い!」
突然の怒号に、僕は肩を震わせた。
「今は熱中症対策が叫ばれている。喉が渇いていなくても、定期的に水分を摂れ!」
「わっ、分かりました!」
僕は慌てて、グラウンドのベンチに向かった。そこに置いた自分の鞄から、ミネラルウォーターを取り出す。キャップを空けて、三分の一ほどを一気に喉から胃袋へと流し込んだ。
やはり、実咲の注意は適切だったのだ。
次は、少し場所を移した。グラウンドで堂々と拳銃をぶっ放すわけにはいかない。僕たちはサークル棟の裏側、森林公園に面した静かな場所へとやって来た。
「ほら」
何やら布に包まれたものを、香澄が差し出してくる。ゆっくりと開いていくと――。
「うわ!」
僕は思わず悲鳴を上げた。
「こ、これって?」
「今更モデルガンなんて渡すかよ。実物だ、それは」
そう。布に包まれていたのは、黒光りする拳銃だった。
しかし、それは思ったよりは軽く、また、香澄愛用の銀色の拳銃より小振りにみえた。
「消音器を付けてやる。ちょっと待て」
そう言って、香澄は僕の手から拳銃を引っ手繰り、筒状の部品を銃口に取り付けた。
「じゃ、撃ってみな」
「それじゃ遠慮なく。っておい!」
撃ってみな、じゃねえよ。
香澄を見ていて分かったことだが、拳銃をいうのは、発砲するまでにいくつかの手順を踏まなければならない。そこから勉強しなければ。
はあ、とため息をつきながらも、香澄は拳銃を握る僕の手に、そっと掌を添えてきた。
それから、弾倉の交換、薬室への初弾の装填、セーフティの解除などを教わる。
「これで弾が出る。あの木に向かって撃ってみな」
香澄が指差す方向には、一際大きな木が立っていた。幹は十分太く、初めてでも当てられそうだ。が、しかし。
ピシュン、という小さな発砲音がしたのと同時、僕の両肘が突っ張った。
「うぐっ!」
拳銃の反動がこれほど大きいとは。正直、驚いた。小振りな拳銃を扱っているのだから、尚更。
発射された弾丸は、見事に大きく左に逸れ、別な木の幹を軽く削った。
再びため息をつきながらも、香澄は僕の肘や肩、膝の位置を確認した。それから、決定的な事柄を一言。
「お前、引き金を引く時に目をつむっただろ?」
「あ、ああ、ごめん。敵はずっと視界に入れておかなくちゃ」
「そうだ」
いつになく親身に声をかけてくれる香澄。
それから数発、発砲訓練を行い、僕は大まかながら狙いをつけられるようになった。
問題は、凄まじい勢いで精神が疲弊するということだ。
梅子に格闘戦を教わっていた時も、もちろん緊張の糸は張っていた。だが、銃撃と言う行為に求められる『糸の張り詰め具合』はそれを上回っている。
やはり付け焼刃になってしまうか――。
そう思ってぐったりする僕の肩を叩いたのは、実咲だった。
「大丈夫か、拓海?」
「ええ。でも緊張しちゃって」
「それでも、人間は拳銃を向けられたら隙を見せるものだ。香澄と拓海、二人が同時に拳銃を抜ければな。十分牽制にはなるってことだ」
『もう一回、水分補給に行った方がいい』。そう言って、実咲はぽん、と僕の背中を押してくれた。その時、ようやく日が傾きつつあることに、僕は気づいた。
僕が戻った時には、既に竹刀が用意されていた。二本ある。
「拓海、お前はこれを使うといい」
すっと差し出された竹刀を、僕はぎこちなく握る。道着も着用していないのに、大丈夫だろうか。
「我輩から教えられるのは、高校レベルで習う剣道の基礎中の基礎だ。地味かもしれんが、必ず生存戦略上役に立つ」
「はい! よろしくお願いします!」
ぐいっと頭を下げると、後頭部に鈍痛が走った。
「いてっ! 何するんですか、先輩!」
「相手から目を離すなと言われただろう? 癖をつけねばな」
「は、はい……」
僕は右手に竹刀を持たせ、左手で自分の後頭部を擦った。
しかし、そんな呑気な雰囲気は、一瞬で消し飛ばされてしまった。
実咲の手にした竹刀が、真っ赤な光を帯びたのだ。
「うわっ!」
思わず後ずさりする。そんな情けない後輩に向かい、実咲はこう言った。
「この光は、威力を調整するためのものだ。光っていれば、竹刀が物体に与える威力を自在に操作できる」
そうだった。テロリストに急襲された際、実咲は壁を斬るのと敵の鎮圧を、一本の竹刀でやってのけた。壁を斬った後、人間を気絶させる程度の威力に、竹刀の威力を落としたのだ。
