第11話 如月真白
不思議なことに、駅を出てからの二人に会話はなかった。デートを会話で盛り上げることもできていないのに、どうして東坂さんは栄吾を選んだのかしら。
「芽衣、ちょっと飲み物買ってくる」
ぶっきらぼうにそう告げた栄吾に、東坂さんは笑顔で答えた。
「はい、行ってらっしゃい」
この表情はあれね、新妻が夫を送りだす時の笑顔ね。何よ、本当に幸せそうじゃない。
「芽衣の分も買ってくるけど、何がいい?」
「水……あ、天然水がいいです。でも、いいんですか?」
「もちろん。天然水な」
「お願いします」
へ、へぇ……一応そういう気遣いはできるのね。執事として私に仕えているのだから当然といえば当然なんだけど、私以外にそうしているのを見るのは初めてだったから驚いてしまった。
栄吾の背中を見送っている東坂さん。そんな彼女に、数人の男が集まってきて目を疑った。
「そこの彼女、一人?」
「……え?」
「いや、暇そうにしてたからさぁ。どう? 俺らと一緒に遊ばない?」
うわ、チャラい……絵に描いたようなナンパね。今どき “金髪” “ピアス” “サングラス”なんて逆に珍しいわよ。本当にあんなのがかっこいいと思っているとしたら、相当……いえ、彼らの名誉のためにこれ以上は言わないでおこうかしら。
「お言葉ですが、人を待っていますので」
さすが速水家のメイドというべきか、東坂さんは毅然とした態度でそう言いきった。だけどダメね。ここは下手に出るのは悪手すぎるわよ。
「まあまあ、そんなつれないこと言うなって」
「あの、やめてくださいっ。待ってる人がいるので」
「いいじゃんかよ。そんな奴放っといて俺らとカラオケ行こうぜ」
やっぱり。東坂さんの意見を無視してグイグイ詰め寄っている男たち。そんなだからモテないのに……それすら理解できないなんて、よっぽど残念な頭ね。もう救いようもないわ。
それに周りも見ているだけじゃなくて誰か止めに入りなさいよ。いじめもナンパも同じ、傍観者だって止めない時点で同罪なのよ。
「ほらほら、俺達もうカラオケ予約してるからさ」
「やっ……離してください!」
さすがに同じ女子としてこれ以上見てはいられなかった。尾行していたのがバレるのを覚悟して止めに入ろうとした時、栄吾の声が聞こえてきた。
「おい」
「……何だお前──っ!?」
あーあ……ナイスタイミングと言うべきか、それとも遅かったと言うべきか、リーダーっぽい男が栄吾の一撃に沈んだ。アイツ、昔から喧嘩だけは強かったのよね。栄吾はよっぽど頭にきていたのか、周りで立ちつくしていた取り巻きをあっという間に倒してしまった。
それでも無傷ではいられなかったようで、栄吾の拳に切り傷ができていた。
真っ赤な血が路上に落ちた、その時だった。
「ちょっと君、何してんの」
警官……誰かが呼んだのかしら?
自分で行動を起こさずに誰かに頼る、呆れを通り越して笑えてくるわ。そこまで我が身が可愛いの?
と、栄吾の口から小さくこんな声が漏れた。
「何だよ、それ……」
ま、当然よね。彼女を守ったのにまるで自分が悪者かのように扱われているんだから。警官も何が「言い訳は交番で聞くから」よ。言い訳、なんて最初から悪者だと決めつけていると言っているようなものじゃない。
次の瞬間、栄吾が叫んだ。
「おかしいだろ! 芽衣がナンパされて拉致られかけてんのにあんたらは何もしなかったよな! 動いたの俺だけだっただろうが! なのに何で俺が……っ」
周りを見渡しながらそう叫ぶ栄吾。それでも目を合わせようとしない通行人に、さすがの私も苛立ちを抑えられなくなってきた。そして、最後に東坂さんの表情を見た彼の顔が、凍りついた。
ここからだと東坂さんの顔が見れないのがもどかしいわね。
「何、で……?」
「とりあえず交番に来てもらえるかな」
そう言って近づいた警官の手を振り払い、栄吾が走り出した。「ちょっと待ちなさい!」と警官が叫んでいるけれど、その場から動こうとはしない。東坂さんのケアを優先しているのか知らないけれど……私の従者を貶めた代償は払ってもらうわよ。
「とりあえず、状況を聞かせてくれるかな」
「彼の……栄吾君の所に行かせてくださいっ!」
「いや、でもねぇ……」
「お願いします!」
「そんなに時間は取らせないから大丈夫だよ」
栄吾の元に行かせて欲しい。そんな東坂さんの必死の訴えにも、対応する警官は渋っていた。事情聴取がそんなに大事かしら?
そう思った時には、東坂さんの前に歩み出ていた。
「貴女はアイツを追いかけなさい」
「……何故!?」
信じられない、というような視線を向けてくる東坂さん。貴女にそんな暇があるとは思えないのだけれど……。
「いいから早く。手遅れになるわよ」
「ちょっと、仕事の邪魔されたら困るよ」
大分苛ついた様子で警官が口を挟んできた。これ以上何かをすると公務執行妨害とかになるのかしら。でも、今はそんなことどうでもよかった。
「私は一部始終を見ていました。状況を話すくらいなら私でもできますが」
「そうは言ってもねぇ……本人に話を聞かないことには」
「心の傷を抉るような真似をしても、ですか?」
警官の目を見てゆっくりとそう言うと、何も言えなくなったようで露骨に視線を逸らした。このタイミングを逃してはダメね。
行きなさい。そんな思いが伝わったのか、東坂さんは立ち上がって走り出した。律儀に私に一礼をしていった。
それにしても、不思議ね。何で敵に塩を送るような真似をしたのか、自分でも分からなかった。
「ちょっと、どういうつもりかな?」
「私が事情を話す、そう言っているのが分かりませんか?」
「……君はあの二人の関係者かい?」
「関係者というか、男の方は従者です」
「じ、従者ァ?」
あら、この警官は私のことを知らないのかしら。どうせ事情聴取で色々聞かれるんだし、名前くらいはここで教えてあげてもいいわね。
「申し遅れました。私、こういう者です」
普段から身分証明書として携帯している生徒手帳を出して、警官に渡す。書かれている内容を見た途端、目を丸くしたのがとても滑稽ね。
「き、如月って……」
「はい、私の父は如月幸成ですが」
こんな “父親の威を借る娘” のような真似、いつもなら絶対にしないのだけれど、今回だけは特別ね。栄吾に貸一つ、何で返してもらおうかしら。
「何か問題でも?」
「い、いえ……申し訳ありませんでした」
出たわ、身分の差を理解した途端手のひらを返す大人。何度も見慣れているとはいえ、醜いことに変わりはないわね。
「私も暇ではないので、早く始めて貰えるかしら?」
「は、はい。ご協力ありがとうございます」
そこからは見たことをありのまま、機械的に答えるだけだった。
そんな状況だったせいか、私は質問に答えている間にこんなことを考える余裕まであった。
(東坂さん、頑張ってね)
何だかんだ言って、私はお人好し過ぎるのかもしれない。
“情けは人の為ならず” なんて言葉を信じる訳じゃないけれど、少しくらいは私が得することが起こらないと割に合わないわね。
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