赤羽の〝化け物〟 第二話

「家を出るぞ、瑞月」

 そう陽介が告げた時、瑞月は、何を言われているのかわからない、という顔をした。

 瑞月にしてみれば、以前と変わらない日々が続いているのだろう。が、それは間違っている。間違っているのだ。なぜなら両親は死んだ。団欒は永遠に失われたのだ。今も毎晩のように繰り返される団欒めいた何かは、全て過去の再現だ。かつて両親が揃うたびに出された鍋。もうこれで何日目だ。もはや数える気にもなれない。日によって中身が変わるのはこの際問題ではない。毎晩のように繰り返される同じ光景。同じ会話。ここには、そう、過去しか存在しない。

 すでに失われたものの再現に躍起になるのは、生きた人間の在り方とは言えない。

「もうアパートは借りてある。そこに、明日から俺とお前の二人だけで暮らすんだ」

「二人? じゃあ、父さんと母さんは」

「置いていく」

「どうして」

「どうして? 死人だからにきまってる! あの二人は事故で死んだ。死んだんだよ。でも、俺とお前は生きてる。生きてる人間は、昨日と同じ今日を生きちゃいけないんだ」

 陽介の渾身の言葉に、しかし、瑞月はやはり訝しげに小首を傾げた。悪意はないのだろう。が、その無自覚さが陽介は苛立たしかった。生きている人間なら誰しも共感しうる自明の事実が、この弟には何一つ伝わらないのだ。

 生きているのに。陽介と一緒に今日を生きているのに。

「何を言って……わからないよ、兄さんの言葉。僕、頭悪いから……」

「わかれよ! 馬鹿でもわかるんだよこんな話は!」

 肩を掴み、それこそ馬鹿みたいに弟の身体を揺さぶった。開かない扉を無理やりにもこじ開けるように――だが。

「どうして……だって、せっかく帰ってきてくれたのに。い、今は視えないかもだけど、でも、きっと兄さんにも視えるようになる、僕にだって、視えるようになったんだから……そうすれば、また、四人で……」

「……そうじゃない」

 そういうことじゃないんだ。なぜ、こんな簡単なことが伝わらない。

「とにかく、明日には家を出る。今夜中に必要な荷物をまとめろ。……さもなければ、お前とは金輪際縁を切る」 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る