訓練ということは、ダメージに関しては心配しなくてもいいのだろう。
「明日が任務なのに、今から傷だらけになっても困るだろう? ただ、訓練である以上、少しは痛い目をみるかもしれん」
まず教えられたのは、基本姿勢だ。僕は早く実戦訓練に移りたかったが、そこは実咲が頑として譲らなかった。基礎のなっていない味方は、敵よりも危険なのだそうだ。
五分ほどのレクチャーの後、ようやく僕は竹刀を握り、実咲と相対した。
「好きなように攻めてくるがいい、拓海」
そういう実咲の手にした竹刀は、僅かに赤く光っている。威力を落としてくれている様子だ。
僕は正眼の構えを取り、実咲の全身をバランスよく見つめる。しかし、実咲は構えを取るどころか、腕を上げようともしない。
「どうした、拓海? 日が暮れてしまうぞ」
別に、僕に焦燥感を与えて意表を突く狙いではなかっただろう。だが、僕はそれを挑発と受け取り、思いっきり竹刀を振り下ろした。
だが、実咲は微動だにしなかった。竹刀を握った右腕以外は。
バシン! という威勢のいい音と共に、僕は自分の敗北を悟った。
大上段、と見せかけて斜めに斬りこんだ大技。しかし実咲は、魔法使いが杖を振るかのような優美な所作で僕の竹刀を防いだ。のみならず、くるり、と手中で回転させ、僕の胸にすっ、と押し当てた。
僕は慌てて距離を取る。バックステップなら慣れたものだ。しかし、次に繰り出されたのは、実咲による反撃だった。
どこかフェンシングを連想させる挙動で、しつこく僕について来る。
「ふっ! はっ! とっ!」
「うおっ、わっ、ひいっ!」
僕は防戦一方だ。
やがて、僕の運も尽きた。背後を確認せずにバックステップを続けたものだから、背中に体育館の外壁が迫っていることに気づかなかったのだ。
「うっ!」
これでは後退できない。実咲の竹刀は防げない。
いや、待てよ? 後ろに行けないのならば、敢えて前方、相手の懐に跳び込むのはどうだろう?
今は訓練中なわけだし……ええい、やってしまえ!
僕はしゃがみ込み、喉元に竹刀の先端が当てられるのを回避。足の裏から力を込めて、全身を実咲目がけて跳ね飛ばした。
「うりゃあああっ!」
竹刀などとうに放り捨てている。ただ、このままやられっぱなしで終わるより、多少痛い目に遭いながらでも相手の予想を裏切りたかった。
そういうわけで、僕は実咲にタックルを見舞ったのだ。
流石にこれには、実咲も驚いたらしい。
一撃で倒れるようなことはなかったが、僕は押し相撲の要領で実咲を追い詰めていく。形勢逆転だ。
竹刀を失っても、実咲が戦意を失うことはなかった。逆に、僕に対する打撃は竹刀で叩かれた時よりも酷い。僕は背中に肘鉄を、腹部に膝蹴りを喰らったが、退こうとはしなかった。
しばらくして、実咲は両腕で僕の肩を突き放し、軽く足払いをかけた。
「ぐぎゃ!」
前のめりに転倒する僕。
「まさか竹刀を捨てるとはなあ」
肩で息をしながら、実咲はそう言った。
「お陰で打撃技を使わせてもらったが、大丈夫か、拓海?」
「……んぐ」
中途半端な音を、喉から捻り出す。
しかし次の瞬間、僕の意識は完全復旧を果たした。警戒心と緊張感、それに絶望感がごちゃ混ぜになった感情が、全身を駆け巡る。
何故か? 自分がこともあろうに、あの大河原実咲の胸に顔を埋めていたと悟ったからだ。
「ま、まあ、相手が女性ならそういう攻撃もあるかもしれんが……」
「はあ⁉」
梅子と香澄が素っ頓狂な声を上げる。
「先輩、あの野郎ただの変態じゃないすっか!」
「お兄ちゃん、やっぱり大きい方が好みなのかな」
僕は立ち上がり、埃を払うもそこそこに、弁明の必要を感じた。
ん? 必要? 恐怖心の取り違いじゃないのか。
「わ、我輩ともあろう者に、こうも堂々と破廉恥な真似をするとは。貴様の度胸、認めねばなるまい」
「え? 先輩、何認めてんすか!」
香澄の抗議も虚しく、実咲はやや赤面しながらも、快活に笑い声を上げた。
「じゃあ明日の放課後、校門前で待ち合わせだ。いいな、拓海?」
「ひゃいぃ」
何だか取返しのつかない事態に陥ってしまったが、覆水盆に返らず、である。
記憶を消そうとも思ったが、あの柔らかな感覚は、そうそう忘れられるものではない。
……うん。仕方ない。
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