第31話  別れ路 (わかれじ) ~夜もすがら~


 中宮様は、内裏にお入りになられていた間も、主上様に恨み言など一言も仰いませんでした。主上様と御母君の女院詮子せんし様との間を気まずくさせることも好まれませんので、伊周これちか様も今はわずかな望みを敦康親王様に抱いていらっしゃるご様子でした。弟君隆家様の方が、地に足が着いていらっしゃるようにお見受けできました。道長様にも決して遜ることなく、堂々としていらっしゃるので、かえって道長様も隆家様には一目置かれるようでした。雅やかなところはご血筋であられるものの、配流の地、但馬たじまで日にも焼けひと回りたくましくなってご帰京なさいました。

 道長様は賀茂の詣の際、お供で行列のずっと後ろにいらっしゃった隆家様をお呼びになり、ご自分のお車にお乗せになって、花山院事件での左遷の沙汰をわざわざ弁解なさったりしたそうでございます。隆家様は十分に若気のいたりだったと省みていらっしゃいましたので、意外にお思いだったことでしょう。

 隆家様がふと私にこんなことを仰いました。

「姉上のご性格を変えることなど誰にもできないからな。私たちは、潔く滅びていくしかないのだよ。少納言、今、宮中で一番輝いているのは誰だと思うか」

 私は、心の中でお答えしました。

「姉上だよ」

 隆家様は、清々しくお笑いになりました。

 隆家様のお言葉通り、続けて主上うえ様の御子をご懐妊なさった中宮様は、身重のまま今内裏へお戻りあそばしました。一年前と同じように、暑さの中、重いつわりに悩まされておいででした。

 私は広隆寺、長谷寺へと参詣さんけいし、中宮様の御安産を祈願いたしました。これまでのご出産は安らかでいらっしゃったので、今度もきっとそのようにと願っておりました。中宮様は、内裏よりも生昌なりまさやしきの方が気がねしないからと、私が発った数日後にはご出産のため今内裏をご退出あそばしていらっしゃいました。参詣から戻り生昌邸へ伺候すると、中宮様からすぐにお召しがございました。中宮様は、つわりでお臥せあそばしている床の中からおっしゃいました。

「そろそろ、『枕草子』の続きが見たいものだわ」

「はい。まもなく、まとまりそうでございます」

 この頃の草子には、中宮様とのやりとりのことをいろいろと書いておりましたのでご本人にお見せ申しあげるのは気恥ずかしく、催促されても口実をつけては先延ばしにしていたのです。

「あなたと出会ってからもう七年にもなるのね。つらい時は、一日でさえ長く感じるものなのに、今こうしてみると早かった。ひとつひとつの春も、夏も、秋も、冬も」

 久しぶりに中宮様とゆっくりお話をした中で、そのお言葉が私の胸にくっきりと刻みつけられました。

 その年の暮れ、中宮様は類なくかわいらしい姫宮様をご出産あそばした後、そのまま帰らぬ人とおなりになったのでございます。

 生昌の邸の庭に、今年の節句には見事に咲いていた菖蒲が、まだ白く枯れたままで揺れておりました。茎の元を引き抜くと、まるで思い出のように五月の折の香りが残っていて、辺りに漂うのでした。

 伊周様は、中宮様の亡骸をいつまでも抱きしめておいででした。右近の内侍と、わずがなお供だけでしのんでいらっしゃった主上様に、隆家様が薄様を差し出されました。

「これが、几帳に結ばれておりました」

 主上様は無言でお受け取りになり、震える御手でお開きあそばしました。


 夜もすがら 契りしことを忘れずば 恋ひん涙の色ぞゆかしき


 知る人もなき別れ路に今はとて 心細くも急ぎたつかな


 涙に咽びながらお読みあそばす主上様をお見上げすると、自分の悲しみに主上様のお嘆きまでが被さってまいります。まして、幼い御子様方のお泣きあそばすお姿は。


 ただ過ぎに過ぐもの。

 帆かけたる舟。

 人の齢。

 春、夏、秋、冬。


 中宮様にお見せできなかった最後の草子を書き上げ、そこで筆をおいたのは、

あれから何年も経った後でございました。

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