第32話  住吉里 (すみよしのさと) ~主上様からの文~


 私の生きた人生は中宮様の人生とともにあり、中宮様が崩じられた日に終わったのでございます。野辺のべの送りの後、私は形見に賜った雲鳥の蒔絵まきえが施された硯箱を抱えて宮仕えを退きました。身を寄せた摂津の藤原棟世ふじわらのむねよの住まいへは、和泉式部からの消息が何度かございました。


 ながれつつ みつのわたりのあやめ草 ひきかへすべき ねやは残れる


「皇后崩御以来のあなたは、もう京へは帰って来ないのですか」というのは、彰子様への伺候を促しているのでしょうか。


 こますらに すさめぬ程におひぬれば 何のあやめも しられやはする


「馬でさえ気にかけないほど老いてしまった私を、今さら誰が必要とするでしょうか」

 私が気になるのは中宮様の遺された御子様方のことだけでございました。


 すさめぬに ねたさもねたしあやめ草 ひきかへしても こま返りなむ


「誰も気にかけないなんて。ひきぬいてでも駿馬しゅんめのあなたにはかえってきてほしいものです」と、また和泉式部は送ってまいりました。そう言われても本当に他人のことのような気がするだけでございます。この人と歌を詠みあってはきりがないようですので、返歌はいたしておりません。ですが和泉はそれからも時折、宮中での出来事などを知らせてくれるのでした。中宮様が命と引き替えにお産みあそばした躾子びし様は、女院詮子せんし様がたいそう可愛がりあそばしているということです。脩子しゅうし様と敦康親王様は、中宮様の御妹の御匣殿みくしげどのが心をこめてお世話をなさっていらっしゃいました。主上様はそちらへばかりお渡りになり、御子様のご成長をご覧あそばすことでお心を慰めていらっしゃるとか。

 その春、突然主上様のお使いで忠隆が、摂津にいる私を訪ねて来たのにはひどく驚きました。主上様からのお心遣いがいろいろとある中に、御製の和歌がございました。


 世の中を いとふ難波の春とてや いづこの里を住み吉とせむ


「世を捨ててしまったそなたの住む里には春が訪れているだろうね。私はどこを里ととして住めば気が晴れるのであろうか」と。下の句は、私だからこそ本音をおっしゃっているものと思われます。


 のがるれど同じ難波の潟なれば いづれも何か 住吉の里


 どこへ行っても、中宮様のいらっしゃらないこの世では私に住み良い里はございません。

 それから一年ばかり経った頃、和泉式部から届いた手紙には「御匣殿、主上様の御子まいらせたままご逝去の由、六月三日…」とありました。

 また幾年も経て、ようやく主上様は中宮様の御従姉妹であられる彰子しょうし様と落ち着きあそばしましたが、寛弘八年譲位から間もなく三十二歳で崩御なさいました。私は、道長様のこの世よりもあの世の方が華やかであろうと、雲の上の主上様と中宮様のご様子を思い浮かべるのでございます。

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